「何これ?!もう1回観ないと!」とエンディングを迎えてすぐに思ってしまった、《映画的な映画》。
地位と権力を握りすぎた指揮者の顛末が描かれているが、各シーンで直接的な説明がない部分も多く、「あれ?どゆこと?」と‘’何度も”なる。
けれど、その設けられた余白も楽しめる。
物語は淡々と展開されていくので、好き嫌いは別れそうだけれども僕はハマった。
「え、オスカー主演女優賞獲得してないの?!」というほど、ケイト・ブランシェットの演技は必見。
※主演女優賞にノミネートはされたものの『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』のミシェル・ヨーがアジア人初の受賞
指揮者のリディア・ター(ケイト・ブランシェット)は、世界最高峰のオーケストラの1つであるベルリンフィルにて女性初のマエストロに任命されることになった。
天才的な能力と努力によってエミー賞、グラミー賞、オスカー賞、トニー賞の全てを受賞し、「ショービジネスにおけるグランドスラム」と呼ばれる EGOTクラブの一員となり、現代の音楽家の最高峰に君臨するほどの地位を確立。
作曲家としても活躍するが、マーラーの交響曲第5番の演奏と録音のプレッシャー、そして新曲の創作に苦しめられていた。
そんな時、かつてターが指導を担当した若手指揮者の訃報が届き、彼女にある疑念がかけられる。といった内容。
この作品、オープニングから一味違う。
冒頭、黒バックに小さなフォントでタイトル表示され、一瞬「ん?」と思わされたのだが、その後に続くオープニングにさらに驚く。
ネタバレになるので詳しく書けないが、全て同じフォント、同じサイズ。
オーケストラと重ね、映画製作に携わった全ての関係者に対する敬意と感謝から始まっていると感じた。
僕自身クラシック演奏者ではないが、実は国内外の有名アーティストが全国ツアーなどでよく訪れる、とある大きなホールでオーケストラの音響管理と録音をやっていた経験がある。
ホール上方でターが録音スタッフと会話するシーンがあるが、まさにあのような。
そんなこともあり、指揮者をはじめオーケストラの演奏はたくさん聴かせてもらってきたので、‘’指揮者の意図に近づけるために何度も演奏する”リハーサル風景は馴染み深い。
本番ではあまり分からない指揮者の気質が出る場面だが、この辺りもターの徹底した性格や、自分が神であるかのような立ち振る舞いをケイト・ブランシェットが巧みに演じていた。
さすが、ケイト・ブランシェットに当て書きした作品。まさにハマり役。(ハメ役?)
講義中に1人の学生と意見が食い違い、クラス全員の前で論破するシーンでは、周りの学生が引くほどの自論を捲し立てる。
“カリスマ”にも映るし、“エゴイスト”にも映る。
この講義のシーンは、長回しのカメラワークも面白かった。
カメラワークと言えば、車を俯瞰で撮る角度など、印象に残るものが多かった。
また、‘’音に悩まされているシーン”が度々あるが、個人的によく気持ちが分かった。
ターの場合、苦悩からくる幻聴と思われそうだが、単なる幻聴ではなく、もともとは‘’聴こえすぎてしまう”ところ。
絶対音感を持つ人に多いが、僕もそうで、些細な音に対しものすごく敏感。
作品では冷蔵庫だったが、僕も機械類の低周波、高周波など、幼少期から今に至るまで気になってしまうこと数しれず。
録音の他、楽器演奏もするが、普通に音楽やる人が気にもしないような些細なノイズも、ものすごく気になる。
‘’車の内装ビビリ”に反応するシーンも共感。
カーオーディオのハイファイ音質を競うコンテストに出たり、プロショップ(オーディオインストール専門店)に教えたりしてたので、余計に分かりみ深かった。
スピーカーと車内の共振周波数を測定したり、制振するため北欧の特殊な木材でスピーカーバッフルを作ったり、周波数調整でパッシブ(クロスオーバー)を作ったり、デッドニングしたりも全てやっていたので、些細な音やビビリが神経質なほど気になる。
ビビリ音に関しては、尋ねても「何が?」といった反応が普通。
作中で、あの些細な音のくだりを拾うのは、絶対音感を持つ関係者にヒアリングしたのか、さすがだなと思った。
ターは、ありもしない幻聴に悩んでいたのとはちょっと違って、もともと聴こえすぎるところから、不安感に苛まれて、恐怖に変換されていったということだと思う。
様々な人物像、マイノリティについてなど書きたいことは他にもあるが、もう一度鑑賞して追記したい。
ターという天才マエストロの繊細さを中心に、様々な角度から、余白を持たせつつ、人間というものを緻密に描きあげた作品ではないだろうか?
まとめると、ケイト・ブランシェットの圧倒的な存在感が素晴らしい。これに尽きる。
⚠️ここからネタバレあり⚠️
ラストは《皮肉とも再起とも観る人の捉え方次第》の上手い作りだなと感じた。
セクシャルマイノリティの問題だけでなく、人種問題も皮肉っているような、ある意味落ちぶれを示しているとも言える、あえてのアジア。
ドラクエしかりFFしかり、ゲーム音楽をコンサートでオーケストラが演奏するのは日本でも大人気だが、お客さんがモンハンのコスプレをしたコンサート会場でターがタクトを構えるオーラス。
世界最高峰のクラシックオーケストラではなくゲーム音楽。
「落ちぶれた」と思う人もいるだろうし、今やクラシック音楽は古臭く「時代としては最先端」と思う人もいるだろう。
特に若者は。
モンハンを知らない世代や縁のない人には、あのエンディングはハテナであろう。
その辺も皮肉が効いていて面白かった。
僕が観た中で、正統派クラシックコンサートではないものでは、“クラシックとロックの融合”というコンセプトで開かれた、日本を代表する指揮者の佐渡裕(シエナ・ウインド・オーケストラおよびウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団首席指揮者)と、僕の崇拝するロックギタリストのスティーヴ・ヴァイとのオーケストラコンサートが最高だった。
話を戻して。
この作品は《栄光と転落》が主題とも言えるが、【傲慢が招いた転落による哀れなバッドエンド】として捉える人と、【音楽を楽しむ本質をターが思い出したハッピーエンド】として捉える人がいると思う。
バーンスタインの映像を見返し、心を少しづつ取り戻していく様子が伺えるシーンから読み取ると、僕は後者派。
さて、もう一度観よう♪