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すずめの戸締まりのFilmloveMITのネタバレレビュー・内容・結末

すずめの戸締まり(2022年製作の映画)
4.8

このレビューはネタバレを含みます

個人的新海誠の最高傑作。号泣した。ジブリ好きにお薦め、注意点は宮崎駿映画を詳細に理解している事、ある程度の歴史と日本書記の知識がある事が前提になる。かつ一回見ても分からない。構成が作り込まれすぎていて、暗喩の多用量がジブリと同等、10回以上は見ても毎回新しい発見があると思う。

感受性による推察を観客各々の解釈に任せている(正解はないし、恐らく何回見たかで個人の解釈も深まり解釈が変わる)ので、練り込まれたストーリーを小さな一言、一瞬のシーン(それこそ一秒の色の変化、0.5秒の台詞等)から推察する事になる。「何故?」を紐解く事でストーリーが分かる、文学と絵画鑑賞慣れしている人にお薦め。
このタイプの映画はジブリ同様、後世に評価される。
※ナウシカは当時全く稼いでいない

自分は君の名はから入ったタイプではなく秒速が初新海誠作品で、言の葉の庭が一番好きで、君の名はは良く分からなかったタイプ
ストーリー云々は置いておいて映像の瑞々しさや緑の匂いの演出が凄い監督(個人的な同ジャンルは岩井俊二)、でもシナリオが次世代宮崎駿には及ばず…と思っていたが、「これなら次世代宮崎駿になれるかもしれない!まだ若いしこれから!」と思って感動したのが本作。

完全に好みの問題だが、あらゆるメッセージを全て説明しては、日本で映画を作る意味がない。
曖昧で抽象的な日本語、比喩、暗喩、和歌を詠み合いその叙情性を楽しめる民族、
複雑で曖昧な心理や事象の抽象表現の上手さ巧みさ、その享受と解釈に慣れている。
常日頃から決して言葉を額面通りには受け取らない。
それが日本の表現のアドバンテージだと思う。
Yes!No!で答えないのが悪い所でもあり、一方もっと複雑で繊細で曖昧な人間心理をコミュニケーションとして伝えられる、それが日本の表現の強みだ。

ある意味、「絵でそう描いてるから」「表情で」「そういうトーンの声だから」「色で」「歌詞で」「音で」と、伝えたい事を省略出来る、読み取る、察する事に長けているとも言える。
全部説明するととんでもないボリュームになるから笑

ハウルのラストを「きみはあれを見て戦争が終わっていると思ったのか!?宮崎駿はきちんと描いているだろう!!」と記者にキレた鈴木プロデューサーが好きそうな映画だ(分かるかい笑)

すずめの戸締まりはハウルの百倍分かりやすい、ジブリ好きは好きだと思う
しかし、このボリュームなら2~3時間はあって良い映画だった笑
短くしないと見てもらえないから仕方なかったのだろう、直接的な言語による説明という説明がない笑 そこが好きだが、人を選ぶ映画なのは分かる

皆どうも「地震は防げない」「災害と人間は無関係」と考えているようだが、では何故被害が大きい地域と少ない地域があったのか?という話で、

簡単に言えば
・森林伐採しすぎなければ木の根で土壌の地盤が強い
https://www.rinya.maff.go.jp/kanto/iwaki/knowledge/saigaibousi.html
→だから埋め立て地は弱い、被害が甚大になる

・木の根が強く土砂崩れが起きなければ津波が来た時の逃げ場がまだ多い
森林には洪水の緩和機能もある

・耳が良い動物は災害発生感知が人間や緊急速報より早い
犬が分かりやすくて、人間が雷にきづく数時間前から怯えている

と、「人間が自然を怒らせると災害の被害が拡大する」というのは神話とも言い切れず科学的にそうなのだ。

地震が起きる事を直視してどうするか
https://note.com/noeldata/n/n2329bb9b4086
https://www.tfd.metro.tokyo.lg.jp/lfe/bou_topic/jisin/sonae10.htm
せめて家具は固定してあるか?家に消火器はあるか?身体を鍛えているか?
ちょっと3.11を忘れすぎてやしないだろうか?

宮崎駿の意志を現代日本でまだ引き継ぎ、本心から人間を信じごく普通の庶民の平凡な幸せを願う天才クリエイター新海誠が日本にいる事、それが嬉しくて号泣した。令和としての名作だと思う

今の世の中は辛い。人生は辛い、頑張ってるのに苦しい、皆そうだろう。つい捻くれてしまいたくもなる。けれど、人々が変われば社会は良くなる、その通りだ。
皆が優しければ、追い詰められても強く前向きであれば、殺伐とした世の中ではなくなる、傷付く事も減る、人の良心を信じられたら暖かい気持ちで生きられる。そう、戦後はもっと貧しくもっと元気で暖かかったはずだ。取り返しのつかない世界の残酷さ、もう何も信じられない社会の中でただ強く前を向き懸命に国を良くしようと個人ではなく社会の為に必死に働いていた、まるで今のインドのように。結局は人の心が社会を作るんだ。

