阪本嘉一好子

Huda's Salon(原題)の阪本嘉一好子のレビュー・感想・評価

Huda's Salon(原題)(2021年製作の映画)
5.0
ハニ・アブ・アサド監督の作品を5本ばかり観ているが、全てが私に問題提起を促す。この映画はスリーラーのように見えて、社会的問題が満載している脚本だね。なぜって、まず、舞台はウエスバンクのベツレヘムは最初、字幕にも出ていて、1967年ではイスラエルに占領されていて、1995年以降、パレスチナが治めている。そして、2002 年にイスラエルが建設した壁が立ちはだかっている。最初の字幕の説明でもわかるように政治的なまたは宗教的な社会問題がこの映画の全体を占めていく。それに、ベツレヘムと近郊の大都市エルサレムはキリスト、イスラム、ユダヤの宗教が入り混じってい
るし最大のチェックポイント(パレスチナ人は通行許可書を見せるところ)があるからここは重要都市である。
次の字幕では、占領中の兵士(イスラエル軍)は見えないが、(私はここがよくわからないからコメントできない)占領された中に住んでいる女は弱者として扱われていると。この意味はすでに、ウエストバンクというイスラエルに占領された島国のような所に住んでいる。それに増してウエストバンクの中でも男中心社会の文化の中に住んでいる女の立場は弱く虐げられているという理解を私はした。それが、この映画で明確になっているから、理解は当たっていると思う。40年も前に起きたことをベースにしたらしい。

監督のグローバル的な見方に感謝する。なぜかというと、パレスチナという鎖国のようなチェックポイントしか出入りできない自治国の中を私たち一般人に見せる映画にするのためこの自治区特有な歴史政治などの情況を説明しているからだ。監督は海外に居住してるからすでにそのための目を養っている。パンデミックの間、個人的にパレスチナのモスリムの大学に通っている学生を教えたことがあるが、勉強熱心な学生たちであった。しかし、島国と同じだから、頭の蠅を追うことが中心で、無理はないが、大海を知らないし問題意識が少ない。

映画で、ホーダ(HUDA)Manal Awad という美容院のホーダがイスラエルのシークレット・サービスの手下として、ベツレヘムの女性たちを操っている。女たちはいイスラエルに出て、ベツレヘムに入れるという通行証明書を手にしたがっていると。どういう女を選ぶかはその女の伴侶は最悪なのを選ぶと。夫に立ち向かうことで、すでに、勇気がある。それだから、イスラエルのシークレットサービスに肩入れして、ウエストバンクで裏切り者になれる強さを持ってる。この中で、一人、夫婦関係が悪くない女性リームを選んだようだ。それは、『自分を見ているようだ』がホーダの理由だった。リーム(Maisa Abd Elhadi)はホーダに睡眠薬を飲まされ見知らむ男性とベッドを供にしている写真をとられ脅される。

リームはこれに悩み離婚するより死んだ方がマシと考えている。毎日憂鬱な日々を過ごす。義理の兄弟が、監獄にいるから、通行証明もシークレット・サービスから取ることもできないからヨルダンに逃げられないと。家庭や親戚との会話も上の空。それより、夫、ヨセフに話を聞いてもらうことすらできない。

ホーダ(HUDA)はパレスチナのレジスタンス、ハッサン(アリ・スリマン)に捕えられ、拷問にあう。このシーンの脚本は好きだが、完全には理解できていないと思う。しかし、ここからがベストシーンだ。

交渉術のようで、ハッサンが押したら、ホーダが引く、そして、その逆もというパワーの駆け引きがよく出ている。ホーダがハッサンに『もし、あなたが自分の心の中のことを話したら、私はあなたの欲しい情報を言うよ』と。このシーンは最高にいい。ホーダは賢い。そして、ハッサンは子供の時、11歳の友達に自分の罪をなすりつけ、自分は生き残ったという経験をホーダに話す。その友達はイスラエル軍に殺される。この苦い人がすると思えない経験をレジスタンスのハッサンがホーダに話す。

ハッサンは、敵であるユダヤ人のシークレット・サービスとコラボしていると怒るが、ホーダ(HUDA)はどっちが敵かと? ホーダ(HUDA)の言葉言葉が心にズキズキ刺すねえ。ホーダはパレスチナはすでに抑圧されてイスラエルは敵。そして、またもや、パレスチナの女は男に抑圧されている。女にとってはダブルパンチで誰が敵だ?!という意味だと思う。 私の理解が合っていれば、あっぱれ!のシーン
男が不満なのはひとりよがりを女に晒されたから?
ハッサンは自分の弱みを敵に見せるシーンだ。こういうやり方って、人間心理をよく掴んでいて、ハッサンの心を惑わせ、弱めるんだよね。ハッサンはレジスタンに入って自分の心の中を見せたのはホーダだけだったのではないか。ハッサンはホーダの処刑の間際に『頭は撃つな』と命令する。これが、少なくともできることだったようだ。
最後にハッサンはリームに電話をして、『あなたは無実だ、写真を燃やす』と告げるが、何かわだかまりが残った。私の理解力のせいかもしれない。でも、一つ言えることは、夫、ヨセフと娘が安全だと言われたが、絶対、夫の元には戻らないと思う。リームが困難に直面しているのに、『汚名を自分ではらせ!』と言って彼女を見捨てたから。

イスラエルに抑圧されているパレスチナ。その代表はレジスタンスのハッサン。パレスチナ文化の中の女の弱さの代表はここで、リーム。ヨセフの家族が集まって食事をしているシーンでもわかる。
女は、男はそれに、パレスチナは、モスリムはというように概念が慣習化されている。チェックポイントしか出られない島国だから、周りの影響を受けにくし、ましてや敵国、イスラエル影響は受けにくい。このヨセフの家族の食事中の会話からもわかるように、リームを除いて、モスリムの慣習に対して、何も感じなくなって無感覚になっている。それも、今のパレスチナの社会だと監督は表していると思う。

ホーダの存在は裏切り者で悪人役だが、一番、問題意識を持っているし、交渉術も心得ている。男女差のある中で、女の立場を一つ違う方向に押している。パレスチナ島の中に住んでいることは人間を無感覚にして、良し悪しを判断する力を失わせる。それでいいのか?

賛否両論があるだろうが、あくまでも個人的な見解です。