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モリコーネ 映画が恋した音楽家のmasahitotenmaのレビュー・感想・評価

3.5
2020年に91歳で亡くなった、映画音楽の巨匠、作曲家のエンニオ・モリコーネ。
「ニュー・シネマ・パラダイス」などでコンビを組んだジュゼッペ・トルナトーレ監督が、モリコーネの最期の5年間に密着取材して完成させたドキュメンタリー。
モリコーネ本人の肉声をはじめ、彼を知る70人以上の著名人(音楽家、監督、脚本家、ミュージシャン、ソングライター、批評家、共同制作者ら)へのインタビュー映像、及び携わった500以上の映画の中から厳選した45作品の名場面で構成されている。
原題: (伊) Ennio(2021、157分)

~モリコーネの言葉~

「音楽が"運命"になると思っていなかった。私は医者になりたかったが、"トランペットを学べ"と父が言い、私を音楽院に入学させた。トランペット奏者にすると決めたのは父だ」

「教師のロベルト・カッジャーノに言われた。"作曲を勉強しろ"と」

「ゴッフレット・ペトラッシは20世紀の偉大な作曲家の一人。私にとってすばらしい師だった」

「父が55歳でトランペットの才能を失ったので、トランペットを使う曲はやめた。父に悪いから。…"もう輝きを失った"とは口にもできなかったし、父の仲間にも声をかけないようにした。息子の義務だから。父の死後は再びトランペットを使った」

「音符は建築の資材と似ている。同じレンガを使っていても、どの建物も違う」

「セルジオと「荒野の用心棒」を観たがお互い好きな映画とは思えなかった。私はあの音楽も好きじゃない。"忘れよう"と言ったのにまた頼まれた」

「自分が書いた曲に的確な判断は下せない。だから、あれ以来、曲は、まず妻のマリアに聴いてもらうことにした。彼女が気に入れば監督に。監督が聴くのは妻が好きな曲だけだ。音楽を知らない妻の意見はとても正直だった。だから、この方法を何年も続けた」

「映画音楽を書く時は"作曲家"。自分のために書く時は"別の誰か"だ。まさに正反対のタイプとなって曲を書く。だから、顔が2つあるようだ」

("死刑台のメロディ"を歌ったジョーン・バエズの言葉→)「(モリコーネは)こう言った。"実はもう一曲あるんだ"。"歌詞を書ける?"」
(「勝利への賛歌」完成秘話)

「映画の仕事は後悔していない。むしろ、少しずつだが、私の中で絶対音楽と映画音楽が収斂していった。たとえ概念的であれ、私の人生の基本であり重要なことだ」

(「シンフォニー「沈黙からの叫び」について)
「あのツインタワーへの攻撃という悲劇的な衝撃から生まれた曲で、人類の歴史のすべての虐殺に捧げた」

「最初、映画音楽を書くなど屈辱的と思ったが、やがて考え直した。実際、今では映画音楽は本格的な現代音楽だと思っている」

「何を書けばよかった?同じ道は通りたくなかった。だから、本物の交響曲を書いた。…ウエスタンに復讐する気分だった。つまり、過去との決別だ」(「ヘイトフル・エイト」について)

「音楽を書く前に熟考せねば。それが問題だ。曲づくりを始めると必ずその問題に直面する。作曲家の前に白い紙がある。そこに何を書く?そのページに、何を書けばいいのだ?まずは思考があり、それを展開させる。さらに、その先へ。でも、何を…追及する。分からない」

今、映画音楽の作曲家の中で人気投票したら、モリコーネはトップに選ばれるかも知れない。
クラッシックの素地があるのが強み。

~モリコーネ「映画」私のおすすめ~
・ 「荒野の用心棒」「夕陽のガンマン 」「続・夕陽のガンマン」(←ダラーズ三部作)、
・「ウエスタン」
・「1900年」
・「ワンスタイム・イン・アメリカ」
・「アンタッチャブル」
・「ニュー・シネマ・パラダイス」
(「アルジェの戦い」は未見)
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