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ある男のsnowwhiteのレビュー・感想・評価

ある男(2022年製作の映画)
4.2
いやあ面白かった!平野啓一郎さんの原作の良さが最高に生かされてました!

同じく平野啓一郎さん原作の『マチネの終わりに』のレビューの際に詳しく書いたのだが『マチネの終わりに』が公開になる少し前に平野啓一郎さんのファン50人程で試写を観せて頂いたことがあった。

試写後のアンケートで私はおそれ多くも『マチネの終わりに』ダメ出しをし、映画にするなら『ある男』の方が向いていると思うと書いてしまった。

先生を怒らせてしまったのではと後で後悔しきりだが後の祭り。

ところが何ヵ月か経って先生からメールを頂きました。

『ある男』の映画化が決まりました。11月公開の予定です。と。

私の失礼な言葉にも関わらずメールまで下さった先生に感謝したのは言うまでもない。と言うわけで『ある男』は私にとって特別な思い入れのある作品となりました。




【 ネタバレあります】
弁護士の城戸(妻夫木聡)は、以前離婚問題で相談に乗った里枝(安藤サクラ)から、亡くなった夫「谷口大祐」(窪田正孝)の身元調査の依頼を受ける。

離婚後、前夫との子供を連れて谷口大祐と再婚をした里枝。新たに子供も生まれて幸せに暮らしていたが木こりをしていた夫が仕事中の事故で亡くなる。

夫は老舗旅館の次男だったが、兄と揉めて旅館を出てそれ以来実家とは疎遠になっていて実家の事を話したがらず結婚の時も実家には連絡を取らなかったので妻もよくは知らないままだった。

しかし亡くなったのに知らせない訳にもいかないので聞いていた旅館の名前を頼りに連絡をした。夫の兄が来てくれたが兄は不機嫌で弟の事を良くは言わなかった。

「何処へ言ったかと思ったらこんなところで木こりなんかして野たれ死ぬなんて。まあ、あいつらしいわ。」

ところが弟の写真を見た兄は「大祐じゃない。」「えっ?」兄が何を言っているのか理解できず聞き返した妻。
「これは誰?大祐じゃない。もう何年も会ってないけど弟を見間違ったりしない。弟じゃない。」「じゃあ一体誰なんです?」「そんな事は知らないがとにかく大祐じゃない。財産目当てで弟だと言ってるんじゃないのか?」兄は帰ってしまった。

途方にくれた里枝。もう死亡届けを出しているのに、夫が谷口大祐ではないと言うことなら取消さなくてはならないのか。私は結婚してなかったことになるのか?本物の谷口大祐はどうなったのだろう?

とにかく夫が誰でどうしてこんなことになったのか調べて欲しいと。そしてどの様に処理すればいいか教えて欲しいというのが弁護士への依頼内容だった。

弁護士は先ず実家の旅館に訪ねて行って谷口大祐の写真を見せて貰った。兄は協力的だった。死んだ男が弟ではない方が都合が良かった。相続権のある妻や子供など現れて貰っては困るのだ。DNA鑑定の結果、死んだ夫は谷口家とは血縁が無いことが証明された。では誰なのか?ひょっとして谷口大祐は殺されて戸籍を乗っ取られたのか?不穏なサスペンスなようになってきた。

弁護士夫が里枝の村に現れる前に住んでいた大阪の住所を訪ねる。大家に話を聞くと大阪では谷口ではなく曽根崎という名前だった。曽根崎が通っていたというボクシングジムを訪ねる。

曽根崎はある日ひょっこり現れた。ちょっとやってみないかと誘うと通ってくるようになった。めきめき才能を表し試合に勝ち上がっていく曽根崎をオーナーとトレーナーは可愛がっていた。リングネームは原田にしたいという曽根崎。不思議に思ったトレーナーが聞くと自分の過去を話し始めた。

小学生の曽根崎。友達の家に遊びに行くと地だらけになった父が。父は友達の一家を殺した犯人として警察に連れていかれる。それを目撃してしまった少年の頃の曽根崎。
その後父は死刑になる。

曽根崎は母の実家がある田舎に引っ越し母の旧姓になったがすぐに事件のことがばれて殺人者の子供として苛められる。田舎の差別は都会のそれよりずっと激しい。苦しい子供時代。その後も引っ越しても引っ越しても差別が続いた。仕事を変えてもすぐに素性がばれて会社にいられなくなった。曽根崎は何も悪いことはしていないのに殺人者の息子というレッテルを貼られていた差別され続けた。

