ある種の勉強として、見ました。
西洋が作り上げた近代以後のシステムや価値観の1つの大きな大きな罪と綻びとして、黒人を奴隷にした歴史、そして彼ら彼女らに対する差別がある。
その1部を見るという趣旨の映像>>続きを読む
トーベヤンソンの階級に対する無知とオブセッション、セックスについての映画。
要所要所の映像は可愛かったのだが、映画としておもしろいかと言われたら😢
非常に古典的な舞台装置を使った映画だな、と。
映画というよりも、舞台劇に近い。
人間に対する慈愛の眼差しがありすぎる演出だと思った。ハーヴェイカルテルの演技力があれば、もっともっともっと人間の割り切れなさを描くことはできたのでは?
ラスト20分ぐらいの展開にはサムアップ
前半は極めて抑制が効いた映像で、静的な映画ではあるが、クライマックスが用意されていて、優しさを感じた(親切設計だなと思った)。
魔女というものが現代的にどう発>>続きを読む
悪は存在しないはびっくりするぐらい文学だった。極めて現実っぽい虚構の世界を描くという意味で、文学の王道スタイル。一方で、©︎村上春樹の「バランスが崩れる」みたいなのは、それっぽいだけで映像と比べると実>>続きを読む
喧嘩する時、抱きしめる時、最後のレースを走る時、大事な時は、サイドミラーが決まってチラッと繰り返し瞬く。
自分の中にある強烈な欲望や、
利潤を徹底的に求める産業
(とそれを支えるイデオロジカルな構造)>>続きを読む
ここ数年でダントツにおもしろくなかった。
似たカメラの動き:移動しながら撮ったり、切り返したり、が反復されるのに全然効果的じゃなくてのっけからこの映画大丈夫か?と思ったら大丈夫じゃなかった。
見ると>>続きを読む
社会の中にある問題とそれを巡る人々の関わり合いを描くという点で必要な映画。重要なテーマを扱っていると思う。
何よりも役者の表情や芝居に
見応えがある映画。
酒を奢られる為には男の言うことに頷きながら受け流すホステス嬢やお人よしすぎるシスター、クレイジーでより道化的な振る舞いをするサーカスの同業者、彼女らとの>>続きを読む
全て幻想だったと思える仕掛け。
車と共に生きる労働者は酒も飲まず
コーヒーばかりで、口数も少なく
運命的な出会いもない。ただあるのは
それを眺めるヴィジョンとスクリーンのみ。
クラッシュ覚悟で店に入っ>>続きを読む
映像の詩だ。
カットとカットの繋がりに連続性や比喩性を見出せない。その、どこに小さな街にカメラを置きながらも、どこかでぶっと切れてしまう感覚は、ある種の中国の広大さ、カメラのフレームに包み込むことので>>続きを読む
現代的な、それでいて価値観のアップデートされない田舎の封鎖されたコミュニティが暴力とセックスでのみ満たされていたという、世界の1つの参照点として、文化史的に必要な映画。
自分たちが向き合っているものの>>続きを読む
う〜む。はなしは極めて難しかったが
映像としては目を見張るところが多々あった。
池袋IMAXレーザーGTの勉強代として。
オースティンバトラーとモノクロの惑星にはサムアップ
鈴によって、幻視をする、あるいは17世紀の世界に部分的に干渉するようになってから、いつ彼の視線の先に騎士たちが現れるか!という緊張感が観客に発生する。
以後、窓や柱、瞳、ガラス、枠<フレーム>を持つ>>続きを読む
敬虔なクリスチャンの家庭に生まれながらゲイでありクィアであることとロックンロールの形を作ったと宣言し続けることが、対立し、自身の出自がアイデンティティを引き裂き続けたのだという彼の内面についてを知る伝>>続きを読む
私にはまだ解釈の記号が足りてないのだと感じました。おもしろく見れなかった。
暇と退屈の倫理学みたいなテーマはあったように思う。いわゆる労働に追われないことによって、気晴らしの中にある退屈がより顕在化す>>続きを読む
ショットショットの構図が抜群に美しく、16mmフィルムで撮影された映像の色と光も抜群に美しい。
冒頭に入る詩も極めて効果的。
言葉で語らずに映像だけで見せていく、映画ならではの表現方法に浸かるような時>>続きを読む
推理小説的なサスペンスではなく、法廷ものだった。映像とはそこにあるものをただ映したもの《記録》であるか、《イメージ》であるかという揺さぶりで物語を動かしていくつくり。
視覚を失った(つまり、脳内のイメ>>続きを読む