この映画を見て、閉鎖空間で抑圧された女の欲望について、あるいは女好きの男のだらしない欲望について嘆いたり、その物語の帰結を教訓的に恐ろしやなどとあれこれ言うのは、感性の老いて乾ききった者のすることだ。>>続きを読む
田中慎弥の小説はわからないけど、中上健次感を強く感じる
女性器に喩えられる川又とか、体から流れ出した精液が排水孔から川に流れ出て、その川でとった鰻を食うとか。
フレームの中にあるものと外にあるもの>>続きを読む
愛とか恋とか知らないけど、大事にしたいのはふつうにこういう映画だな。ふつうに泣けるし、ドリュー・バリモアまじでかわいいし(何やっててもステキ状態)、自分の一番ダメなところをさらけ出して、4日も風呂入ら>>続きを読む
『ラブソングができるまで』がラブソングでこちらはロマンス小説で、あちらが作曲家と作詞家のふたりに対してこちらは小説家と速記者で、さらに締切に追われてるところなんかもかなり似ている。
ケイト・ハドソンも>>続きを読む
まずもってマッケンローに魅せられたし、マジで映画だった
ここ何か月かで見た映画がいくつも思い出される
草野なつかの『王国』の何度も反復する演技カット、クレール・ドゥニの『美しい仕事』の身振りそれ自体の>>続きを読む
ゾディアックのいないゾディアック、まさに
見るべき
新聞がベルトコンベアの上で刷られ滑っていく様、市民ケーン、そしてペンタゴンペーパーズ
クソなものにクソだと言うこと
アパルトヘイト時代の白人のスポーツだったラグビー、金と緑のユニフォーム、大統領執務室、国歌、スタジアムに迫るジャンボ機、、、
あらゆるイメージが、敵/味方といったあちらとこちらの境界線で区切られ見られ>>続きを読む
原作との大きな違いは、ディッキー・グリーンリーフが絵画好きではなくジャズ狂なところ(加えてマージの設定)。ネトフリの新しいアダプテーションとの違いは、リプリーの執着が若さと美にあるところか、、ネトフリ>>続きを読む
これは解釈とかではなくて、この映画をどう感じるかってことなんだけど、マット・デイモンとケイシー・アフレックが脚本案を監督に持ってきたときにこんなやり取りがあったんじゃないかな(以下妄想)
マット「僕た>>続きを読む
グローバル社とかいう天然ガス開発の巨大企業の人間として、マット・デイモンが田舎に送り込まれて、土地買収のために住民を説得しなきゃならないんだけど、知識豊富な住民や環境保護活動家の手強い反対に直面するっ>>続きを読む
エミリー(マギー・チャン)は、やりたくもない仕事の面接から帰ってきて、友だちにこう言う。「私に選択はない。刑務所で学んだのは、順応するってこと。息子に会うためなら、クズみたいな仕事でもクズみたいな人生>>続きを読む
長年家政婦として働いてきたお婆さんが、家人が死んで誰も住まなくなった屋敷をひとり訪れて、中には入れないから屋敷のまわりを回り込みながら中を愛おしそうに哀しそうに覗き込むところがいい。
運命と選択とい>>続きを読む
観光旅行のパートの映像の平板さに、でも観光ってこういう感じだよなと思うと同時に、イーストウッド映画が西部劇から独自に受け継いできたような距離の正確さ(この正確さにおいてイーストウッドは自己像との距離を>>続きを読む
訓練、洗濯、アイロンがけ。アフリカ、ジブチに駐留する外国人部隊の兵士たちの身振りは、もはや目的や意味の見えない遠いところで反復されているように見える。規律のための規律、訓練のための訓練、身振りのための>>続きを読む