傑作。
ただただ、自分達のそばに彼らもどんちゃんも生きてます。
あーまた売れても売れなくてもいい彼等に会いたい。
沖田映画の真骨頂でした。
品のいいホンサンスのような、誰もさいあくでもなく、誰しもが彼等彼女のように必死に生きようと思ってるが、映画を観ながらホンサンスなら、どう思ってるんだろうと思ったり笑
冒頭の難民の子供を救う健二も鳥と会話するゆりも、10年を経て、ヘルプレス。
青山監督はそこにずっと救いを、今の社会のように陽の当たらない人間にヘルプを。
地続き評価ですいません。
いつまでも傑作でした>>続きを読む
音楽が人を殺すんだという中原昌也が音楽が救うことを信じて奏でる2人を青山監督が見つめて、そっと断絶された窓に手を置いた。
再見。
ざらついてて、生きているだけなのに、救われない。
救いを求めて、バイクも車も走るが、最後は自分の足で歩くヘルプレス。
心がぎゅっとなるのは、生きてるということ。
彼女の贖罪も彼らの事象も説明過多にならないまま、穏やかに壊れていく。
皆、忘れたいふりして、水に流すことは出来ない。
地図から消えてしまう町は日本にもあるだろう。
消えそうな理由は様々だと思うけど、ミニアムだけどリアルなのかもしれないその展開は、どう思えばいいのか
本来はその先を描いての映画になれば
ノマドの生き方に対して、否定も肯定もなく、誰しもが主人公になれて、なれないで終わる人生論。
スカイ撮影を狙い過ぎた作為的な物も美しい風景と雰囲気に誤魔化されてはいけない気もした。
ただ、自分も何年後か>>続きを読む
理解しようとしないで、感じろと言わんばかりの輪廻と記憶。
大丈夫、どこかでまた会える気がした。
障害というのは、人それぞれ違うが、そこに立ち向かうための日常があって、さらに身体的な障害もある家族。
ただその障害も何をもって障害なのか、分からなくなるくらい固定概念の家族を考えさせられた。
まだ障害>>続きを読む
抗争が起きるまで、世界はこの映画で幸せになれるのではと思ったけど、やっぱり、今の世界線と結びつく。
でも、スピルバーグがこの作品を撮った理由に触れられた気もした。
記録は消失せずに、記憶は消失してしまう。
そこから呼び醒ませる記憶もある。
僕たちは忘れてしまう生き物だ。
良い記憶も悪い記憶も背負って生きているんだな。
麻希のいる世界で生きた証を残そうとした由希に走る向井の旋律と世界を作った監督に感涙。
触れそうで触れられない世界の淵に僕らは何をみた
見たことないモンスター造形をちゃんと何体も作り、芝居とアクションにも無理なく合わせた技術に、個人的には、楽しめました。
冒頭のシーンから理解し難い狂気じみた乱舞に傑作の匂いが漂い、心躍り始めてからの収束が早く感じてしまった。
ただ言葉に出来ない得体の知らないものに触れてしまった印象。
今まで、食わず嫌いのように観てなく、申し訳無いぐらい、クレイグ•ザラー監督作品は作家でもあり、エンタメでした!
ずっと混じり合わないものを交わらせようとするその姿に。
正義とか、悪とか、色気や滑稽さとか、混じりわないものや、組み合わせが悪いものが、混じり合うから映画って良いんですよね。
誰の為に何の為に、その声と拳は上げるのか。
間違っても間違えてなくても、世界は見てるから。
誰もが紙一重で、誰も悪くないのに、元凶を探そうとするのは、救われたいからなのだろう。
ドキュメンタリーならば、不条理を炙り
出し、投げかけるが、吉田監督の映画フィクションには救いをそっと、置いてくる。>>続きを読む
被害者ぶったり、加害者じゃないふりしたり、本当の被害者と加害者を見つめようとしていた。
そして、その先の、今の自分にリアクションさせようと手を伸ばしてきた。
言葉で説明出来ない感情が生まれては、咀嚼して、生きやすく変化して、また忘れて、笑ってる
どうしてここまで、言葉が残ってくるのだろう。
物語も勿論だけど、濱口演出の妙でここまで辿り着くのか。