▼ここからネタバレ













病院でのすずめの台詞、ラストにミミズを鎮めるソウタの台詞がメインメッセージだろう。懸命に生きる事。「おかえり」と言える人がいる事の貴重さ。

恋人でも良い、親友でも良い、仲間でも家族でも猫でも犬でも良い、「君に会えたから生きた意味はあった」

老害的には、かつて自分にそうしたかげがえのないものをくれた存在がいたから生きる意味は十二分にあった、可愛い次世代に希望ある社会を少しでも、死に物狂いで残そうじゃないか。

この何も持たない災害だらけの小さな島国が、チビでひ弱で眼鏡の不細工達が、どれ程絶望から這い上がって来たか。
絶望して負けてたまるものか、元からこの国には何もない、日本人の崇高で善良な強い精神力、勤勉さ、日々を楽しむ「祭り」という苦しみ耐性文化、苦しい日々を我慢し楽しみ希望を失わず前向きに乗り切る為に民衆自らクリエイティブになったんだ。紙と鉛筆しかなくても俳句を楽しめる民族だ。

今も変わっていない。国民はXで人を笑わせバズるのが好きだ。tiktokで踊ってみるのが好きだ。インスタを加工して綺麗なリールを作るのが好きだ。
コロナで苦しくても学生はその中で日々を楽しもうとした、弱い精神で暴動を起こさない、国民全員が強くクリエイティブで精神力が強い。

国民性の強さ善良さ、唯一誇れるのはそれだけだ。それを失えば終わりだ。 

それしかない、国土もない、身体は弱い、石油は湧かない、鉱物資源は取れない、災害だらけ、人間の強さ以外何がある?京都の街は誰が作った。こんな状況で暴動を起こさない強い国民だ。
それだけでここまで来たんだぞ。それを見せてやる

☆前提(現段階での推察、二回目以降変わるかも)
【要石とは】
漂う日本を大地に繋ぎ止める「国中の柱」
日本書紀において神(武甕槌神:日本に地震を引き起こす大鯰を御する存在)が降りた磐座
引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%81%E7%9F%B3

【ミミズとは】
大鯰=巨大なナマズの姿をした、日本の伝説の生物。地下に棲み、身体を揺することで地震を引き起こす
引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%AF%B0

【ダイジン、サダイジンとは】
※自分の現段階での推察では、災害(大鯰)を鎮める神を宿した元閉じ師。あるいはサダイジンは藤原鎌足。神に近い存在であり、人心の善悪の影響を受けてしまう存在

ダイジン:武甕槌大神(タケミカヅチノカミ)
雷、剣、相撲の神、地震の神と崇められており、日本に地震を引き起こす大鯰の頭を押さえつける
日本神話を記した古事記の神武東征の際には、その力で悪疫を退散させ、日本に平和をもたらし鹿島の地に根付いた
腕を氷に変える事が出来たと言われている

サダイジン:白髪の壮年像。藤原鎌足(大化の改新を推進し国を治める法律を整えた、公地公民制による中央集権国家建設を目的とし豪族中心の政治から天皇中心の政治へと変えた)と伝えられている
引用:http://g.kyoto-art.ac.jp/reports/1307/

【閉じ師とは】
古事記の記載によれば、日本の第10代天皇である崇神天皇の御世において疫病が大流行した際、
厄災を鎮めるために墨坂神社を創建した際の神主に近しい存在。

引用  
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B4%87%E7%A5%9E%E5%A4%A9%E7%9A%87

サダイジン=藤原鎌足=天皇を中心とし国を治めたという暗喩とも辻褄が合う。

藤原鎌足暗喩からの新海誠のメッセージの個人的推察としては、
「国内で足を引っ張り合い調整に時間をかけ、バラバラになっている場合ではない。国全体が優先順位を決め国民同士が協力一致団結し力を合わせるべき有事だ、個人の利害だけで派閥争いをしている場合ではない(豪族社会からの暗喩)」

【すずめとは】
岩戸=天の岩戸
太陽神である天照大御神(アマテラスオオミカミ)が岩戸に隠れ、世界が暗闇に包まれた

引用 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%B2%A9%E6%88%B8

すずめ=天鈿女命(アメノウズメ)
引用 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%8E%E3%82%A6%E3%82%BA%E3%83%A1
日本神話で、天照大神が天の岩屋に隠れた際、その前で踊り、大神を誘い出した女神。天孫降臨に五伴緒神として従い、天の八衢にいた猿田毘古神に道案内をさせた。

【ソウタとは】
宗像草太。
宗像大社(むなかたたいしゃ)は福岡にある宗像三女神を祀る神社の総本社であり、宗像三女神は日本書記では、「道主貴」と称される「道の最高神」であり、歴代の天皇を助けて来た。

猿田毘古神とアメノウズメは、新しい日本の体制を開くための和睦を成し得たとの解釈もある。

アマノウズメは一説には猿田毘古神の妻となったとされており、猿田毘古神の代表的ご利益は「交通安全」「万難排除」であり、教育の神として知られている。
=ソウタは教師を志している、すずめを岩戸へ導く役割であった
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%92%E3%82%B3

ソウタ、すずめのモチーフとなった神は、互いに協力し日本の新たな体制を作り出す。
若く優秀な二人が良い未来、良い国を作ってゆく。全く持って新海監督らしい笑


日本書記を引用したのは、「建国当初から日本とは災害とともにある、その中で人々は強く生きてきた国だ、だから日本人は強い」という暗喩だと思った。

また最近非常に興味深い話を聞いたのだが、なんと、第二次大戦直後、フランスから日本へ移住したフランス人がいると聞き、「ドイツにあれ程酷い事をされたのに何故日本に!?」と聞いた所、
「日本という国は何故強いのか知りたかった」という理由だと聞き、その勇気と行動力に驚愕したのだが、

