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ロリエ・ゴドローと、あの夜のことのkoのネタバレレビュー・内容・結末

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このレビューはネタバレを含みます

グザヴィエ・ドランの引退作(><)
ロリエ・ゴドローと、あの夜のこと。
ロリエが誰であるかは序盤に明かされ、あの夜に囚われて崩壊した不安定な家族と、真実を知っているらしき者が怯える様が描かれる。あの夜とは一体…!
過去と現在の入れ替わりが多いが、スムーズかつ劇的で見事。

ごちゃごちゃだけど思ったことを殴り書き。適当いってる。
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OPに象徴されるほぼ全編サイコスリラー的演出が過剰にdramatic。ドラマファンのドランが作ったドラマ的演出を倣ったドラマチックな物語だった。
全5話で最終話までの間、水のない雑巾を搾り続けてるかんじだった。スリラーの起因として、隠された”真実”も犯人もわかりきっているし弱い。でもそれが狙いでもある。
サイコスリラーが最終話の種明かしから突然視点が変わり、ラブロマンスになるという意図。たしかに効いていた。

なんだか柄じゃないことをやっているなと思ったら、ケベック、家族喧嘩、絶対神母親(アンヌ・ドルヴァル)、ラスト全てを繋ぐ重要なピースがgayの許されない愛と苦悩…などとめっちゃドラン。
(ジュリアンからエリオットへの束縛と、ミミのソフトSM趣味なんかはトムアットザファームみあった。)

ドランの作品って捲し立てるとこは思いきり耳障りに、劇的なところは思いきり劇的に大衆音楽をかけ、静かなところは思いきり静かな印象。
今回はほとんどのパートが喧嘩or劇的で、演出と音楽にゆとりがない。
不必要に脅かしたりして、意図的に緊迫感を維持してる。でもたしかにこれならチャンネルを変えないし毎週欠かさずみるかもね。
一部の大規模ドラマの正攻法って、作品としては少々乱雑で筋が通っていないもので、それが固有の良さなのかなっておもった。
(一度の放送で時の流れは左から右に一方通行、その時々に夢中になり、さいしゅう解決すればOK。人の生涯に似てるとおもった)
もともとドランは過剰な演出をする人だし、なるほどこれがドラマになったときの魅せ方か….と感心したのと同時に映画のドランを好きな身としてはむず痒い。最高の芸術をつくれる人が、過剰すぎてある視点からするとチープなものを好んでつくってる。

筋が通ってない箇所
→→ドゥニとエリオットの幻覚、ドゥニのごみ屋敷、エリオットの自傷行為アル中ヤク中、ミミのSM趣味、ジュリアンを脅かす黒ずくめのロリエ、実は数年前に再会して話していたにも関わらずミミが帰ってブチギレるジュリアン、ミミが憎しみながらも黙ってジュリアンの嘘を守る、一番重要な”嘘”が不必要(gayが許されない時代,環境だったとはいえ、ロリエがミミをレイプ未遂したとまで言う必要ない)

〈最終話〉
たった1つの大きな嘘”👉”からの家庭崩壊、悲劇のシークエンス。
病室で打ち明けるパートはジュリアン含め全員セリフなし。
回想→車内のミミと庭を手入れする母マドの電話(><)穏やかな時間、顔が解けて嘘のない涙。
施設に戻るエリオット。
ボロボロのジュリアンの背中をみつめるロリエ。

