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オッペンハイマーのkuuのレビュー・感想・評価

オッペンハイマー(2023年製作の映画)
4.3
『オッペンハイマー』
原題 Oppenheimer  映倫区分 R15+
製作年 2023年。上映時間 180分。
劇場公開日 2024年3月29日。
クリストファー・ノーラン監督が、原子爆弾の開発に成功したことで『原爆の父』と呼ばれたアメリカの物理学者ロバート・オッペンハイマーを題材に描いた歴史映画。
オッペンハイマー役はノーラン作品常連の俳優キリアン・マーフィ。
妻キティをエミリー・ブラント、原子力委員会議長のルイス・ストロースをロバート・ダウニー・Jr.が演じたほか、マット・デイモン、ラミ・マレック、フローレンス・ピュー、ケネス・ブラナーら豪華キャストが共演。
撮影は『インターステラー』以降のノーラン作品を手がけているホイテ・バン・ホイテマ、音楽は『TENET テネット』のルドウィグ・ゴランソン。
第96回アカデミー賞では同年度最多となる13部門にノミネートされ、作品賞、監督賞、主演男優賞(キリアン・マーフィ)、助演男優賞(ロバート・ダウニー・Jr.)、編集賞、撮影賞、作曲賞の7部門で受賞を果たした。

第2次世界大戦中、才能にあふれた物理学者のロバート・オッペンハイマーは、核開発を急ぐ米政府のマンハッタン計画において、原爆開発プロジェクトの委員長に任命される。
しかし、実験で原爆の威力を目の当たりにし、さらにはそれが実戦で投下され、恐るべき大量破壊兵器を生み出したことに衝撃を受けたオッペンハイマーは、戦後、さらなる威力をもった水素爆弾の開発に反対するようになるが……。

『我は死なり、世界の破壊者なり』
 インドの聖典『バガバッド・ギー ター』より

今作品は、驚異的な業績と根本的な欠点のすべてを通して、一人の男を見事に重層的に検証した作品と云える。
クリストファー・ノーラン監督が、2006年ピュリッツァー賞を受賞した、カイ・バードとマーティン・J・シャーウィンによるノンフィクション『American Prometheus: The Triumph and Tragedy of J. Robert Oppenheimer』(オッペンハイマー: 『原爆の父』と呼ばれた男の栄光と悲劇)を下敷きに、オッペンハイマーの栄光と挫折、苦悩と葛藤を描く伝記スリラー映画です。
主演のキリアン・マーフィをはじめ、マット・デイモン、ロバート・ダウニー・Jr、エミリー・ブラント、フローレンス・ピューらが出演し、伝記映画の常識を覆し、驚くべき功績と根本的な欠点を持つ一人の男を見事に重層的に検証していました。
第二次世界大戦のさなか、理論物理学者のJ・ロバート・オッペンハイマー(キリアン・マーフィ)は、世界初の核兵器開発を目的とした極秘作戦『マンハッタン計画』を監督するため、アメリカ政府にスカウトされる。
アメリカ陸軍の将校でマンハッタン計画の責任者として極秘プロジェクトを指揮する立場にあレズリー・グローブズ少将(マット・デイモン)と知り合いになったオッペンハイマーは、このような事業を遂行するのに最適な場所は、ニューメキシコ州ロスアラモスの広大な砂漠であるという合意に達する。
多くの科学者とその家族がこの目立たない場所に集められ、オッペンハイマーはナチスが独自の兵器を開発する前に大量破壊兵器を完成させるため、24時間体制で不眠不休の努力を続ける。
戦争が激化し、個人的な問題が山積する中、オッペンハイマーは自らを極限まで追い込み続けるが、やがてその献身が招いた結果に苦しむことになる。
1945年8月6日、日本の広島に原子爆弾、原子爆弾のコードネーム・リトルボーイ(長さ3.25メートル、直径1.52メートル、重さ4.5トンで、ウランを用いた小型の原子爆弾)が投下され、戦争行為として初めて核兵器が使用された。
この原爆と、その3日後に長崎に投下された長さ約3.5m、直径1.52m、重量約4.5tで、爆発威力はTNT換算約20ktといわれているプルトニウム原子爆弾ファットマンによって、第二次世界大戦は実質的に終結し、『原子時代』として知られる恐ろしい新時代が始まった。
