トケグチアワユキ

日曜の夜ぐらいは...のトケグチアワユキのレビュー・感想・評価

日曜の夜ぐらいは...(2023年製作のドラマ)
4.8
全話完走後、時間をかけ苦しみぬいて書きましたレビュー (2023.10.12.)

岡田惠和もいよいよ老齢の域に足を踏み入れ、ここ数年はある程度のルーティンともいうべき設定でドラマを書いている。
もちろん例外はある。テレ東の年始単発とか原作モノとか。
でも、プライム帯オリジナル連続ドラマは基本、以下の要素で設定されている。


○ ある種の群像劇であること。
○ メインの配役は、何らかのハンディキャップを背負っているか、ハラスメントもしくはそれに類する環境下に置かれている。
○ しかし健気だ。世をスネたりしない。運命を受け入れている。
○ UNITYの心を忘れない。
○ 理不尽と戦うことはあっても、主人公たちへのカウンターとしての悪役はいない。対抗軸ありきでストーリーは進行しない。

「姉ちゃんの恋人」や「ファイトソング」にもあてはまるこの枠組みをどう捉えるかはドラマを見る人によるだろう。
悪と戦うことにしか、勝つことにしか、おもしろさを見出せない方々には、なんだかぬるいキズの舐め合いにしか見えないかもしれない。


働けど働けど、生活はけっして楽にならない。
最下層までは行ってなくとも、みんなワーキングプアであることに違いはない。
小さな悪意にさらされ、夢や希望を持つことさえ不毛にしか感じられない。
若くして諦念がへばり付いている。
このドラマはそこからスタートする。

3人の20代女性とひとりの男性は、いきなり運命の出会いをし、圧倒的幸運に恵まれる。
つまずかないよう自分の足元に注意を払い、今、せいぜい今夜までだけを見て生きてきた4人は、この幸運に戸惑い、しかしいつの間にか心に少しの余裕が生まれ、ほんの少しだけ先を見渡す目を持つ。
もちろん小さな困難に相変わらず付きまとわれるが、もう明日、そしてその先を見ることを知ってしまったし、歩き出してしまった。

そこからのドラマは一直線だ。
何のひねりもない。
ひたすら前を見て走る。
手を携え、ともに夢を見て、希望に満ちあふれる。


人はすべからく幸せを希求する自由を有する。
そんな基本的人権の中心、核の最もまんなかにある真理を愚直なまでに積み重ね見せてくれる。
これを美しいと言わず、何が美しいのか。

私が岡田惠和に絶大な信頼を置いているのはここだ。
信念ともいうべきルーティンは、テレビドラマを毎週たのしみにしてるような小市民(←私のことね)に、慣習だの常識だのといったクリシェで丸め込もうとする世間のモラハラから自由になっていいと寄り添う。




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フジのドラマプロデューサー清水一幸がABCに転職し、まったくセンスも能力もない朝日系列のドラマ制作を手掛けるにあたって、枠の新設と岡田惠和の起用という、朝日系ドラマは生まれ変わります宣言みたいな感じのドラマ。

制作受けも朝日系列ではなくFCC(Fuji Creative Corp)を使ってて、ファーストカットからフレーミングをはじめ画づくりが堂に入ったもの。
一気に第3話まで観ましたが、きちんと結果が残りそうな序盤です。
ま、テレ朝はどうせ東映大泉との関係を続けるんでしょうが、少なくともABCが全国ネットに固定のドラマ枠を確保することで、風向きが少しは変わるんじゃないかと期待してます。

完走後改めて追記とスコアリングします。