ドラン作品に共通してみられる特徴だけど、このドラマ「不作為の嘘と不作為・無作為の愛」ってかんじだ。
ジュリアンは保身のための作為の嘘。
ここですごく気になったのが、登場人物全員の不作為の嘘の多さ。不作為の嘘っていうのは非積極的な嘘で、たとえば黙秘みたいなこと。
独特の言い出せない圧力が常に空気中にあって、だれも気休めの嘘すらつかない。この文化圏やフランス語、脚本の間の取り方がおもしろい。国外の気遣いや同調圧力に興味があるからすごく印象的だった。
黙っているからこそ痛みや苦しみがそのまま顔に溜まっていく様がめっちゃ見応えある。
(ジュリアンとミミが)口角を上げたり、気丈に振る舞う演出が過多。
それがトータル5時間もあることがしつこくもあり贅沢でもあった。
ジュリー・ルブレトンのクローズアップの顔、忘れられない。みんなドラマ俳優の顔だよね。
パトリック・イヴォンの口角と綺麗な歯並びがグロい。ポーカーフェイスがサイコパスすぎて最後まで理解できなかった。いい家柄の優秀な長男で、世間から見たときgayじゃなければ完璧だった。gay(バイセクシュアル?)であることも過去の罪も隠して家庭もって生きているんだから、苦悩多いしサイコパスにみえるのもわかるけどtoo muchに感じた。

不作為の愛(消極的な愛)も印象的で、ミミ→ジュリアンの愛がめちゃ重要。明確に憎んでて愛称で呼ばれるのをハッキリ拒否し続けてるくせに、被害を被ってべつの街で暮らして嘘を貫く。ばかでかいのに、すごくすごく消極的な愛ですごい。
また愛ってほとんど無作為なものだと思うけど、特に恣意的な選定なく愛してしまうことを無作為と言ってみる。その時代の世間体にそぐわないgayのロマンスはそうかも。また子から母への愛はいつもそういう面を持っているとおもう。だからこそ、ジュリアンがあんな大きな嘘をついたのがもし母に愛されたくてだとしたら納得だった。
兄弟間の愛情っていうのもそういうものな気がする。この兄弟も複雑で消極的で理由のない互いへの愛情をもってる。ほとんど喧嘩しかしてないのに、その裏に愛を感じさせててお互いそれを理解してるの、無作為かつ不作為の愛(理由はないし行動も伴わない愛)すぎない?とおもった。特にミミ→ジュリアン。

今回ドラン演じるエリオットはストレートだった。不安定なことの起因が不明だし、演技あまり魅せられてなかった。

さすがに母マドの描写すげえすぎる!ドラン作品常連のアンヌドルヴァル(><)
ドラン作品の母にしてはわかりやすく優しいパートがあって驚き。
フェミニスト活動家として活躍してる母親から、朦朧として取り乱す死に際まで演じ切られてる。
昔のパート美しすぎて震えた。成功願望や独断行動が子供からしたらすごく嫌なんだけど、母親として理解してくれてもいる。
ミミにハロウィンパーティに行くよう優しくたのしく促して、少し明るさを取り戻したミミの声を1階で聞いて心底嬉しそうに微笑むの(;ω;)
数年越し?のミミからの電話にでて「電話が鳴ってすぐあなただって気がしたの」と穏やかに喜んでたわいもない話をツラツラ取っ替え引っ替えしてくれるの(;ω;)
いつもいつも世間話も説教も捲し立ててきて普段はすごく腹立たしいのに、それがないと生きられそうにない。それが愛なの。
これぞドランの絶対神母親。
でも彼女のあたたかくて上品なところと荒さが乖離してて、同一人物におもえないくらいキャラクター像が雑に感じた。ドランの描く母親って違うじゃんそうじゃないじゃん…って少しがっかりしてしまった。
第一話は長男に当たり強い母に見えて、んー、、ミスリードに母親使ってしまうんだぁ、と、、こればっかりは本当にスリラーみが邪魔だったなぁ。

母親が死ぬところから物語がはじまってるのは興味深いね。

シャンタルかっこええ唯一自律してるキャラクター😻🫶あとふつうにロリエがバチイケメンで泣く、でもドゥニがNo. 1結婚。

またみる😆

・母→ジュリアン「あなたはだめ」と言って死
・ロリエのピアス
・「それでも愛してる」ルビーの指輪…!

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グザヴィエ・ドラン、間違いなく偉人です。第七芸術と愛を撮ってくれてありがとう。
もし帰ってきてくれたら、また。
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