青天を衝けの41の情報・感想・評価

エピソード41
最終回 青春はつづく
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Clary

Clary

最終回。 お疲れ様です、といいたくなる人生の終焉。 年を取っても可能な限り精力的に活動し、しかも生が長いと良きこともそうでないことも舞い降りてくる。幕を閉じた後、日本の戦争に突き進むその後を思うとなんだか居た堪れない気持ちになるけれど、そこから繋がっている現在。 当たり前ながら、時代は繋がっているものだということを思い知らされる。テレビではこの後の紀行でひ孫の雅英さんが登場していたのは近代を扱った大河ドラマならでは。テーマソングもひ孫の尾高さんが指揮してるし。 これだけ濃い人生だからこそ、振り返りのシーンはなんだかじーんときてしまった。
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とことこ

とことこ

とうとう最終回。冒頭の家康様の「是非皆さんに感じていただきたいことがあります。真心をこめて切り拓いた彼らの道の先を歩んでいるのはあなた方だということを…是非に!」という言葉が胸に響く。 敬三目線で語れる栄一の晩年。 前回のスピーチで語っていたようにまずは相手を知ろうとする栄一。高齢になっても精力的に平和を目指すために活動する栄一には本当に感服する。 自分というものをしっかり持ち、まずは外部で働きたいという敬三はさすが栄一の孫だと思う。 病床の大隈さんを訪ねる栄一。今まで色々な人に日本を託されてきた栄一がまた大隈さんにも思いを託される。80過ぎてもこの現役感!素晴らしい!と同時に思いを同じくする若い同士がいないことが寂しくもあった。幕末に攘夷を目指した経験があるからこそアメリカの日本人移民問題の重要性が身に染みて分かる。それはあの時代を知っている人でないと分からないものなのだろうか。 それにしても栄一の言葉に重みが出てきたなぁと回を重ねるごとに感じていたが最終回の今回は格別だった。 全ての言葉が胸に迫る。 栄一の一生を見て、栄一はいろいろ失敗している。その中でも一番の失敗というか心残りだったことは、やはり篤ニのことだろう。互いに気にかけている存在とはいえ歩み寄れなかった親子が再び抱き合ったシーンは感動的だった。 直前の兜町の事務所の全焼で失意のどん底にいた栄一にとって篤ニの無事、そして自分の身を案じてかけつけてくれたことはどんなに救いだったことだろう。 関東大震災の翌日からテキパキと指示を出し自ら動く栄一を見て血洗島に戻るよう説得をする息子たち。それに檄を飛ばす栄一を見つめる篤ニの暖かい眼差し。 「あれこそ、渋沢栄一だ」という篤ニはそばにいた時間は長くなくとも、ある意味一番「渋沢栄一」とはどんな人間かを「偉人」扱いされる前から見てきた人物なのだなと思った。 栄一の呼びかけで世界から支援が届いた。栄一の民間外交が身を結んだ瞬間でもあった。が、その後すぐアメリカで排日移民法か成立。戦意が高まる日本。 慶喜の「人は戦争したいと思ったら戦争するんだ」と言った言葉が脳裏に蘇ってきた。 中国の水災への募金活動のためにラジオで話す栄一。中国に日本が友人だと示すため、なんとしても!!という栄一の気持ちを汲んで家からラジオ放送することになった。久しぶりに栄一の「ぐるぐるする」が聞けて私もぐるぐるしてきた😆 落ち着いた声だが、力強い声でみんなに訴える栄一。前回のアメリカでの演説以上に胸に迫ってきた。 幼い頃、かっさまに言われた「みんなが嬉しいのが一番なんだで」 その思いを死ぬまで体現してきた栄一の生き方は本当に素晴らしい! 栄一の思いは届き、義援金はあつまったが、しかし…満州事変勃発😭 本当になんて愚かな! 本当に「棒ほど願って針ほど叶う」 篤ニが自分から栄一の手を握ったシーン。 以前は栄一が差し出す手を握れずに逃げ出した篤ニを思い出し、胸が熱くなった。 「青天を衝け」が面白いのは敬三が言っていたように「偉人」として描いていないところだと思う。「栄一、なにやってるの!」と栄一に突っ込みたくなること多数。そんな人間ドラマだったところがこのドラマの魅力だと思う。 敬三のスピーチのとき、疾走感あるBGMとともに過去の映像が流れてきたとき、音楽とともに胸が苦しくなり、栄一と篤ニが笑みを交わしながら草むしりをするシーンで号泣😭 篤ニの唯一の父との思い出のシーンを今の2人で。千代のことも思い出し、多分栄一の一番の心残りの篤ニとの関係が昇華されたようで心安らかに旅立てたのではないかと思った。 最後に血洗島で栄一が「今、日の本はどうなっている?」と言ったのは自分に言われたような気がして、自分に「励むべ」と言われた気がした。それを受けての敬三の表情がまた素晴らしい! 最後に青天を衝く敬三の拳が自分の拳と重なった。そう思った。 大河は毎年見ている。が、過去最高にハマって楽しめた。 まずは大森さんの素晴らしい脚本。 家康様をストーリーテラーにし、前半は栄一と慶喜を対比させていた構成、演出。個性豊かな人物をさらに魅力的に演じた素晴らしい俳優陣。 物語をさらに盛り上げる素敵な音楽。 血洗島のオープンセット始め、素晴らしい美術や演出。 そして細かく丁寧な「青天ナビ」! その全てが「新しい大河を作るぞ」という気概にみちていて、その熱量にやられてしまった。 今の日本とリンクすることが多く、「昔の話」ではなく、「現代に通じる話」「私に向けられた話」だと感じることが多く、それもハマった理由な一つだと思う。 「青天を衝け」に関わった全てのスタッフ、キャストの皆さま、本当に素晴らしいドラマを1年間、ありがとうございました🤗
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Toro

