レインウォッチャー

ホワイト・オランダーのレインウォッチャーのレビュー・感想・評価

ホワイト・オランダー(2002年製作の映画)
4.5
タイトルのオランダー〈oleander〉とは、キョウチクトウのこと。純白のドレスのような花から気品のある可憐さを感じるけれど、毒性をもつことでも有名だ。そのためか、花言葉は「注意」、そして「危険な愛」。

この花は言うまでもなく、主人公アストリッド(A・ローマン)の母・イングリッド(M・ファイファー)を指している。誰をも魅了する美しさと聡明さを振りまきながら、内面では芸術家ならではの自尊心と激情が渦巻く人物。
物語は、イングリッドが恋人の男を殺した容疑で無期刑を宣告されるところから始まる。突如親なしとなったアストリッドは、施設を介して里親を転々とすることになる。

イングリッドの娘に対する関係性は、支配的であり依存的であることが冒頭からうかがえる。まず目を引く長い亜麻色のロングヘア、髪色も髪型も2人はごく近く、母は娘の髪をいとおしげに撫でる。
それは、父親がいないぶん仲睦まじく暮らす母娘の姿にも見えるけれど、端々に感じる近すぎる距離感や母親の自分本位。単純に女優2人の相性が素晴らしく良いのもあって、非言語の情報が積み重ねられてゆく。

アストリッドが里親のもとにいる間も、母の支配力は弱まらない。手紙や面会を通して、イングリッドに自身の思想を刷り込もうとする。曰く、私たちは特別な存在で孤独であるべきなのだと、世間の奴等はみな愚かで心を許すべきではない、と。
このあたりからも、やはりイングリッドは娘を自分のコピーのように見ていることがわかるわけだけれど、アストリッドは様々な辛い出来事を経験しながらも徐々に自我に目覚めてゆく。(※1)

この映画はいわゆるティーンエイジャーの成長譚、親離れ・子離れの話と呼ぶことができるだろう。物静かな少女が、今であれば毒親とカテゴライズされそうな母親の支配を抜け出て自立する話。
しかし、今作をいっそう複雑で、だからこそ抗いがたく魅力的にしているのは、それでもやはり2人は母娘であり、何かを継承していくことの意味に、痛みを伴う美しさをもって寄り添っている点である。

アストリッドのもつ異性を惹きつける(惹きつけてしまう)魅力や、何より芸術家としてのセンス(※2)。これらは母の片鱗をどうしても感じさせるものであり、それがために彼女は幸せも不幸せも経験する。
それでも彼女がとった選択は、受け容れて共に生きることだった。それらの遺産をギフトにするのか呪いにするのか、猛毒と見るのか愛の花と見るのかは、誰でもないあなた自身が決めて良い。アストリッドもまた確かに、ひとひらのキョウチクトウなのだ。

全編を通して端々の直接的な描写(イングリッドが恋人を殺したのか、アストリッドがある男と決定的な関係をもったのか)は控えられ、淡い自然光の中で横顔だけに語らせている。
この距離感がたまらなく好みだったし、音数少なく包み込むピアノ曲もとても似合っていた(※3)。BD化や配信が成されていないのがとても惜しい傑作だと思う。誰かの母や娘であった方々に限らず、多くの人に触れてみてほしい。

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※1:終盤、アストリッドがある決意をもって母と対峙するとき、これ見よがしなほど母の好みとは正反対のファッション・メイクに身を包む。これは彼女の自立であり、武装だ。全編に渡ってファッションは重要な要素として表現される。実母に限らず、どの里親も服やアクセサリーを通してアストリッドをそれぞれの「枠」に(たいていは意識せずして)はめ込もうとする。

※2:アストリッドは画家志望だが、母と同じコラージュ作品にも取り組む。記憶や思考のパッチワークともいえるそのスタイルは、この物語にぴったりだ。愛も憎もないまぜに、作品として昇華する。

※3:この感じは、そうだ『レボリューショナリー・ロード』に激似…と思っていたら、やっぱりトーマス・ニューマン!捨てたもんじゃない、俺の耳。