「それで、その人は日本をどう思ったのか」と聞いた所、
「日本の天皇制は凄いと思った。ハプスブルク家さえ廃れている、これ程続いている国は世界中探しても他にない」と思ったと聞き、

考えた事もなかったので目から鱗で、言われてみればその通りだと思い、新海誠もそこに何か思慮があったのかもしれないと思った。

確かに日本の皇族は、全国民が未だに外交の要として、「こうした方であらねばならない、世界からも国内からも、全国民の尊敬を集めるお方でなければ」と無自覚に敬意を評している事に気付いた。

これだけ国内が多国籍化しても、日本という土地に災害が多い事は変わらない、それをしも天皇陛下が全世界から尊敬を集めるお方であれば、
どのような国籍の方が日本に住もうとも国内がバラバラにならずに済む、陛下はその要なのかもしれない…

良く見ていると、ソウタの家の書物には日本書紀らしき記載があったり、
東京の後戸の場所に「三宅坂」と記載があったり
※三宅坂は、明治政府の陸軍の中枢であり、戦時中の参謀本部の代名詞。つまり、国防の要。
戦後はGHQの将校が住むパレス・ハイツになり、占領が解除され昭和40年に土地が返還された後は、最高裁判所が建設された場所。
東日本大震災後は、耐震性が疑問視されている

とにかく細かい描写が多い笑
新海監督は恐らくかなり勉強家で、メッセージは色々あるが、直接言うには…という所を、分かりづらいぼやかした範囲でファンタジーにしているのではないか、とも感じた

白いダイジンは人間の良い心に影響された存在、自分を解放してくれた良心の象徴であるすずめが大好き
黒いサダイジンは人間の黒い心で黒くなってしまった存在、それが叔母の発言から暗喩されている。
だからすずめに元に戻して欲しい
サダイジン「その通り、人の手で元に戻して」
元の姿があるのだ。

そして、サダイジンの方が大きいのが映画の中での世の中の状況...?

ソウタは人間が戦争を起こし自然を破壊しようが、悪い事をしようが、役割として災害を鎮める。
どちらかと言えば、ダイジンにとってはソウタは当初、サダイジンの方が大きい世の中の中では、
人間の為だけに人間だけを守る優秀なリーダー、クシャナに近かったのかもしれない。

だから、ダイジンにとってソウタは「お前は、(悪い心を持つ自然を破壊する人間を守るから)ジャマ」

あるいは後述するが、ダイジンは要石の役割が辛すぎて、大好きなすずめと一緒に自由に生きたかった...?

「すずめ、僕の事、好きだよね?」

ソウタの祖父は、サダイジンに「お久しぶりで御座います。あの子について行かれますか」と敬意を評する。

サダイジンは、人間が良い行いをしていれば災害を鎮めてくれる。
だからダイジンは、すずめの良心によって、黒くなってしまったサダイジンを元に戻して助けて欲しい。

サダイジンはダイジンをペロペロ舐め、とても可愛がっている。しかし叔母の悪い本音をサダイジンが引き出し、ダイジンはすずめを傷付けるサダイジンに物凄く怒る。
「うちの子になる?」=血の繋がりがなくとも家族になれる、家族になるとは、もキーワード。
二人は人間の良心と悪い心に影響された、対極となる同じ存在。

すずめに付いていったサダイジンは、すずめの良心、人間の良い心により、黒くなってしまった身体が白くなりミミズ(災害)と戦う。
ソウタはラスト、人間の心の重さがその土地を鎮めていると言う。その土地土地の人間の懸命さが、国を良くする。

映画のストーリーとして「人間の良心の象徴」であるすずめ。
だがそれがごく普通の女子高生である事が、現実的には違和感を持つ。
死ぬ事を「怖くない!」と言う。「私が要石になる!」と言う。
同じく自己犠牲的であるナウシカには行動理由の根拠の設定、立場がある、だがすずめはごく平凡な普通の女子高生だ。何故そこまで必死に命をかけるのか?

母親はすずめを深く愛していた。4歳で母親を亡くしたすずめは、母親を探し、母親に会いたくて扉の中が見えるようになってしまった。

この「扉の中が見えてしまう」「声が聞こえてしまう」「ミミズを止めなければどうなるか、4歳で知っている」事が彼女の行動理由。

誰か一人でも大切な人がいる事、その貴重さがどれ程か、出会った人々が母親を失わず暮らせる社会が何もせず簡単に永続するものではない事を知っているから必死に守る。

「一人は怖い」「大切な人に先立たれ自分一人が世界に取り残される事、それは死ぬよりも怖い」その恐怖が彼女を動かす。

叔母に何を言われても、愛するソウタを突き刺してでも、どうしても「おかえりが言える世界」を守りたい。

すずめにとって大切なのはソウタだけではない、ダイジンを失っても涙を流す。一人は怖いと4歳で知っているから、出会った人々全てが貴重。

二人が守りたいもの、それがラストに一瞬人々の声として流れる。「行ってらっしゃい」「おかえりなさい」
人々の平凡でごくありふれた、しかし当たり前ではない平和な生活。