Toro

人は一人では生きては行けぬ。 一人ではなく皆嬉しいのがいい。 手と手を取り合おう。 当たり前のことをまさしく全身全霊をもって示すその生きざまは、今の日本人にとってどれほど刺さるのか。 時代は変われど人は変わらない。 その思いを紡ぐ一人でありたい。
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moon

moon

ついに最終回を迎えた「青天を 衝け」良かったーー‼️😭 書きたい事ばかりだけど、先ずは41話の感想から…長くなりそう😅 「彼らが真心を込めて切り開いた道の先を歩んでいるのはあなた方だということ」 家康公の言葉に背筋が伸びる想いがする。 本当にそうなんだよなぁ…!紛れもない真実。先人の方々 本当に感謝致しますm(_ _)m。 日本が外国から嫌われる過程は、近代史に疎い私にはちょっと難しい💦けど、栄一が民間で懸命に外国(特にアメリカ)と仲良くしようと努力して来たのが 報われないのは ショックであったろうな…それでも諦めずにアメリカから実業家を招いて親交を図ったり、アメリカに行くバイタリティ‼️既に81歳!4度目?! もう、スゴすぎる! 規則正しい生活と、沢山の人々に会う(援助したい)というモチベーションが渋沢栄一の元気の源だったろう…15時間も!働く!でも、家族や側近は本当に大変だったろうな…。それでも支えたいと思わせたのは、栄一の信念(皆に幸せを)が揺るぎないものと確信し、尊敬でき、期待したからだろう。 日本の移民問題は人の尊厳の問題だと言う栄一に 「渋沢さんは やはり凄い。長生きしてください。日本にはまだまだ貴方が必要だ…」幣原喜重郎の言葉に、本当に私も強くうなづいた。というか…今の世界に長生きして欲しいと思える影響力有る人物って居るのか?? 渋沢栄一が今 居て欲しい!と思う。 ついに大隈までが亡くなった。栄一を「八百万の神の一人になって欲しいのであーる!」と新政府に誘った彼が、栄一と共に明治を作り上げて来た最後の”戦友”いや”盟友”。栄一は何故か外国で友の死を知る事が多かったな…途中 噛み合わない事も有ったけど、最期はぼのぼの良かった。 ちなみに 日本で最初にメロンを食べ、皆に食べさせたいと初めて栽培したのも大隈重信。との事。マスクメロン協会なるものも作り、初代会長は伊藤博文だったそうだ😄 なるほど メロンにはハイソなイメージが漂う訳だ(笑)こんな史実を知ると、大隈も伊藤に失脚させられた事もあるけど、晩年は仲良くしていたんだな…お互い 長く生きて来たからなんだろう、お互い赦せる友に戻れたのは… この最終回は 孫 敬三の語りで描かれる。 栄一とその孫とのやり取りが 何だか癒される。 確かに 栄一は孫の未来を変えてしまって、敬三は恨んでもおかしくない。でも…実際の敬三さんの写真からも温厚な優しい人柄が伺える。栄一が是非と思うように 優秀な人だったのだろう。(敬三のその後の人生も映画やドラマになるくらいドラチックで栄一の孫らしく素晴らしい人物でエネルギッシュ!)敬三からおじい様の事を知りたいと言われ、「解剖はしないでくれよ」と言う栄一。笑った😄 関東大震災…この頃の出来事だったのだな!栄一は秘書らに助けられ、飛鳥山に避難。そんな中、佐々木勇之助から聞かされた事務所の全焼。そこには慶喜への聴き取りの資料や西郷隆盛などの手紙を含む多くの歴史的資料が有ったらしい。本当に無念でならなかっただろう…けど。 篤二が、父を心配して駆け付けて来た! 栄一は 涙ながらに篤二を抱き寄せる。「お前も無事だったか…良かった!良かった…」 このシーンを観て、栄一が篤二をどんなに愛していたか…、篤二を廃嫡したのは、栄一の愛情だった と、思った。この時代には廃嫡など とても不名誉な恥だったかもしれないけど、廃嫡する事で世間からの誹謗中傷も無くなって行くだろうし…自由に生きられる。