今日に至るまで、この原爆投下が倫理的に正当化されるかどうかについては、多くの人々の間で議論の的となっている。
多くの人がすべての責任を追及するのは、J・ロバート・オッペンハイマーである。
余談ながら、原爆は各国で研究開発を急がれてた。
余談のよだんながら、日本でも1936年に京都帝国大学教授となった荒勝は、1939年にウランの核分裂によって新たに生じる中性子の数をカウントし、ほぼ正確な数字2.6を得ました。この数字は現代の目から見ると最も優れたものであったと言われています。また、世界に先駆けてウラニウムやトリウムの光核分裂に関する研究も行ってた事実はあるし、原料なタイミングが揃ってたら日本も戦争に使ってた可能性はなきにしもあらず。
んで、アメリカにおいて、この兵器の開発で重要な役割を果たした彼、J. ロバート・オッペンハイマーは、『原爆の父』と呼ばれ、そのレッテルを生涯重く背負うことになった。
クリストファー・ノーラン監督の伝記映画『オッペンハイマー』では、この複雑な男の遺産と、それが数十年経った今もなお、すべての人にどのような影響を及ぼしているのかを、複雑に構成された独特の悲劇的な分析で見せてくれました。
クリストファー・ノーラン流に云うなら、この物語は従来の伝記映画としてではなく、むしろ題名となった人物の人生にまつわる断片的で連続性のない一連のハイライトとして語られてる。
最初にJ.ロバート・オッペンハイマーが紹介されるとき、彼は信じられないほど知的な人物であり、若い学生であったにもかかわらず、自分の技術に没頭するあまり、多くの仲間から最大限の尊敬を集めていることがわかる。
しかし、その直後、映画は彼が共産主義との関係を疑われ裁判にかけられている場面に切り替わる。
司法委員会から厳しい質問を浴びせられながら、オッペンハイマーは自らの判断の誤りに悩まされる。
これらのシーンは、妻との亀裂から、間違った人々に信頼を置いてしまったことへの自責の念まで、多岐にわたる。
これによって観客は、この強烈な時期にオッペンハイマーが何を考えていたかを一人称の視点で見ることができる。
これほど多くの情報をこのような形で観客に伝えようとする監督は他にあんまりいないやろけど、ノーラン監督は、不完全な人間の勝利的な上昇と悲劇的な没落を常に完璧なバランスで見せながら、可能な限り最高の方法で魔法をかけることに成功している。
ノーラン監督の演出でもうひとつ特筆すべきは、ある重要なシーンの扱い方における機知に富んでいること。
あまり詳しくは語れないけど、オッペンハイマーと他の科学者たちが試作爆弾をテストし、そのたびに前回よりも大きな爆発が起こる場面では、文字通りハラハラさせられた。
ノーラン監督は、映画でCGIを使うのが嫌いだと公言しているため、その代わりに、爆弾の威力が増していく様子を見せるために、より実用的な方法を選んでいる。
ナチスが独自の大量破壊兵器の開発に取り組んでいる可能性があることを観客に思い起こさせることで、これらのシーンには緊迫感が漂い、科学者たちは敵に打ち勝つためにさらに速く働く理由が生まれる。
それぞれの爆弾が爆発する様子は、時を刻む時計に例えることができ、それぞれの爆発は、究極の兵器を完成させるという最終目標に向かって進んでいることを表している。  
このようなシーンで独創的な編集を駆使することで、この映画の3時間という上映時間を考慮すると、特に必要なテンポで物事を進めることができる。
ノーラン監督は以前、2017年の『ダンケルク』でも似たような手法を見せたけど、その時は映画のスコアを巧みに利用し、時間がいかに本質的なものであるかを観客に示した。
今回もノーラン監督は、CGエフェクトを使ってストーリーを語るという安易な方法を巧みに回避し、古き良き演出の熟練度を駆使して観客を飽きさせない方法を見出した。
彼のキャリアの中でも最高の演技としか云いようがないほど、キリアン・マーフィはJ・ロバート・オッペンハイマーという複雑な人物を演じるために必要なすべてを注ぎ込んでいた。
