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オッペンハイマーのPROKINJRのレビュー・感想・評価

オッペンハイマー(2023年製作の映画)
1.0
1.ノーランのコンセプトに対しての批判
2.大衆映画監督のくせに天才科学者を庶民に落とし込む一般化という不敬を働く驕り

まず、この映画は監督が言うようにオッペンハイマーという人物の話であり、反戦だの非核だのという“教訓”を与えるメッセージ性ある映画ではない。
それを理解した上で、ただの伝記ものでは扱いきれない困難性を持つオッペンハイマーを扱おうと思ったコンセプトを批判したい。
否が応でも核の話をすれば非核という教訓要素が付いて回るし、それは重要なことでもある。
だから、1人の科学者が恋愛や自身の破壊的成功に揺れるなんて陳腐な話だけ描こうとしてもそんなのは意義も面白みもない。
この映画の岐路は、広島や長崎の被害を映さなかったところにある。
被害者の絵は、衝撃的であり、教訓を確実に刻みつける。それを望まない監督は、絵を映さなかった。それによって獲得したのは、博士の苦悩というコンセプトとグロい絵が無いため口当たりのいい映画=大衆性だけ。
つまり、原爆を扱うなら教訓があって当たり前、仕方ない、避けられない。
それを頑張って避けた先にあるのは、中身のないただの伝記ものということ。

二つ目として、オッペンハイマーとアインシュタインの関係性が少し描かれていたが、事後のオッペンハイマーと会ったアインシュタインのなんとも言えない表情について、「イキってんじゃねえぞ」と思いました。
これは誰に対して思ったかと言いますと、監督に対してです。
アインシュタインは、社会性に縛られルールの中で生きる人間とはまるで違う解放的な天才であり、その造詣の深さは大衆に理解できなくて当たり前です。
オッペンハイマーの動向が理解できないと言っていたキャラがいましたが、天才を前にした時の正直で誠実な反応だと思います。
オッペンハイマーもアインシュタインも何を思って、何を見ているのか分からないんです、ノーラン監督でさえ。
だってメッセージ性のない伝記ものの大衆映画を撮ってる監督なんて天才なわけない。
私も当然分からない。
何でアインシュタインがうつむいていたのか、全然分からないです。
しかし、含みを持たせた演出、尚且つ凡人であるロバートダウニーの役には自意識過剰の演出も施し、天才って不思議だよね感を出す。しかし、その演出の前提には制作者である我々は分かってるけどねというイキりがある。個人的に私はそう感じた。
もっと言えば、天才の人生に感情移入しろなんて甚だ無理だし、おこがましいし、意味もない。

つらつらと文句を書き殴りましたが、要約すると大衆に良い顔を見せたくてイキった映画

少し補足すると、絵作りやモノクロに対する違和感を抱かせない編集、音声の存在感、演出の細かさ等々は手放しで素晴らしいと思います。そこは褒めなきゃウソになってしまう
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