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ザ・ホエールのohassyのレビュー・感想・評価

ザ・ホエール(2022年製作の映画)
3.8
登場人物は5人、舞台は中年男性の独居。
非常にミニマルな世界で描かれるのは、呪いと贖罪、怒りと哀しみ、そして寛容と赦しの物語。

物語というにはあまりに小さく儚い、燃え尽きるローソクの最後の一瞬のような世界なので、どんな話なのかはぜひ鑑賞して確かめて欲しいが、ホラーやサスペンスとドラマとの境界をフラフラと危なっかしく歩き続けるような、名状しがたい雰囲気の作品だった。
もちろんジャンル映画ではないのだけれど、アロノフスキー監督の類まれな演出力がそうさせるのか、張り詰めた緊張感はホラーやサスペンスのそれである。
一方で、巨漢の男・チャーリーを演じるブレンダンフレイザーや、チャーリーを支える看護師・リズを演じるホン・チャウの演技にはコメディ的な一面もあり、絶妙なバランスで作品世界を作り上げる。

過去のフィルモグラフィを思い返しても、アノロフスキー監督からは破滅の匂いしかしない。
主人公を徹底的に痛めつけ、絶望の淵に追いつめることでしか到達できない境地で、人の本質的な弱さを理解しようとしているのかもしれない。
あるいはただサディスティックなだけなのかもしれないけれど、体内から抉られ剥き出しにされた人の柔らかい部分を見るにつけ、色や形は違えどそれは僕の中にある塊と同種のものであると直感する。

いつも思う。
家族や血縁というのは、救いであると同時に呪いなのだと。
「無償で助け合える」拠り所であることと、「無償で助け合わなくてならない」枷であることは表裏の関係で、どう感じるかはその時の状況次第である。
自分が強い時には呪いになるが、弱くなった瞬間救いになるように、希望と絶望が隣り合わせで存在し、ふとしたきっかけであっという間に入れ替わる。
コロナ禍、結局マスクを外して生活できるのは家族だけだということが証明されてしまった。
マスクとはリスクヘッジの象徴であり、互いを無償の関係ではないと認識し合っている証だった。
こんな関係値は、他にはあまりない。
ある人は、きっと幸運なのだろう。

僕はどちらかといえば自分のことしか考えない人間だけれど、それでも人並みに後悔もするし、罪悪感も感じる。
時々過去の過ちを思い出して眠りが妨げられることもある。
それはとても精神衛生に良くないと分かっているけれど、思い出すことをやめることはできない。
どうしてそんな生きる妨げになるようなことを自身にしてしまうのか全く理解に苦しむのだけれど、チャーリーも、リズも、宣教師のトーマスも、チャーリーの娘・エリーも、別れた妻のメアリーもそれぞれ、自殺行為のように見えるやり方で自身を傷つけ続けることで、実はなんとか生きながらえているようにも見える。

アロノフスキー監督の演出力は脅威と言っていい。
ずっと理解の範疇を越える作家だと思っていたけれど、本作には今まで後回しにされていたであろう分かりやすさもしっかりと担保され、まさに円熟の境地だ。
なんでもないような「白鯨」の書評が実は本作の縦軸を担い、大きなカタルシスを生み出すとは、いったい誰が予想できただろう。
5人のキャストも全員すばらしく、人が人を描き、演じるとはこういうことだと思わせる。
そして忘れてはならない6人目の登場人物、好奇と残酷性を兼ね備えた社会であり我々自身でもあるピザ屋のダン。
彼こそは最も重要で、消えてほしい、本作と我々をつなぐ存在だ。
彼が居なければ、ともすればおとぎ話になってしまったかもしれない。

間も無く50を迎える今、僕の人生は成功したのか失敗だったのかを時々考える。
しかし、最期に娘との関係を修復し贖罪を果たそうと行動し、重い体を引きずって自分の足で立ちあがろうとするチャーリーを見て、きっとまだ時期尚早なんだろうなと思い直す。
そんなこと、きっと死んでみないとわからないのだ。
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