だからこの台詞が、映画の中で何度も繰り返される。
「行って来ます」「おかえり」と言える人が一人でも生きている事の貴重さ稀有さ。
そう言いたいのに、言えなかった人達の無念と哀しみ。
二人にはその声が聞こえる。

すずめは叔母に「行ってきます」と言う。「ただいま」と言う為に。

大人の自分が、子供の自分を抱きしめ癒す事も出来る。
インナーチャイルドを自ら癒す、その力が人間にはあるというドライブマイカーと同じテーマまで盛り込まれていた。
一番大切なものを亡くしても、また出会える、また得られると。
震災で代わりのいない家族、一番大切な人を失った悲しみを背負わされた人への共感と、哀しみの中にある人へのメッセージ。

また、天気の子のインタビューの中で、新海誠は「気候変動は加速している。でもね、若い世代は意外とそれに順応していくんじゃないかと思っているんですよ」と言っていた。

新海誠は、日本の若い世代の力を強く信じている。確かに、著名人の中でも優秀極まりない若手が一部に出てきているのを感じる。

最近Z世代のトレンド調査+実際23歳に今何が流行っているか聞いたのだが、本当にSDGS実践意識が当然のように高い。

流行しているのは
「量り売り(フードロス対策、食べきれる分しか買わないカフェのケーキ)」
「大学生の有志による、ロータリーに置かれた英語表記のゴミ分別用段ボール」
「企業の社会貢献度を学術的に評価する人工知能システム」
「お洒落なエコバッグ」
「Be Real(気の合う友人のリアルな口コミしか信用しない、無駄なものを買わない)」
「ソバーキュリアス、マイボトル、リサイクルボトル」
「自然派食材、玄米、自然派カフェランチ」
「ステマ嫌い、大企業の建前のSDGS活動アピール嫌い」

「お洒落なトレンド」「可愛い」「それがクール、カッコイイ」として本当にSDGSが都内を中心に流行している。

だからこそ、ごく普通の女子高生を、まるでナウシカの役割かのように描いたのかもしれない。

恐らくこの映画は、若年層の方が共感を呼ぶ。
新海誠自身が老害ではない、そういう人間だからだと思う。

すずめがソウタが気になる理由もラストに描かれている。母親を亡くした4歳のすずめは母親を探し常世に迷い込み、そこで未来のすずめとソウタに出会っていた。

一目惚れではなく、記憶にないながら「一番辛かった時に出会った人」「どこかで会ったことがある気がする人」、それがソウタだった。

しかし、「すずめの子供になれなかった」とは何なのか?もう何回か見ないと分からない
今の私の解釈だと、ダイジンの発言、行動には理解しきれていない点もある。
武甕槌神が降り立つ要石、ミミズ(大鯰)を鎮め大地を平定する役割をソウタに移した理由は?
もしやダイジンとは、武甕槌神自身ではなく、要石として神を自分に降り立たせただけの元人間...?
ソウタという人間が要石になれるのであれば、サダイジンもダイジンも元人間の可能性が出てくる。
ダイジンは要石の役割が辛く、自分を解放してくれたすずめが本当に大好きで、自由になりたかった...?

もしやサダイジンはソウタと同じ閉じ師であり、だからソウタの祖父と知り合いであり、だからソウタが要石になった時祖父は「それで良い!」と言った...?

ひとつの可能性として、こう考えると泣いてしまうのだが、ダイジンとは太古の昔、まだそうした地方の風習があった時代に「神を降ろす人柱」にされた、ほんの幼い小さな子供、あるいは子猫なのではないだろうか?

人間の悪い心が大きい中では直に影響を受け災害を起こし、でも本当は災害を鎮めたい、だからすずめをいつも扉へ案内する。
どこまでも無邪気に、「うちの子になる?」と言われたら素直に信じてしまい本当に嬉しい。ぼくにも帰っていいお家があるの?すずめ、大好きと。

そう考えると、すずめが要石になるくらいなら僕がと、要石に戻ったダイジンが可哀想で泣けてくる

あの木彫りはどこかに似たモチーフの伝承があるのか…

相当難解な映画な気がしてきた。
もし仮にサダイジンが藤原鎌足の暗喩であったなら…?と、色々複数想像しながら、細かく細かく台詞を聞いてゆくと謎解きのような一言、シーンが散りばめられていて、恐らく最終的にどういう事だったか解釈に辿り着く。そこを観客の想像に任せている。
そこも宮崎駿と非常に似ている。
「千と千尋の電車のシーン、あれは宮沢賢治か、つまりあの影は」とか、そういう何回も何回も見るとより面白い映画が好きな人にはたまらない笑
あと何回か見直したい

あのミミズはもののけ姫のタタラ神、白い犬神もサンの育て親かあるいは千と千尋のハク(川の神様)、すずめの自己犠牲精神はナウシカ、と、ナウシカともののけ姫を彷彿とさせるシーンが多々。
つまり、災害を起こしているのはジブリにおける自然(の神)、そしてそれは人間のせいであるという暗喩。

更には車に乗るシーンは魔女の宅急便の松任谷由実のルージュの伝言と、これでもかな宮崎駿リスペクト(笑)
車の赤と風景の水色も、紅の豚を想わせ、そのシーンの叔母様の口紅の色もジーナさんの描き方に似ていた。
食べ物が美味しそうなのもジブリ色。

合間に入るジャズもミスマッチだが逆にエンターテイメントで良い、菅野よう子か常田大希か上原ひろみか、作曲は誰だろう?

