東大KOSSのクィアの授業にて扱われていたために鑑賞。
コミュニティの治安の悪さ、業の深さ
映画って、ただ煙草吸って、それがモノクロの画面を白くして、毒にはならない会話をして、時が流れても退屈しなければ、ただ都市の凍てつく風景が流れ、クラッシックが流れれば、ロックがあれば、それがゆったりとし>>続きを読む
最初に机が斜めに曲がったラインのまま映された時から、このカメラは好きな気がすると思った
不在の誰かを語るとき、その人は何かに傷ついている。歴史や戦争、社会など大きなものに何かが奪われたことを語るため>>続きを読む
分裂症と人類を読んだばかり
魔女狩りと家父長制、男なんて燃やしてしまえ!好きな男とは結婚するな!なのが凄い希望に感じてしまう
デュラスが自己治癒型を誘う物語であるのに対してこちらは他責の可能性を含んで>>続きを読む
ケアという言葉がキーワード化する時代における“老い”についての作品、perfect daysしかり、老人が主人公になり、しかしそれは同時に私たちの世代が主人公なりえないことでもあった。若い時が全てでは>>続きを読む
結局私はまだ若いので、そもそもこのドラマを必要としていないんだと思う。こういう工夫を積み重ねると良いよねっていうこととか、揺れる木なんかは散歩でほぼ自分のやってることと変わらない部分ではあった…歳をと>>続きを読む
こんなにダイレクトで良いのかな?って。表現力の高さは理解できたが、ロシアに抑圧されたアニメーションの本当に難解な隠喩を知っているから胸が痛んだ。
当時は“物として”“内容よりは”=実験
今の編集は、物を扱っていない
コンセプト、意図←現在
“…そして、このエロスは、近づきえないものの中に、その欲望を向け続けるのである。”(アガンベン)
倫理の教師がエロスせよ、と言った
バタイユもアガンベンも吸収
何の違和感もない前半部分
好きなことを鼻と鼻でキスしてたしかめる
ここは天国
それは最近地域作業所へ行った時に私が思ったことだった
そこの人々は寝転んだり、テニス部という名のバドミントンをして、私はラリーが続いて欲しくて、羽が来るたび願ってた、きっとその気持ちを彼女>>続きを読む
中沢新一のアースダイバーと田中純の都市の詩学で、カエルと縄文時代と女性とエロティシズムみたいなことが描き出されてるんだけど、特にアースダイバーの方はバタイユの「宗教の儀式」における生と死のイメージに近>>続きを読む
インターネットを通した匿名の他者とのコミュニケーションにアメリのスタイルは通じていると思う。
それが現実に起きた時にアート化する
人と人をくっつけようとして結局くっつかない
フィギュアスケートの>>続きを読む
ヨーロッパというイメージ
そこに戦い、パレスチナと呟かれ、列車に揺られている
列車は国家を望むユダヤ人と、キャンプへ行く飢餓状態の彼らを乗せる
一神教
本当は、色は見えなくていいということ
次回の>>続きを読む
ドラマの破壊
キムチ鍋食べながら見る
トイレに行って消える
意外な子がきちんと見てる
昨日は気圧なのか偏頭痛があり、駅に着いても沈んでいた。頭を下に向けてインスタグラムの下らないオススメをぼんやり見てなかったような時間。ふと声が聞こえて顔を上げた。
「静かですよ〜〜ほら、そこ。(鳩)」>>続きを読む
ロシアの父の不在
顔は見えないのに気配が感じられる序盤
斜めって歪んだ画面
散歩する
a「これは何の映画なの?」
b「わからない。友達が」
a「えぇ」
男が二人キスして踊って死んだことしかわからない
なんだ このカメラ めちゃくちゃ遠い…目が悪いから人と風景が溶け込んで見づらい…>>続きを読む
クリスマルケルの嘘が好き。
愛
現代フランス哲学史
イスラエルとパレスチナ
本当に抱きしめている時それは軽い
もう二度と振り返らない人の目線を捕獲する
英字幕で観ていると、細部から読み取ろうとするから、役者のつっかえだったりがよく見えるようになる
リュミエールの初期映画の人々は演じていなかった。今の映画みたいに“演技が下手”な訳でなく。下手なのは騙そうとするから