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エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンスのohassyのレビュー・感想・評価

3.8
自分の現状に満足せず、「こうだったらよかったのにな」「こういう人生あったかもな」「どうして自分は今この状況にいるんだろう」と思考をめぐらし、自身に精神的なストレスを与えるだけでなんの意味も生産性もない時間を過ごすという無駄なこと、してません?
僕は、よくします。

そんな思考の末に残るものは嫌悪感と苛立ちであり、結果として人は攻撃性を纏うことになり、周りの人を傷つけ、周りの人を傷つけることを通して自分を傷つけることになる。
これはもちろん無いものねだりであり、自己肯定感の欠如であり、妬みと嫉みの仕業であるのだけれど、わからない人には全く分からないだろう。
仕事でもプライベートでもそういう思考が顔を出すことがある僕は、今の現状に対して感謝が足りないんだと思う。

そんな思考の果てに現状への感謝とユーモア、寛容を見出すことで、状況は変わっていないにもかかわらず不幸から幸福へとシフトチェンジするエヴリンは、幸せというものは環境ではなく心持ち次第なのだと伝えてくれる。
そしてシフトチェンジしたエヴリンの言動や表情は、周りをもその幸せの輪に取り込んでいく。

「もしこうだったら」。
かつて「パラレルワールド」と呼ばれ、今はMCUの影響で「マルチバース」と言われる多元宇宙理論に準えた物語が展開する本作は、ブラックコメディとも言える強烈な皮肉とオゲレツさを持って、強引かつ乱暴に話が展開していくのが気持ちいい。
果たしてエヴリンが経験した別の次元は、本当に存在したのか?それともただの妄想か?
そんな無粋な結論を本作は示さない。
今の自分も、存在する可能性のあった別の自分も、すべてはいつでもどこでもその瞬間にある。
あるいは、ない。
どちらでも、それはあまり重要じゃない。
そういうあらゆること全てをひっくるめたものが自分を形作るものであり、今の自分はその果てに存在する唯一のものだ。

次々に登場するユーモアとしては度が過ぎる表現も、その行き過ぎたユーモア描写があるからこそ、石として存在する静寂の世界が生きてくる。
哲学を、卓越した演出で映像表現に落とし込むダニエルズ監督の技量である。
めちゃくちゃ笑ったし、めちゃくちゃジーンと来てしまった

hahahaha hahahaha

人は1日のうちに3万5千回も選択をするというから、もう可能性は無限であるのだけれど、その細かな選択ひとつひとつは意識して選べないし、選択の先に何があるのかを知ることもできない。
だから、今の自分は自分が無意識のうちに選択してきたベストアンサーであると考えるしかない。
ベストとは言わないまでもベターであると。
現状に感謝し、楽しむことができれば、まあ大体幸せである。
もちろんそう思えない状況の人もたくさんいることも知っているけれど、助け合いながらやっていくしかない。

あらゆるものに動眼を貼り付けていく、懐かしのキー・フォイ・クァン演じるウェイモンドは、まさに人生を楽しむ達人である。
学ぶところが多い。

数えきれない映画パロディに、往年のアジアスターたち、その中で眩い光を放つジョイ役のステファニー・スーと、映画好きを唸らせる要素もたくさん。
パンフのインタビューでも言及されているテッド・チャンやカート・ヴォガネット的世界観も高次元で作り上げられていて、映画の完成度というのは予算や映像の美麗さでは決してないと、つくづく感じることができた。
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