映画に出てくるバーでの酒のボトルがサントリーである事、SNSでのポスト、地震警報に慣れすぎてまるで動じない学生達、双子を育てる母親の預け先が休みな事、双子の面倒を見るすずめと双子とのやり取り、
上げだしたらきりが無いが、全てが現代令和日本としてリアル。
特に双子とすずめの遊び方はすずめが自分かと思った。

この映画は新海誠自身が地方を周って撮ろうと思ったとインタビューで見たが、
一体どれだけ取材をしたのか、あるいは新海誠自身が本当に人が好きなのだろうと思った。

彼はファンタジー作品を撮りながらも、人間を自分勝手に理想化しない。現実の人間を見て、現実の人間を愛している。

「自分に都合が良い、こうあって欲しい女性」
「自分に都合が良い、こうあって欲しい子供」
「自分に都合が良い、こうあって欲しい若者」
「自分に都合が良い、こうあって欲しい社会」
「自分に都合が良い、こうあって欲しい地方の人々」

ミドル世代の男性ながら、彼にはそれがない。自己中心的な発想がない。
それをしもなお純粋な心で、人間の良心と強さを信じている。
あくまで人を愛し、人の良心を信じ、ごくごく平凡な庶民に寄り添い懸命に生きる意味、希望を提示し励まそうとしているのが映画から良く分かる。

要石は人間の良い面も悪い面をも引き出すし(と言うか人間の心に要石が影響される)、人間の悪い面が増えれば災害を起こそうとする。
叔母様の「悪い本音(すずめがいなければ恋愛出来たのに~)」をも引き出す、でも勿論叔母様には良い本音もある、それが普通の人間だ。

人間のせいで象徴(それがオウムか、要石か、各々比喩は違うが)が災害を起こす、しかし人間の力(努力)で鎮める事も出来る、
そこまでは宮崎駿と変わらない。

しかし違うのは宮崎駿は時代の問題で、今ならまだ人間の努力で避けられると、避けようとして絶望した。
だから今宮崎駿は一人ゴミを拾っている。地球を破壊しては、温暖化し津波が来ては、人間も生きていけないと。

新海誠は、起きてしまった3.11、それをしもなお懸命に生きる人々、避けられなかった現実を受け止め、彼らの悲しみに寄り添おうと、それをしもなお前向きである。

辛い現実、悲しい災害、それをしも人間が変われば、すずめのように美しい心で努力すれば、要石は災害を起こすのを止める。
「君(人間)の手で元に戻して(人間の良い心で、災害を起こさない良い要石にして)」

テーマは、
「今を生きる人々の苦しみ、悲しみ、現実に寄り添いたい」
「絶望しなくて良い」
「未来は希望に溢れている」
「僕は人々にはその力がある、善良さ強さがあると本心から信じている」

絶望しなくて良い未来は希望に溢れている、懸命に生きる事、それは素晴らしい事なんだと言う前向きさ。

こんな時代にも関わらず本当に純粋な心を持ち続けている。まだ人間を信じている。
彼の描くキャラクターは恋愛においても何においてもとても純粋で誠実、新海誠自身がそうだからだろう。こんな誠実な心のままミドル世代になれた、地道に粛々とそう生きて来たのだろう、つくづく素晴らしい人だと思う。

だから、SDGSへの関心が全年代で一番高い学生や20代前半(実調査データ根拠だが、人生これからなのに津波で死んだらたまったものじゃないので当たり前である)に刺さる、世界に売れる。

新海誠は、所謂保身自分勝手老害おじさんの要素がひとつもないから学生にヒットするのだと思った。

細かい所で言えば、今若年層に流行している「エモい、チルい、ノスタルジー、曖昧なもの(昭和らしいイラスト、昭和らしい曲)」の流行理由、深層心理は、
「希望が持ちづらい世の中の中での、豊かだった日本への憧れ」「カテゴリ分けされたくないモヤモヤした複雑な心理、曖昧なものへの共感」
だからYOASOBIのイラストレーターは江口寿史に似ており、シティポップが流行する、
映画の中でドライブ中に流れる音楽はそうした若年層心理も抑えている。

令和としての名作だった。君の名はが良く分からなかったジブリ好きにも勧められる。
新海誠、とにかく人間が出来ている(笑)

宮崎駿を継ぐ人が出てきてくれた事が嬉しくて長文追記ばかりで申し訳ないが、

新海誠はインタビューで、君の名はのテーマを「運命の人は本当にいるんだよと伝えたい」と語っていた。

驚愕すべき純真なミドル世代だと思った(笑)
一体どれ程純朴な恋愛をして、そのまま一途に結婚して今なお幸せな夫婦なのか…と、つい思ってしまった

新海誠と言う人間にとっては、恐らくは「恋愛とはそういうもの」だと思っているからなのかもしれない…
微塵も捻くれていない稀有なミドル世代、彼にとっては普通の事なのだろう…

