ラストの2人の表情が、彼らのどうしようもない今後を暗示してて切ないです。
ポールサイモンの甘いハーモニーが哀愁を誘います。
銀行、貧困層、保安官、のようなミクロでしか捉えられないところに、ボニーとクライドの悲劇があるんでしょう。
身に覚えのあることばかり。
大人ぶって肩をそびやかして歩いたり、無理して美味しくないタバコをふかしたり、親や教師に楯突いてみたり。
ただ僕の場合は、大人は判ろうとしてくれました。
女は判ってくれない
アントワーヌの気持ちが痛いほどわかります。ただ、フランスはジメジメした感情も洒脱さで乾かしてしまうのが素敵ですね。
ヴォネガットもそうだけど、ドイツ系のブラックユーモアには、優しさがあります。
シェリーデュヴァルが🔪持ってる画もかなり怖いです。
ディカプリオ主演にして、フィッツジェラルドテイストでリメイクしたらどうなるでしょう。
エゴの肥大化は万人に共通する現象だと思います。独り身は尚のことです。ただ、そのエゴを相対化する道具(物語、哲学、開かれた宗教、健全なコミュニティ、なんでもいいです)をもたないと、行き着く先は狂気か袋小>>続きを読む
カメラマンであり、堅気であり、狂言回しであり、観察者の主人公。おそらく、監督自身でもあるのでしょう。
観察者自体が集団(ここではシティオブゴッド)に組み込まれてしまうと、往々にしてその視点は恣意的で、>>続きを読む
はい、マミー。
各話、最初の街の連続ショットは小津リスペクトかな。
東出昌大とミルクボーイ。
会話の運び方が天才的。
povだけどpovではないショット。
東出「鹿の通り道なくなる」
ミルク「鹿どこかに行く」
東出「•••」
そしてラストへ。
東京→田舎
猟師(田>>続きを読む
フィリップ•マーロウに並び、ポルコ•ロッソは僕の永遠の憧れです。
女性描写はところどころ宮崎の妄想が過ぎていただけませんが、ロメールの映画に出てきそうな人畜無害な老人はとても魅力的です。
大団円のまと>>続きを読む
ママスとか、フィッツジェラルドとか、チャンドラーとか、コンラッドとか。
音楽とキャスティングが天才的だと思います。
あと、クリフは完全に『攻殻』のバトーオマージュですね。
主題がもはや手法の充実、拡張にあって、それゆえに実体のない映画なのかもしれません。冒頭とラストにあるカメラ目線は主題の宣言なのでしょう。
ベルモンドがひたすらに美しいです。
高校の頃、夜行バスで地元から東京へ行ったのを思い出しました。あの時感じた空気、新鮮さ、希望は今でも覚えています。中学の修学旅行で訪れた時とはまた別の新鮮さがありました。懐かしい思い出です。