恋は人を狂わせるという。冷静な判断を欠いてしまう。しかし出会うことがなければまた互いに違う人間になっていたというのも紛れもない事実である。コネルもマリアンもそれぞれの孤独感の描写が繊細で、脆弱で、言葉足らずで、美しかった。彼らの関係に明確に名前をつけることはできないんだと思う。しかし友人や家族など誰かに紹介する時にその関係には名前がどうしても必然的になるわけで。それがふつうで。恋愛に限らず様々な場面で登場する「ふつう」という言葉の概念はなんだろう。ふつうである必要はあるのだろうか。明白に好きだという事実だけではだめなのだろうか。他人にどう伝えたら、話したら、正しいのかわからなくなってしまいそうな感覚になった。