また、実は最近、とある人に怒られた事を思い出した。
ある企画を考えていたのだが、フォーラム21にも参加する彼は私の企画を聞き、

「典型的な勉強自体が好きな人間が陥る罠!!ヒアリングをしたって、その人達はマジョリティか?皆が大学に行けるのか?
君は地方を見て回ったのか?彼らの仲間に入れてもらって、話を聞いたのか?人々に必要なものを届けたいんだろう?
自分では自覚していない本当に欲しいものなんて、仲良くならなきゃ言うわけがないだろう!
僕はこの間復興支援で東北を見てきた。彼らは強いよ、本当に強い。感動したんだ」

と言われた事を思い出した。
新海誠も、同じように全国を回ったのかもしれない、と思った。

この映画を見て、「どんなに辛くても、ただでさえ闇落ちしても仕方ない時代に、これ以上自分が凄惨な経験をしないですむように生きよう」と励まされる人がいたら良いなと思う

少なくとも自分はそう思えた、世界情勢や現実が不安で希望が持てず辛すぎて、つい捻くれて闇落ちしそうな時に
「いや、やっぱり違う、これ以上凄惨な経験はしたくない、自分が幸せになりたいならこうすべきだ」と、正常な思考に引き戻して欲しい時に見直したい映画。

後半ラストの展開は確かにスピーディーすぎて理解が難しいが、恐らくは現代の若年層はタイパ文化があり、短くしないと見てもらいづらいので仕方なかったのだろう。
三回くらい見ればより詳細に理解できそう。だし、その価値がこの映画にはあると思う

ジブリを絶賛したが、実はジブリも一回見て分かる映画では全くないし笑、メッセージをどうにか伝えようと必死にエンターテイメント化している

巨神兵とはどう考えても核兵器の暗喩であり、紅の豚のフェラーリンは日独伊同盟時代のムッソリーニの配下、だからカーチスは「あのアメリカ野郎」と言われる

公開当時には第二次対戦経験世代も大勢生きていただろう。

学生の頃、「カオナシって何だったの?どうして湯婆婆の妹の所で嬉しそうだったの?」と聞いていたのを思い出した笑

世の中は常に優しいお人好しが損をし悪い人間に利用されるが、
結局長い目では最終的に成功し幸せになれるのは新海誠のような人間なのだ、
そしてそれは、いつからでも遅くはないのだ、と再認識出来たのが嬉しい。

リピートすると思う

何が凄いって、今この時代に悲観的ではない、現実を直視しながら前向きである、それが本当に嬉しかった。
平和ボケした我々には直視する勇気もなく考えないようにするか、絶望するか、インドのようなエネルギーはない。

「東京直下型地震が確実に来るって言われてるけど...」「世界で戦争が起こっていて、日本は全然他人事じゃないけど...」「何となく分かってる、だから前向きになれない、どうする事も出来ない、考えたら恐ろしいだけ、だから考えたくない。世の中や人生を良くするって、何を頑張ったら...今がちょっと楽しければ良いかな...趣味とか...」
大衆が刹那的、どこか悲観的、だから現実逃避する、そうなっても仕方ないご時世。

世界は構造が残酷なのだ、人間は歴史的に森を伐採し、仕方なく畑に食べ物を探しに来た家族意識が強く生涯一人の伴侶しか持たない狼を駆除し、品種改良した犬を愛し、にも関わらず捨てたりする。愛する飼い主に会いたくて健気に鳴くシベリアンハスキー達はかつて大量に保健所で殺されたと聞く。

人間は滅びてもこの世界では何も文句は言えない、かつての恐竜のように。けれどその世界の構造には悲しくて辛くて目を背けたい。

そんな時代に新海誠は前向きに人間を、私達を信じてくれた。君達は自分が思うより善良で強い、大丈夫だ、と。

宮崎駿へのリスペクトを強く感じる。ナウシカともののけ姫が好きな人間、日本のクリエイティブに思い入れがある人間は泣いてしまう。

この令和にまだ諦めていない、宮崎駿が生涯命をかけ訴え願い続けた人間と自然の共存、ごく普通の、庶民達が平和に暮らせる世界、そのSDGSを新海誠は受け継いだ。

宮崎駿は今まさに起きている世界中での戦争、現代日本人が苦んでいる社会、それだけは避けなければならないと、何十年も訴え続けた。

それは意識が高いわけではない、間近に迫れば人々はその凄惨さに耐えられず、恐怖に震え皆苦しむ、それはかつて本当にそうだったんだ、もう二度と誰も経験してはならないんだと。

けれど、豊かで平和な時代に生きる人々は、何故ナウシカがペジテとトルメキアを止めるのか、何故シータがゴンドラの言葉をムスカに伝えるのか、何故風の谷はトルメキアの侵略支配を最終的に逃れられたのか、自分達が今何をしたら未来の最悪の事態を避けられるのか、どれだけ訴えかけられてもピンと来ていなかった。

風の谷は国民一人一人が逞しく強かった、老人ですらコミカルながら戦車を奪い戦った。しかし侵略はしなかった、ペジテの姫を助けようとした。

巨神兵があるのに使わず、ナウシカはバランス感覚に長け戦う事も耐え忍ぶ事も出来、ユパ様は判断力交渉術に長け、
一言で言えば全体視野を持ち判断力があり優先順位を理解していた。

風の谷の民も、谷の為の優先順位として捕虜にもなるが、タイミングを待ち戦車を奪い、世界の為、谷を自衛する為ならば不屈の精神を持っていた。「わしらは水と風の方がええ」。
その結果としてペジテもトルメキアも風の谷の永世中立を認める結果となった。

