最近よく顔を見るザンドラヒューラーがおり、興味本位で視聴。村上春樹的世界をねっちり撮ったらこんな感じ?
なんとなく、歯を磨きたくなった。
四人の女子高生と一人の教師にやわらかく持ち合われている同じ価値観が、いつの間にかお互いを癒す。
ここにいる人々は、わい雑な衝突を繰り返すと同時に、より大きな流動に翻弄されていく。各々が存在の基底とする文脈を異にし、共有することがない。
非常に力のある作品。全てにとり、美しくない瞬間はなかった。
ようやく観れました。
この映画を観た後では、「自らが決めている」とは口が裂けても言えなくなってしまう。
裁く者は、観覧者の顔をしている。
この映画は何も特別なことはない。地球上どこであっても、まさに関心領域の内部で人は生活をする。
ほのめかすというのは、映像でないと不可能な技能かもしれない。
前章・後章一挙放映で観ました!
浅野いにお作品は初めてでしたが、結構爽やかでよかった。
石原さとみの演技に神がかり的なものを感じた。
抜けることのない苦しみの中で、もがくしかないヒトの群れの中で、たしかに溶けゆくものはある。
裁かれる者にとっては、法廷は大きな壁となり立ちはだかるだろう。真実の追究は、人を過去に縛りつけながら、時として人から本質的な洞察を奪う。
男前の弁護士中々よかったね
真実を可能な限り描こうとした意欲作。まったき真実を描いたとき、それは物語の体をなすことはない。やはり物語は人間の術である。
知らぬ間に変化は訪れる。
はじめに関係があり、後でその関係に名前がつけられる。父と子の関係が父子関係ではない。父子関係に絡め取られた2人が父と子になるのである。
人は父であるのではなく、父となるので>>続きを読む
およそ他人とは思えなかった。
生活そのものを芸術とし、磨き続けることに取り憑かれた者は、何も彼だけではあるまい。
対置と同質化により多くのことを浮き彫りにする。
そこにいる人々は、そこにあった物語(歴史)にとって、アウシュビッツに働いたSSと同じであり、SSからは最も離れた存在である。かつてこの場所には大いなる魔>>続きを読む