それも考えての決断だったのではないだろうか?(実際、篤二は渋沢家(敬三)から生活費を援助されていたらしい) そして、篤二も …ずっと栄一から嫌われていると思っていただろう!だから、栄一から抱擁された時、信じられず驚きと共に、どんなにか嬉しかったろう…!戸惑いから喜びに変わる篤二の表情がいい。 資料を失った事より、篤二が失われずに良かった!栄一はそう思っただろう(涙) 家族全員無事が判り、(余震の中でも)安心してイビキかいて眠る栄一。(史実だそう、大物は違う!)どんな時も睡眠は大切(笑)翌朝 バリバリと働き出す栄一。そんな栄一を息子達が心配すると 烈火の如く「私のような老人はこういう時に僅かながらでも働いてこそ生きてる申し訳が立つ。分かったな?」『はぃ…』「声が小さい!」『はい!』「返事が遅い!」『ハイッ‼️』「ハイ」のやり取りがツボる!(笑) 「はい」のやり取りは?(笑)だが、これらも史実。栄一の考えに頭が下がる…尊い。「老人は守られる者」であっても、出来る事はしなくちゃ!働ける老人になりたい!その為に健康で居なくては!そう思った。 すぐに各所に「救護所」を作る事を通達したり、各国に救済を求めたり、やることが早い‼️早い‼️素晴らしい!災害には迅速な対処が何より重要だという、お手本! 自国の意地や見栄の為に助けを退けるなんて それで自国民を死なせるなんて事は あってはならない! 栄一のように 「助け合う」のが当然だと思う人だから、外国に助けて貰うのも躊躇しないのだろう。栄一には外国に知り合いが沢山いた事も大きい!外交ってこういう災害の時に大きく意味を持つものなんだろう。(日本沈没を観てたから更に感慨深い) 続々届く救援物資。「友とは、ありがたいものだ…」その友は個人に対してでなく、日本国民に救済の手を延べる…栄一がどれだけ国際的にも大きい人物だったかが解る。「ハインツ」ってこの頃から有るんだ!孫文が作った中華民国も助けてくれた!東日本震災の時も、真っ先に日本に救援物資(金)を送ってくれたのは台湾だった。この頃からの縁だろうか… この頃栄一は83歳!年老いてからの世情が本当に激動の時代。いや…少年期からずっと、激動の世を走り続けて来たんだな…日本国内から外国へと世界が広がっただけで。 ドラマではその後の栄一についてほとんど描かれず(時間が無く💦😫)残念だった。日本移民排斥法がアメリカで可決されたのは非常にショックだったろうが この後、栄一は更に平和への願いを国内外に伝える為の活動を更に続けて行く。「青い目のお人形」を通じての国際親善、またラジオを通じて、平和を訴える事を1926年から毎年29年まで続けていたそうだ。そんな活動やアメリカでの活動に対して、ノーベル平和賞に二度も推薦されたそうだ…(受賞されるべき人だった!)ご本人は関心無さそうだったらしい(栄一らしい(笑)) そして、最晩年が訪れる。孫達が栄一の前で歴史小説?を読んでいる。史実、読み聞かせられるのが好きだったらしい。 土方…の名に「彼は私の友人だった…」と懐かしがる栄一。(これも史実)孫達にとって、遥か昔の偉人が、祖父と友とは!テンション上がるよね!😄 思えば、土方に実際会った人で生きていたのは当時、渋沢栄一しかいなかったのでは?…何だか、長く生きる事の雄大さを感じる。 そんな中、中国で水災(水害じゃないんだ)が起きて…栄一はラジオで救援を呼びかける事に。自宅にラジオ局を持って来るなんて…栄一がどれだけ貴重な人物だったか解る。「ぐるぐるしてくる…」懐かしい(笑) このラジオ放送のシーン…40話の演説に匹敵するくらい圧巻で…惹き込まれた。本当に私がラジオでこの栄一の放送を聴いているような気がした。佐々木の目が涙で溢れそう…私もだ…。兼子…敬三…感動した。届いたよ!栄一! 「手を取り合いましょう。助け合いましょう。みんなが嬉しいのが一番なんだで…」 本当に大切な事だよね!改めてそう思った! 