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スープとイデオロギーのmasahitotenmaのレビュー・感想・評価

スープとイデオロギー(2021年製作の映画)
3.9
在日コリアン2世(「朝鮮」籍)のヤン・ヨンヒ(梁英姫、1941.11.11生まれ)が、「ディア・ピョンヤン」(2005)「愛しきソナ」(2011)に続いて撮ったドキュメンタリーの3作目(フィクションの「かぞくのいえ」を入れれば4作目)。
この作品では、父アボジ亡き後年老いてアルツハイマーになり、脳梗塞も煩うようになった母オモニにフォーカスしている。
プロデューサーでヤン・ヨンヒと結婚する荒井カオルも登場。
母オモニはヤン・ヨンヒが知らなかった秘密、1948年、当時18歳の母オモニが韓国現代史上最大のタブーといわれる悲劇「済州4・3事件」を目の当たりにし、日本へ脱出した過去を語る。
そして、韓国への臨時パスポートが発行されることになり、2018年、ヨンヒと夫は記憶の途切れる母オモニを70年ぶりに済州島(チェジュド)に連れていく。
しかし、母オモニの記憶はなかなかよみがえらない…。
原題/Soup and Ideology
(2021、118分)

在日コリアンが多く暮らす大阪市生野区に生まれ育ったヤン・ヨンヒ(梁英姫1941.11.11ー)。
母親オモニは韓国の済州島(チェジュド)出身の両親のもと日本で生まれる。
ところが、戦時下の日本で生活が困難になり、45年3月、母オモニは15歳の時大阪を家族と一緒に脱出し、当時日本の統治下であった韓国済州島(チェジュド)に疎開する。
1945年8月日本は敗北し、朝鮮半島はアメリカとソ連による南北分断の様相を呈する。
1948年、済州島(チェジュド)では単独選挙に反対した住民が蜂起。韓国の警察は見境なく住民を虐殺(この映画では14539人が虐殺されたと紹介されている)。
当時、18歳の母オモニには婚約者がいたが、その婚約者も殺される。身の危険を感じた母オモニは、妹をおんぶし、弟も連れ、港まで30キロの道のりを歩き、密航船に乗り込んで日本に脱出する。
その後、母オモニは22歳の時、15歳で済州島(チェジュド)から日本に渡ってきた父アボジと結婚。
4人の子どもに恵まれ、鮮総連の幹部となった父アボジを2009年父アボジが亡くなるまで支え続けた。
・1971年、父アボジは、息子たち、つまりヨンヒの兄たち3人(18歳、16歳、14歳)を、理想郷であるまだ見ぬ「祖国」北朝鮮へと「帰国」させ、母オモニは生活に必要な食料や衣類、薬など様々なものを送り続ける。
末っ子で当時6歳だったヨンヒだけは日本に残り、朝鮮学校に通い民族教育を受けて成長するが、成長するに連れ、違和感を感じ、父母に反抗。30代でアメリカに渡る。
しかし、両親と向き合うと決め、日本に戻り、両親にカメラを向ける。
2009年、北に渡り躁鬱病を煩ったヨンヒの兄は死亡。他の兄たちも依然として貧しい生活を強いられて、自由のない厳しい統制下にある。しかし、亡くなった父アボジ同様、母オモニの北朝鮮への信頼は揺るがない。
この作品では、もうお金が無いのに借金して今も北に贈り続ける母オモニを責めるヨンヒの姿が映し出されている。
結婚相手に日本人はダメだと言っていたのに、母オモニは挨拶にやってきた日本人の荒井カオルに朝鮮ニンジンとニンニクを丸鳥に詰め込み6時間も煮込んだ秘伝のスープをご馳走し、楽しそうに会話する。
新井さんのおかげで、ヨンヒと母オモニのギスギスした関係が和らぐ…。

葛藤を抱えながら家族を撮り続けてきたヤン・ヨンヒの作品は、私たち日本人にはどれも必見です。
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