マーフィーの演技とノーラン監督の演出が相まって、オッペンハイマーは20世紀で最も魅力的な人物の一人となってた。
彼の人物像には多くの層があり、このような映画ならではの深い探求が必要だから。  
今作品は、オッペンハイマーを英雄でも悪役でもなく、むしろ人間的な資質が歴史の教科書で記憶されることを台無しにする複雑な人物として描いている。
マーフィーはまるでシェイクスピアの人物のようにオッペンハイマーを演じ、欠点や高慢さ、そして傲慢さを孕みながら、必然的な運命をたどることになる。
あるシーンでは、核物理学分野における彼の卓越した才能に感嘆させられ、別のシーンでは、家族への不誠実な態度に憎悪を抱かせるかもしれない。
彼は殉教者であると同時に、歴史上最も致命的な世界紛争に終止符を打つ手助けをした一方で、さらに悪い事態を招いたスケープゴートと見ることもできる。
また、マット・デイモンが演じたレスリー・グローブス少将は、単なる軍人のキャラではなく、オッペンハイマーの才能を利用する機会をつかんだ重要人物で巧く演じていた。
観てる側は、グローブスがこの物理学者とありそうもない同盟を結び、原子力の実験における理論的性質の影響にしばしば疑問を呈するのを見ている。
グローブスがオッペンハイマーの広範な科学知識に無知であるため、基本的な詳細が説明されると、観客も一緒に学ぶことができる。
その意味で、彼はオッペンハイマーの業績に重要な第三者の視点を提供している。
また、ロバート・ダウニー・Jrがアメリカ原子力委員会の委員長、靴売りから政治家に成り上がったルイス・シュトラウス役で輝いているのも素晴らしい。
これは彼のMCU後の最高の役柄というだけでなく、全般的に最高の役柄のひとつ。   
ってまぁ書くまでもないが。
シュトラウスは、オッペンハイマーと共産主義との結びつきを暴く役割を果たしたために、歴史から好意的に見られていない人物。
彼はオッペンハイマーに恨みを抱いており、実質的にこの物語の真の悪役と考えることができる。
ダウニー・Jrは、あらゆる機会をとらえてシュトラウスの裏表のない性格を示し、オッペンハイマーを記録から抹殺し、彼の名声に傷をつけるタイミングを見計らっている。
何でも、ダウニーはこの役をこれまでで最高のものだと考えており、間違いなく自分の演技にすべてを注いでいるようで、真摯さは、結果として正直に出てる。
エミリー・ブラントは、生物学者兼植物学者、そして、子育てからくる不満や孤独でアルコール中毒になるが、生涯夫の味方として支える役と、フローレンス・ピューも、アメリカの精神科医でロバートがカリフォルニア大学バークレー校で物理学の教授をしていた頃に出会い恋仲になるジーン・タトロック役で大きく貢献している。
この2人の女性はそれぞれ、オッペンハイマーの人生における重要な何かを象徴しており、キティは彼が一緒にいるべき相手、ジーンは彼が個人的に一緒にいたい相手であると思える。  
このことは、オッペンハイマーが原爆の製造に協力する際、本能で行動するか知性で行動するかを選択したことと類似しており、彼の人間としての欠点を観客に再び思い起こさせる。
自分の心に従うことを諦めるのは難しいが、世界の命運が現実的な決断にかかっているときには、他に選択肢がないこともある。
今作品を伝記映画として、またクリストファー・ノーラン作品として、『オッペンハイマー』は事実上すべての予想を超え、個人的には両分野で最高傑作のひとつとなっています。
このような題材にこれほど詳細に取り組みながら、最後まで娯楽性を保てる映画はほとんどない。
それが本当に可能な仕事であることを証明するために必要なのは、勇敢でリスクを恐れない一人の映画監督だけなんやろうなぁ。
我々は、思慮深く創造的な議論を喚起するために、このような映画をもっと必要としており、ノーランのような人物が、このような映画をメインストリームにとどめる手助けをしてくれるというのは心強い。
結局のとこ、それは大変な仕事やけど、誰かが我々のためにそれをしなければならない。
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