義援金は驚くほど集まった!! のに…日本軍のバカヤロウ!栄一の願いも努力も皆の好意も…水の泡に…😭 どんなにか…残念だったろう…。せめて栄一が亡くなった後で満州事変だったら… その放送二ヶ月後、栄一は病床に… そこには篤二の姿が…!何やら言いたげな手を今度は然と握る篤二。30年前はその手を怖くて握れなかった篤二が…🥺 「人間にとって親子の情とは永遠に切れる事のない特別なもの」そうなのだよ!そして…栄一の追悼の場で不意に挟まれた画像に私は胸を突かれた!栄一が草むしりする横で篤二が草取りしてる!微笑み合って…あの幼き日の悲しい記憶が、懐かしい温かな記憶に生まれ変わる…きっと震災の後での一コマであろう…素敵なシーン…泣いた。 「もし死んだら教えてくれよ…」と思わず笑ってしまうような事を言って兼子を見て微笑む栄一。 最期まで…人を悲しませないように思いやる栄一。静かな臨終だったそうだ。 渋沢栄一の伝言…「死んだ後も皆様をお守りするつもり どうか他人行儀にしないでください」(この伝言も史実)なんだろう…あれ程凄い事を成し遂げた人とは思えないほど、謙虚な想い… 敬三が言う通り「お疲れ様」「よくやった」の言葉が栄一にはピッタリなのだな…☺️ ラスト 血洗島…敬三には見えるのだろう…これからも励むぞ!と走り続ける栄一の姿が…敬三が栄一の想いをしっかり受け継いで行くんだ…! そして…今を生きる私達が栄一の平和への想いを然と胸に刻み、歩んで行かねば!と…改めて思った。 91年の生涯を見せてくれた今作。これぞ大河‼️と思った! 栄一は攘夷に燃えたかと思えば、仇と思っていた幕府側の一橋家の家臣となり、挙句に幕臣となってパリまで行き、帰れば今度は幕府を倒した新政府の役人になり、その後民間人実業家になってと…目まぐるしく変化に富んだ人生を送って来たが、それは全て「皆んなが嬉しいのが一番」という、一本の大きなブレない「志し」を求めるが故の変身であって、栄一自身の根は一生変わらなかった!そして、栄一が人生を最後に目指したのが「平和」その為の民間外交だった。それが本当によく解った! 時代の変遷と日本人と文明の変化を渋沢栄一という人間がど真ん中で どう思い、どうもがき、どう切り開いて行ったか、そして、渋沢栄一がどれほど素晴らしい人物だったのかを そして、もう一人渋沢が敬愛して止まなかった徳川慶喜という人物の隠された側面と その偉大なる功績をも同時に提示してくれた事。 最終回 栄一の死までを描く事で、悠久の時間、栄一が生きた時代のスケールの大きさをヒシヒシと感じた! 本当に素晴らしい 正に「大河」ドラマだった‼️ 大森美香さんの脚本の人間を細やかな視点から描く素晴らしさと、時代の大きなうねりを新たな視点から描くワクワク感、それを見事に演出して私達を毎週トキメキと感動に誘って下さった演出と、スタッフの方々の絶対に良い作品にしようという意気込みが伝わる。そして、何よりキャストの魅力溢れる演技!本当に「お見事!」というしかない‼️お疲れ様でした!ありがとうございました! ここからは 雑感を交えた色々な事(笑) 渋沢栄一は本当に興味深い人物だ。あれ程凄い功績を遺したのに女性問題で家族を悩ませた(笑)孫娘の一人は「子供の頃はとんでもないヒヒオヤジだと思っていた」と語ったという。兼子も論語には浮気を戒める言葉が無いから…とイヤミ(笑)を息子に言ってたらしい。それでも、確かに魅力溢れる人物で、老若男女に愛された方なのだろう。葬儀に4万人もの人々が列を作ったのだから。会ってみたかったな… 敬三にトイレの紙を確認させ、掃除するシーン…これにも意味が有る(演出) 栄一は帝国ホテルを作った。このホテルには渋沢栄一の細やかなおもてなしの教えが今まで絶える事無く伝えられていると知った。ホテルのスタッフも喜んでそれに応えている姿を見て、胸が熱くなった。 そして、最終回では栄一のユーモアの有る面も幾度か描かれた。