当時から、小さな積み重ねで何をしなければいけないのか、自分の事しか考えない視野が狭い大多数の人間達には分からなかった。

「オゾン層の破壊って何?」
「なんで俺が今更異業種に転職しなきゃいけないの?終身雇用でもう部長なのに、会社潰すなよ!(国債でまかない大赤字、そのツケで少子化大不況)」
「とりあえず儲けなきゃ、ノルマがあるから売れれば良い!GDP?知らん!」
「国防?スイスを目指す?」
「イライラするなあ、ストレス発散で楽しいからネットで集団差別しよ」
「慣れてる事を今更変えるのなんて面倒(GDP悪化)」
「SDGS、多様性って何?面倒だなあ、とりあえず建前で理解したふりしよう、はいはい皆違う個性だよね否定しませんよ」
大多数が何故そうしなければならないのか分かっていなかった、恐ろしい事になると優先順位を理解していなった、小さな事で良いのに動かなかった

何故グレタちゃんがああ言うのか、それは温暖化は氷河を瓦解させ津波を起こすから、その恐怖は目の前に津波が来るまで人間には分からなかった。

経済発展は勿論最重要だが、地球が滅びたらそれ所の話ではない
人々が幸せに、毎日安心してご飯を食べられるように出来る事は何か、何を頑張れば凄惨な経験をしないで済むか、
宮崎駿、手塚治虫はその勉強量知識量から、それを世界中に訴え続け、自分以外の人々の幸福を願い続け、絶望し続けていた。

彼らは、それが出来ない個人の事情も理解していた。個人個人の事情に寄り添い、手塚治虫に至っては、あの東条英機すら「国民がご飯を食べられているかどうか、毎朝ゴミ箱をチェックしていた」と知っており、そういう一面を持つ人間だと描いた。

宮崎駿や手塚治虫のような教養深いマイノリティがいくら訴えても大衆は動かなかった。
長期的視野がなく、「まさかこんな時代になるとは」と思っていて、
教養層マイノリティがいくら訴えても手遅れになるまで実感がなかった。
大衆の多数派がやらない事はそれが当たり前となり、面倒だから、自分の利益にならないから、としなかった。
そして今の恐ろしい社会に自業自得で自分自身が苦しむ事になった。
その事を、宮崎駿は自分には何も出来ないと悲しみ絶望し続けた、けれど若い新海誠はまだ諦めていなかった。

新海誠も現実逃避をしない。昔は良かった、と逃げない。東京で成功した自分には地方やこの国、世界などどうでも良い、自分さえ良ければ良いと思っていない。

現実の今と現代の若者、現実の人々、起きている悲惨な出来事をその人達に寄り添って理解しようと直視している。
にも関わらず純粋な美しい心で前向きに人を信じ想っている、宮崎駿はもう絶望したのに。

けれど、エンターテイメントにしなければ大衆は退屈に感じてしまう。美麗な絵、ワクワクする美しい音楽、可愛い猫、コミカルな台詞、明るくキュートな女子高生、かっこいいキャラクター、飽きない展開、分かりやすいストーリー。
派手に、綺麗に、ファンタジックに、その中に秘かに想いを込める、平安時代の和歌の文化を持つ日本人が得意とする暗喩を多用して。トップクリエイターの真髄だ。世界に誇れる日本人だと思う。

新海誠という人間は天才であり、酸いも甘いも噛み分けた謙虚で温厚篤実な大人ながら、なんと優しく美しい誠実な心を持つのだろうと改めて大好きになった。
思い遣りに溢れ、人間が好きなのが良く分かる。




人間はね、ある程度年齢が行って来ると「絶対に間違っている!!このままでは駄目だ!!」とは言わなくなるんですよ、
そう言っても誰も動いてくれないから。

どんどん悪くなる世の中を眺めながら、それに怒り怯える民衆を見ながら、「だから、あんなに言ったのにな」と哀しい気持ちで諦めるようになる。
そこに至るまで何回かは号泣し絶望している、宮崎駿と同じです。

「仕事だから、そう言うものだから」と染まってゆく。

今の若い世代は優秀ですよ。一部が本当に優秀で賢い。
人工知能も扱える、学術的な先行研究を企業単位でしている、英語は基礎教養何人とでも働ける、時代を背景とし社会貢献意識が強くSDGSに向き合い新しいシステムを開発しようとしている。

どれだけ京都議定書がと言った所でじゃあイギリスはいつ何をして発展したんだとか、菅元総理大臣の原発対策で日本経済はどうなったとか、
小泉元首相が謳った代用エネルギーの実現可能性とコストはいつ現実的な段階になるんじゃあとか、
本当に難しい話なので考えさせられるし、優先順位を皆考えて欲しい。

で、優先順位を考えるとどれも最重要すぎて、個人的にはGDPを上げないと国防が出来ないので、~反対!活動よりも、個人個人が身近で出来る事をして身を守れたら、と思ったり
日本人は同調圧力が好き?と言うか、ちょっと判断に責任を持ちたがらず、ルールに従うのが上手い気がする。

良い事なんだけど、もうちょっと考えてみて欲しいと思う時もある
創意工夫が得意なのに、仕組み作りが苦手なのは何故だろう?

