反復と差異
繰り返しがその度ごとに新しい意味を持つことに自分で驚いている。
隅から隅までどうでもよい。
話を矮小化しているだけだし、俗情と結託しているだけだ。
何に感動したのかわからないが感動した事実だけは確かでこれをエピファニーというのか。
「詩は本質的に≪形而上学≫のアンチテーゼであり、≪形而上学≫は精神のなかから諸感覚を粛清し、霊魂の肉体からの分離>>続きを読む
「もはや何一つ可能ではない。つまり徹底的スピノザ主義である。彼は自分自身消尽しているから可能なことを消尽するのだろうか。あるいは、可能なことを消尽したからこそ、自分も消尽したのだろうか。彼は可能なこと>>続きを読む
レーモン・ルーセルやカサーレスを思わせるとんでもないSF。
ストローブ=ユイレの助監督がなぜこんなぶっ飛び映画を撮れるのか。
モンタージュの威力。
人がただ立っているだけなのにギョッとするようななにものかがある。
ドン・デリーロの引用から始まる。
シドバレのピンクフロイドとそれ以後のピンクフロイドは別のバンドであることがよくわかる。
シド・バレットはいないことによって存在している。
若くして亡くなった息子・娘が極楽浄土へ行ってもらうために結婚式をする儀式「冥界婚」
まず降霊にはじまり、嘆き悲しんでいた葬式が一瞬にして結婚式に変貌、打楽器は乱れ打ち、踊り手の服には札束がはさみこ>>続きを読む
『鳳鳴』→『無言歌』→『死霊魂』→•••と一貫した問題意識と歴史への態度。
あらゆることは思い出し語る今起こっている。
沖縄久高島の12年に一度ある門外不出の儀式イザイホー
「兄弟が人をつくる 兄弟が島をつくる」
音楽 小杉武久
超ブレヒト主義
人は何によって心揺さぶられるのか
「なによりも重要なのは、まずもって状況を発見することなのだ。状況のこの発見(異化)は、できごとの流れを中断することによってなされる。」(ヴァルタ>>続きを読む
大傑作
ぶつぶつ1人でしゃべっていたり突然走り出す子どもたちは一体何をしているのか、解説は一切つけずにその声や音を聴く。
リヴェットのようにも『百年の孤独』のようにも先行きの見えないまま1行1行進んでいく傑作。
厳格であるはずのストローブ=ユイレの助監督をしていた人がこうした映画を撮るとは•••