本当に栄一はユーモアのセンスが有ったらしい。「死んだら…」というのは「脈が無くなったら教えてくれよ」と医者に臨終間際に言ってたらしい。(ドラマでは兼子に…良い演出だった。)落語がとてもお好きだったそうだ。落語だけではない、日本の芸能(歌舞伎 能など)、芝居なども大好きだったらしいし、支援もした。帝国劇場は栄一達が作った。インフラ整備、経済だけでなく、娯楽も振興した。ビール会社も作った。渋沢栄一が関わった会社はどれも「平和」と「人々の幸せ」に通じるものばかりのようだ。 昭和を迎えた時、栄一はサシで昭和天皇(26歳くらい?)と昼食をとりながら話をしたそうだ。もちろん、天皇が招いた。今では考えられない。いや…昔も今も、民間人が天皇と昼食を二人きりでなんて有り得ない!本当に凄い。もし、本当に栄一が100歳まで生きていたら…日本は大戦に進む事を回避出来たのかも…タラレバは歴史には無いけど、栄一の死後、日本や世界は暗黒の世になって行ったんだな… 「平和」を最期まで諦めず伝えた栄一!本当に素敵だ!! ちなみに、栄一の亡くなった日は11月11日「世界平和記念日」(第一次世界大戦終結記念)だった。1926年から続けたラジオ放送もその日だったという。 そんな平和を愛した栄一を 吉沢亮さんが魂を込めて演じてくれた!その事が、何より嬉しい‼️ 巷では いつまでも栄一が老けない、もっと老けメイクせよ!との感想が40代を迎えた頃から出始め🥺、私も流石に60代の栄一が同年代の人物より若々しいのが気になっていたが💦、 この最終回終盤にになって一気に老けた(笑) それが、この大河における栄一の描き方だったんだと…吉沢亮さんや演出家さんが仰った事の意味がよく解った! 死ぬ直前まで、走り続けた栄一の「内面の年齢を外見で表して」いたのでは?内面の年齢(常に青春期)と栄一のほとばしるエネルギー!を。 85歳を超え、91歳の栄一が一気に老けメイクだったのは…栄一の最期が訪れる事、緩やかに走るようになった栄一を描く為。 賛否両論有るだろが、渋沢栄一の生涯を描くには これが正解!だったと私は思う。 それに、顔は若々しいが、吉沢亮さんは背中の丸め具合や佇まい、話し方、歩き方、表情で徐々に年齢を重ねて行くのが素晴らしかった。栄一の13歳から91歳までの78年間もの人生を ただ一人の俳優が演じるという事の凄さよ!今まで 誰もやってない!事じゃない?! というか、こんな長く生きた人物が主役だった事はかつて無く、これからも無いであろう…。北斎だって90で亡くなった。 この大河は渋沢栄一の経済人としての功績より、もっと大きな志しを描くのがテーマ!とすれば、幼少期から青年期までが超重要だった!栄一の生涯青春の精神を描くには、やはり若い俳優が適任だった! それを吉沢亮さんが 本当に見事に応えていたと、本当に素晴らしい、人生を人物を魅せてくれたと、嬉しくて堪らない! 本当に 素敵なドラマをありがとうございました!! まだまだ 書き落とした事がいっぱい有るけど、長くなったので…この辺りで。(書きたらな〜い💦😫) この取り留めないレビューを読んで頂き、本当に本当に感謝致しますm(_ _)m
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大阪ぶたまん

大阪ぶたまん

このコメントはネタバレを含みます

栄一の生き方だな。 サムライのビジネスに生きた。 田舎もんの境地。 必ず自ら観て、触れて、聴く こと sns社会、コロナ禍の今こそ大切だ!
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skmovies

skmovies

みんなが栄一を呼ぶ声に泣いてしまった😭
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