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火星のわが家 MARS SWEET HOMEのKaraPのレビュー・感想・評価

火星のわが家 MARS SWEET HOME(2000年製作の映画)
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若き日の堺雅人さんが出ており、へーと思いつつ映画のまったりした空気に癒やされてから10余年。その時は他人事だった「脳梗塞で父が倒れる」という出来事が、その後自分の身の上にも起こり、今見返すと、どの事柄も「そうそうそうそう!」みたいに当事者感あるのがすごい。映画にしろ何にしろ、自分の置かれた状況と精神状態で本当に捉え方が変わってしまう。これこそが「共感能力」というのであろう。自分の身の上に起こらないことを「想像して感じろ」と言ってもなかなか難しいのだ。

そのような立場で改めて見返すと在宅介護の問題が、ずいぶんリアルに感じる。「身勝手な父」と「かわいがられてなかった姉」の確執も、私自身の立場にそっくり置き換えられるし、これを見て父に同情する人もいるかも知れないが、私は姉の心情の側に立ってしまう。とはいえ、ずいぶん荒んだ姉だなあとも思う。コンプレックスを自分の中で消化できないと、オトナになってもこうなる。これもまた前回書いたような「40逢魔ヶ時」なのであろうと。兄弟で妹弟のほうが得をする、というのはホントによくあり、そこもまたリアルである。
もう一つおもしろいのは「偏屈な父」の「仕事」についてメディア人が冷淡であること。ビンテージ・サブカルの地位が確立した現代なら、こんな題材は最も面白がるジャンルだろうし、DPZの取材でも受けそうな内容である。2000年にはこういうものは大切にされなかったのだ。廃墟ブームもこのちょっとあとになる。価値に気づかれず、この頃に失われた遺産もたくさんあったのだろう。

姉の誘惑からの流れは覚えていたが、ラスト、歌手の妹と堺雅人さんの会話は記憶になかった。「こんなこと言ってたのか!」と驚きがあった。なんだかハッピーエンディングぽくもあるのだが、どうなんだろ。
これに限らず、今回いくつかの映画を見返して気付いたのは「実はどれも311以前の映画である」ということだった。未曾有の災害によって、それ以降の日本の創作物における描き方や内容に多かれ少なかれ、どれも変化があっただろうと思うけど、こういう「未来は~出来るといいですね!」などという希望的なエンディングを見ると、特にそう感じてしまう。この二人は311を乗り越えて再び会うことが出来たのだろうか?今だと同じエンディングにしただろうか?などと思ってしまう。そう考えると、やはり日本は「前とは別の国」になってしまったのだ…という思いを強くする。

姉妹の連弾を家族で楽しむ。右うしろ、真ん中の人物が若き堺雅人さん。
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