劇場公開時邦題:『アメリカ』
構図キマりすぎ。話の繋がりが弱いからなのか、ブレッソン作品のようなカメラワークも。
これはカフカ原作の映画か、それともストローブ=ユイレの映画か。
国家帰属に付随する問題を扱う短編。ジャン=マリー・ストローブの姪、エマニュエル=ストローヴがコレット役で出演。
原作はマルグリット・デュラスの絵本『ああ、エルネスト!』、エルネスト演じる子役の名は、オリヴィエ=ストローヴ。
教育に抗う子供と先生の掛け合い。子が誤った言葉を使うと、先生も似た間違い方をする。
『セザンヌ』の続編的映画。セザンヌが観たであろうルーヴルの作品と周辺景色の映像を、語りと共に。この映画も自作の流用がある。
朗読はストローブ=ユイレによる。自作『エンペドクレスの死』(1986)からの引用は、以下の理由による:セザンヌの問「光が、大地や太陽光線の物語が誰に描けるか?誰に描写できるか?』に対して、それを成し遂>>続きを読む
紀伊國屋レーベルのDVD『今日から明日へ』の特典映像の短編映画。ストローブ=ユイレとしては、『モーゼとアロン』の一つ前に撮られた映画。エッセー映画。
ナレーションを吹き込む男:
共産主義ではない。反>>続きを読む
劇"記録"映画。スタジオに観客などいないことを明示するオープニングカット。その後のオープニングクレジットの間に2分ほど「汝らの微笑みはどこに隠れたのか」の壁の落書きの定点長回し。
夫婦役2人の掛け合>>続きを読む
世に同化した男とヒッピー的な男。アメリカの前時代と現代が根底にあるが、必ずしも二人の男で対比しているとはいえない。
動きを捉えることに徹底した映画は、ついに何も起こらず終わる。
DVD、78分版で。世界初のドキュメンタリー。少しのストーリー性も。
映画全体が「受けつけなさ」でコーティングされている。現在の倫理観を前提に過去を描く。
メキシコ時代ブニュエル。観る異常空間。ブルジョワジー批判、不条理劇、シュルレアリスム。
過去の名作を取り上げて、今の発達した倫理観で天秤に測るのは、如何なものかと思う。ここ10年くらいの作品だけを扱っていればまた見る目は変わったかもしれない。
方法論では賛同できないけど、主体客体、照明>>続きを読む
ブニュエル監督20作目。メキシコ時代。敬虔な司祭を描く宗教映画。カトリックの賞を受賞したそうだが、他の作品を観る限りではキリスト教を「バカにしているのか」、「憂いているのか」が判別不可である。幼少期を>>続きを読む
メキシコ時代ブニュエルが招かれ帰って撮った、23年ぶり(『糧なき土地』以来)のヨーロッパ映画。フランス・イタリア合作。フランス語。
冒頭で残酷な戦争ごっこをする子どもたち、プレゼントの亀を甲羅を下に>>続きを読む
メキシコ時代のブニュエル、力作。言語は英語。冒険映画。
当時カラーフィルムが高価だったことを考えると、一人芝居が続く前半パートも飽きられずに観られていたはずだろう。
メキシコ時代のブニュエル映画。
メキシコでポピュラーだった「下町劇」というジャンルのコメディだそうな。確かに品があるとは言えない喋り方に、ブルジョワを批判するような少しの展開、インフレに苦しむ大衆が>>続きを読む
ブニュエル初期作、ではなく、すでに50歳を過ぎている頃の作品。メキシコ時代。メロドラマ。
「母親失格」を突きつけるような破られた写真。
レンタルDVDで。字幕ひどい。オリバー・ストーンによる『プラトーン』、『7月4日に生まれて』に続く60年代アメリカ社会3部作の3作目。
ドアーズの伝記映画だが、主張が激しい。ジム・モリソンへの役作り>>続きを読む
3年前に完全版DVDを買って観て、今回オリジナル版を初めて観た。これ以上ないグランドフィナーレ。
これのために昨日『バルタザールどこへ行く』を見返した。
再現されたのは「現代的な寓話性」、「多様な人間の罪」など。あとはラストシーンが他の動物の群れに囲まれて死ぬところか(他の動物も死んじゃってるが>>続きを読む
アイドルの原義は「偶像」。
カットが重要な本作の編集はジャン・ユスターシュ。でなければ観なかっただろう映画。
本作のテーマは「国境、難民」というよりは、「居場所のないという感情」であるという。
酒場で言葉もなく見つめ合う男女、国境の河を挟んだ婚礼、電線を架ける作業。人に満ちた映像詩。
スロウで粒の粗い映像パートに、季節や愛の詩が乗せられる。一部滑らかな映像はただ男と男が体を重ねている。