それで名前を売る闇の業者から谷口大祐という戸籍を買ったのだ。

ボクシングジムでの曽根崎の様子が彼の苦しみを表していた。窪田正孝の演技が鬼気迫っていて素晴らしかった。窪田が主演かと思う程だった。

新人戦で決勝まで残ったというのに試合に出ないという曽根崎。オーナーは怒って「いくら頑張ってもそこまで生けない奴がいるんだ。そいつらの事を考えろ。優勝したくないのか?」

「勝ちたくてやってるんじゃないんです。殴られる為にやってるんです。自分を罰する為に殴られてるんです。」

大人になって父にそっくりになっていく自分の顔を鏡で見る度に嫌で嫌でしょうがないという曽根崎。鏡を見るのが恐いという曽根崎。自分に父の血が流れていると思うだけで息ができなくなる曽根崎。とにかく父を消したかった。


(場面変わって)
里枝が長男から言われる。

「ねえ、また名前変わるの?僕、嫌だよ。最初は◯◯(里枝の前夫の名字)で次にお母さんの旧姓でそれから谷口で。何回も変わって嫌だよ。」

「僕たちを騙してたんでしょ?何で?」
「何でだろうね。お母さんにもわからない。」
「お父さんが死んで最初はすごく悲しかったけど今は悲しくない。だけど寂しい。」
「◯◯はお父さんのこと好きだったものね。寂しいね。」

長男は曽根崎に懐いていた。曽根崎は自分の不遇な子供時代を思って子供たちを幸せにしてやりたかった。実の子ではない長男の事も可愛がっていた。実に平和で幸せな家族だったに違いない。曽根崎に取って本当に幸せな日々だった。

私はここで思ったのだけど、里枝と結婚する時にどうして里枝の旧姓にしなかったんだろうなあ。妻の方の名前にしておけば谷口という名前も捨てられたのになと。
そうすれば兄がやって来て谷口じゃないと分かったところで妻の実家の名字でお墓を作ればいいし子供も名字が変わらずにすんだのにな。ま、これは余談ではあるが…。

里枝から事情を聞いた長男は「花ちゃんには言うの?」
「ううん。」首を振る里枝。「ずっと後になってから僕が花ちゃんに話すよ。」

よ、お兄ちゃん! カッコいい!



実はこのストーリーは2本立てになっている。

皆から羨まれる様な職業の弁護士も在日三世という問題を抱えて生きてきた男だった。在日ということでずっと差別を受けてきた。

帰化して日本人になっても、弁護士になった今でさえその事をごちゃごちゃ言われたりする。テレビで在日の人達が差別の撤廃を求めて運動をしているのを見るのさえつらい。出来るならば日本人に生まれたかった。出来るならば在日三世であることを隠しておきたい。名前を変えて別人として生きたかった曽根崎の気持ちはよく分かった。

二本立てになっていることでストーリーに奥行きがでてとても面白かった。

全てが明らかになって里枝の言葉が胸に響く。

本当のことなんて調べなくても良かったのかも知れません。

そうだ。本来名前なんてどうでも良いのだ。人を見分けるための記号に過ぎない。

生まれた家もどんな家族かもその人の価値には関係ない。自分は自分で思うように生きればいい。

人を見る時、その人がどんな人なのかだけ見ればいいのだ。何故そう出来ないのか?私たちの品格が問われている。


第46回日本アカデミー賞(2023年) 

『ある男』受賞結果
♦優秀作品賞
♦優秀監督賞:石川慶
♦優秀主演男優賞:妻夫木聡(役名:城戸章良)
♦優秀助演男優賞:窪田正孝(役名:谷口大祐/X)
♦優秀助演女優賞:安藤サクラ(役名:谷口里枝)
♦優秀助演女優賞:清野菜名(役名:後藤美涼)
♦優秀脚本賞:向井康介
♦優秀音楽賞: Cicada
♦優秀撮影賞:近藤龍人
♦優秀照明賞:宗賢次郎
♦優秀美術賞:我妻弘之
♦優秀録音賞:小川武
♦優秀編集賞:石川慶

12部門13名、最多の受賞となった。

映画が面白かった方には是非原作の小説をお勧めしたい。
映画には出てこなかった話が他にもいっぱいあって映画以上に面白い。
例えば弁護士は妻に裏切られており、それ故弁護士の方もほのかな思いを他の女性に抱いたり…。もっともっと複雑に色々な話が描き込まれている。平野啓一郎先生の作品は皆素晴らしいけど、中でも私の一押しが『ある男』である。
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