ボーイ・ミーツ・ガールにホラー要素を足し合わせたような映画だった。暗い青春映画とも言うべきだろうか。
14歳を迎えようとしている少年バスティアンは両親や幼い弟と共にフランスからカナダ・ケベック州>>続きを読む
ロードムービーに即興撮影は付き物だ。決まったシナリオは無く、実際に旅をしながら撮影する手法だ。『雨の中の女』や『イージー・ライダー』がこれに該当する。ヴィム・ヴェンダースの『さすらい』もそうだ。>>続きを読む
北への旅路となると、『幸福の黄色いハンカチ』を想起させる。だが、今作はあの映画のように快活ではない。暗くどこまでも孤独だ。
主人公の陽子は夢を追って上京したが挫折し、42歳でフリーター生活を送る>>続きを読む
ルイ・マル監督の『鬼火』を現代のノルウェーに置き換えた作品だ。場所と時代は違えど主人公の設定は同じだ。30歳を過ぎ、何者にもなれず、自殺願望の強い男。尤も、『鬼火』の方はニヒリズムだが、本作はナイー>>続きを読む
舞台はフランス北部にある町、サントメール。若き女性作家ラマは次回作の取材の為、ある裁判を傍聴する。被告は生後15ヶ月の娘を置き去りにし、殺人罪に問われたロランスという女性だ。
ロランスはセネガル>>続きを読む
モダンな映画だと思った。一方で、悪夢のような出来事の数々が観客を困惑させるとも感じた。
殺し屋がランキングされ、全ての殺し屋がNo.1の座を狙って凌ぎを削る世界。この設定だけでまずおかしい。宍戸>>続きを読む
是枝監督の『怪物』と同じ匂いを感じた。但し、『怪物』と比較すると大人の醜悪さは無く、今作の方はより繊細だ。
花農家の息子レオと幼馴染のレミは親友であり家族のような間柄だ。昼は花畑や田園を駆け回り>>続きを読む
野球映画ではあるが、試合のシーンは殆ど出てこない。主役は選手たちではない。主人公はビリー・ビーンというGM(ゼネラル・マネジャー)だ。
ビリーはかつてニューヨーク・メッツの新人選手として期待され>>続きを読む
ソ連製作のSF映画と謳われているが、どちらかというと哲学の側面が強い。キューブリックの『2001年宇宙の旅』と比較されるが、監督のタルコフスキーは否定する。人工的な感じがする『2001年』に対し、今>>続きを読む
一度は栄華を極めた者が、様々なことが積み重なり、転落していく。マーティン・スコセッシの映画に出てくる登場人物たちはこうした結末を迎えることが多い。今作の『カジノ』も例外ではない。
時代はマフィア>>続きを読む
映画の構造的に『十二人の怒れる男』に近い気がする。12人の陪審員が1人の男を有罪か無罪か議論する映画。今作の場合は、議論するのは総て女たちで、題材は自分たちを犯した男たちについてだ。
舞台はキリ>>続きを読む
これまで何気無い日常の断片を切り取り、丁寧に描写してきた是枝裕和監督。だが、今回は御伽話の要素が強い作品だったと思う。これは、脚本に坂元裕二が加わったことが要因だろうか。
舞台は大きな湖のある郊>>続きを読む
父と子のひと夏の経験と聞いて、ソフィア・コッポラの『SOMEWHERE』を連想した。確かに繊細な味わいはある。ただし、不穏な気配が漂っているのが『SOMEWHER』との違いか。
11歳の娘ソフィ>>続きを読む
リディア・ターは世界最高峰のオーケストラの一つであるドイツのベルリン・フィルで女性初の主席指揮者に任命された人物だ。これだけ聞くと伝記映画に見えるかもしれないが、ターは架空の人物である。
ターは>>続きを読む
老老介護を題材にしているが社会派映画ではない。これは愛についての映画だ。ただし、監督がミヒャエル・ハネケと聞くと多くの映画ファンは首を傾げるかもしれない。なぜなら、彼の映画は好き嫌いが分かれやすいか>>続きを読む
映画監督のフリッツ率いる映画クルーたちはポルトガルの海岸でSF映画『ザ・サバイバー』のリメイクを撮影している。だが、資金難によって撮影は中断を余儀なくされる。フィルムは無く、スタッフにギャラを払うこ>>続きを読む
今作は黒澤明の名作『生きる』を1953年のイギリスに置き換えたリメイクだ。但し、リメイク版は優雅さが滲み出ている。これは、脚本を務めたカズオ・イシグロの功績が大きい。
主人公はウィリアムズという>>続きを読む
ダーレン・アロノフスキーは『レスラー』でミッキー・ロークを復活させ、『ブラック・スワン』でナタリー・ポートマンにオスカーをもたらした。『ザ・ホエール』ではブレンダン・フレイザーだ。フレイザーは『ハム>>続きを読む