horahuki

ユー・アー・ノット・マイ・マザーのhorahukiのレビュー・感想・評価

3.3
記録です。

行方不明になったママが戻ってきたら別人のようになってたっていう割とタイトル通りな展開。JKな主人公は飛び級した秀才でいじめられっ子。家族(親子)の綻びは座席シートの綻びからも匂わされ、家でも学校でも孤独を感じる主人公は、行方不明者を背にして自由に羽ばたく鳥の群れ(自由と他者との繋がり)を見続け、その直後にママが行方不明となる。これは物理的に行方不明であるだけでなく、もうずっと主人公の中で「ママ」は行方不明だったのでしょう。この世界には自分の味方はいない。それは“今”のママも同じ。その気持ちが呼び寄せた彼女にとっての「ママ」がママツーであるように思う。ママ捜索の際にも今ではなく若い頃のママの写真を使い、幼児番組に幼い自身とママを重ねて見る。そしてカボチャ料理がその昔のママとの楽しい思い出を象徴し、ママツーはそれを受けてカボチャ料理を間違った解釈のもとに作り始め、いじめっ子からも(こちらも解釈違いを伴って)守ってくれる。

残された車の中で言いつけ通りな買い物をしていたママのシーンは非常に重要で、ある種の『猿の手』の変奏として本作は発想されているようにも見える(元の精霊がそういうものなのかな?)。物理的に行方不明となるよりも前から、主人公にとって行方不明だった真なる「ママ」を呼び寄せたものの、やってきたのは『猿の手』と同様な似て非なる異物でしかなかった…。「ママ」を勝手に行方不明にしてしまっていたのは自分であって、今のママは「ママ」じゃないということが誤認であるのだと、実感をもって認識するまでの関係性修復の物語が本作なのでしょう。その起点となるのが鳥によって交差する友人であって、それによって孤独から解放されたが故の段階を追った心的回復を描いているように見える。自身にとって都合の良い他者を求める幼稚さからの脱脚として、他者を独立した他者として認識するまでの物語。傲慢と罪の浄化といった感じで火を多義的に扱っているように思える(関係性を築く-引き離すタバコ等)し、それと対極にある川は死のイメージを引き連れているように思う。ただどうしても退屈に感じてしまう…好きな内容なので普通に見られるのだけど、真面目すぎるというか、いまひとつ引っ張っていくものがない気がする。

コメント等スルーしてください🙏
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