従順で疑問を持ちづらくて、真面目で使いやすい兵隊側って言うか…
かと思ったら「何でも反対!」さんが現れたり…
「これはおかしい!」より、「こうした方が良い!その責任は取る!」って言う人がもっといて良いし、それがもっと受け入れられて良い気がする
個人的には多様性は賛成で、つーか今更もうそれしかないだろと思っているし、もっとこうしようよも山ほどある。特に地方農村地域には言いたい事が山ほどあったが手遅れだった。
若年層インサイトと変化対応、技術流出って知ってた?と聞きたいマジで

何か変化に弱いんだよね。弱いと言うか遅い、遅いのに決められたら従う
誰かを責めてた方が自分で責任取るより楽、みたいな…

「置かれた場所で咲きなさい」という日本語はどういう経緯で一般化したのか、その言葉を今ウクライナの人に言えるのか?と心底疑問だが、
(キリスト教由来だとするならばフランシスコザビエルが布教したのか、何故いつ大衆化したのだろう?)
どうも「皆そう言ってるから従わなきゃ」と、個人の意見を持たない不思議な国民性。
皆が言ってるから何なんだ?自分の意見はないのか?
皆が気にしていないから、すずめは叔母に従い、叔母を怒らせず、何もしないべきだったのか?

何十年も前から制作会社のクリエイターの給与上げる構造にしないとGDP上がらんぞ人工知能やYouTubeやNetflix使って儲かるの米国だぞ今プラットフォーム(地主)全部海外じゃん日本言うほどマーケティング強くないじゃんどうせ売るの下手ならその職種の給与下げなよとかそもそも最先端のマーケやる頭脳はあっても技術がないんだよなんだあのマイナンバーカード読み取りアプリは研究費削りすぎだよとか

ドメスティックでやって来た癒着の名残を一掃しなきゃいけないんだけど、そうなるとその恩恵にあずかれなくなる人をどう納得させるか、と言う話もあるし、
「そんな事言ってる場合か?国防と直下型地震の話してるんだけど」と言う話もある

個人的に今考えている案は二種類に分けてその選択を自由化し納得共存する事。
①ボトムアップ、ディスカッションの実力主義、多様性、責任を負うでやりたい人
②丁稚奉公師弟制度回帰で、厳しくも暖かい師匠が全部面倒見てくれる義理人情で働きたい人

需要は両方あると思っていて、この二種類を日本社会に選択の自由として共存させられないか?と
少なくとも①が全員国外逃亡したがる仕組みではこの国は終わりだろうと

メタンハイドレートやレアメタルが掘れない理由も色々言われてはいるがど~もピンと来ない
かけた予算を回収出来るくらいの資源だと思うし、代用エネルギーさえあれば地震時の原発被害を減らせGDPも上がると思うが…

「GDPも上げる、災害対策もする、国防もする、その仕組みはこう!!使えるものは何でも使う!数がいてヒマならどんどん孫を育てろ!自分で選んだなら比べてる場合じゃないよし皆行くぞォ!」的な団結力が弱い

ただ徐々に変わって来ているのが、昨今、急に外資系のみならず日系企業までもが実力主義採用になりつつある。
日本という国は、これまでオードリータン氏のような天才が出てきづらかった。
単一民族故多様性を否定したがる国民性があったので、一概に悪い事とは言えない団結力があったりもするのだが、
悪い面で言えば社会主義的になりGDPが下がる、オードリータン氏のように、LGBTであり、かなり個性的、だが腰の低い人格者であり博愛主義的かつ聡明なデジタル大臣は日本で見た事がない。

IQが180ある子供が日本人には一人もおらず、台湾にだけはいたとはちょっと考えづらいので、
そういう人間は、この国の教育体制の不備と同調圧力により、幼少期に潰されて来たのではないかと思う。

もう少し時代が進めば、平均的でなくては困る上の世代が引退すれば、今度こそ才能を潰されない本当に聡明優秀な若手がこの国を良くしてくれる時代が来るのではないだろうか。

その時、そうした人間達が全員アメリカやシンガポールで働きたい、と言う国の環境のままだったら、もうこの国は本当に終わりだと思う。日本という国はなくなり、日本人はかつてのユダヤ人のように、全世界に生き残りだけが散らばる事になるだろう。

日本はほんの100年もたたない昔、人が一人一生生きる年数くらいの昔に第二次大戦があり、ほんのちょっと豊かで平和な時代があっただけに過ぎない国であり、
ローマ帝国は滅び、大英帝国は廃れ、こんな小さな極東の島国がGDPを極端に上げたが、
普通に起こりうる当たり前の変化にピンと来ていない危機感の無さ、ハングリー精神の無さ、変化に弱い右ならえな国民性は心から不思議だと思う
恐らく米国は日本人がそうなるようにしたかったのでは?

若い世代とディスカッションしたい、頼むよ本当に
私達より頭脳明晰で優秀ならば、どんどん私達を倒して欲しい笑
野田洋次郎の作詞も、全く同じような事を思って来たタイプだなと感じさせられる
子供達、10代、新卒の皆、どんどん勉強して、その能力で私達を薙ぎ倒そうと挑戦して来てよ。
君達が世界を良くするんだよ。
それで世界が良くなるのならば、私は喜んで君達に従い、君達がやりたい「良い事」をサポートしよう。
FilmloveMIT

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