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母性のbutasuのネタバレレビュー・内容・結末

母性(2022年製作の映画)
2.5

このレビューはネタバレを含みます

とにかく、自らが「母」になったにも関わらずいつまでも「娘」として愛情を注がれることを渇望し続ける、戸田恵梨香演じるルミ子が凄い。どうして彼女がここまで歪んでしまったのか、をもう少し深堀りしてくれるとより良かった。娘のことを自分が愛情を得るための道具としてしか見ていないルミ子のイカレ具合が本当に恐ろしく、目が離せなかった。戸田恵梨香の娘が永野芽郁って年齢どうなのよ問題も、ルミ子というキャラクターが強すぎるせいでそこまで気にならなかった。永野芽郁演じる清佳(この名前を初めて呼ばれるのがラスト前だという演出がたまらなく好き)がお母さんに好かれたくて色々と行動する度に、心底切ない気持ちになった。最初に住んでいるあまりに嘘くさいお屋敷とその後に住む家との対比も良いし、クソ姑の高畑淳子は相変わらず文句無し。

ただ、これ物語として凄いだけで、映画として良く出来ているかと聞かれると正直微妙だと思う。たぶん原作が凄いだけ。一番ガッカリなのは、全編に渡って延々と人物の心理をモノローグで全て説明すること。百歩譲って入れるにしても、清佳だけにしておくべきだった。ルミ子は説明しない方がよっぽど底知れなくておぞましいのに。

家の対比は良かったのだが、全体的に撮影やカメラワークが単調で、セット感が強すぎる。セリフ回しも不自然なものが多く、見ていて時代設定がよくわからなくなり混乱した。大地真央の現実感のなさはわざとなのかもしれないが、あそこまでいくともはやコント。

あと、ここまで引っ張っておいて和解があまりに呆気なかったのにも拍子抜けした。和解後の描写もほぼ省略。あの年まであんな生き方をしてきたルミ子が娘を認めるということは、もっととんでもない事態のはず。自殺未遂というのは出来事としてはもちろん重いのだが、見せ方が下手なのだろう、本当に呆気なく見えてしまう。結局姑の世話を献身的にし続けているルミ子は、根本的には何も変わっていないし、娘に対する態度が軟化しただけで、結局彼女は「娘」のまま、「母」になれない、なることを臨んでいないようにしか見えなかった。エンドロールに入る前に"感動的な"主題歌が堂々と流れ出したのには辟易してしまった。これ、そんな安易なハッピーエンドとして捉えるべき話かね?父親の浮気の件もなあなあになっててイライラ。

何でわざわざ冒頭に自殺した女子生徒の話題など出したのか疑問だったのだが、どうやら原作ではこれが清佳ではないかとミスリードさせるような構成だったらしい。なるほど、と思った。ところがこの映像化の仕方では何もかもが台無し。冒頭に大人になった永野芽郁を出してしまうことで、彼女が死なないことは確定してしまうし、女子生徒の話も意味がなくなってしまう。雑な映像化をしているなぁと感じた。

あと「母の真実」「娘の真実」と章立てをしている必要性が謎だったり、終盤に視点が変わると違うことが起こっていたというシーンを急に挟んだりして、どうにも作りがいびつだったのだが、これもどうやら原作では「母の手記」と「娘の回想」の違いを見せていく話だったと知り、納得すると同時に残念な気持ちになった。もう本当、何もかも台無し。しかもルミ子のモノローグは要らなかったと先述したが、"モノローグ"と"手記"では全然意味合いが違うのだ。こんなこともわからないのか。

原作読むかぁ。先に読むべきだったなぁ。
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