阪本嘉一好子

アヘドの膝の阪本嘉一好子のレビュー・感想・評価

アヘドの膝(2021年製作の映画)
5.0
今年観賞した映画でベストではないだろうかと思ってる。出だしのカメラアングルだけじゃなく、ふっと驚くようなカメラのアングルが多い。明らかに『イスラエル政府の干渉、検閲』に問題提起、そして、そのための『自由への叫び』が挑みになっていて、主人公、監督Y(Avshalom Pollakー演技が好き)心の整理がつかない様子。常に問題意識を持ち、四面楚歌の中でも国民の『何も見えないし見ない』という目隠しされたような現状維持に息吹きを吹き込もうとしている。イスラエル政府に疑問すら持たない/意識下にない国民に啓蒙思想を与えようとしているようにもに思えるが、監督Yのもが気のような気もする。イスラエル政府に芸術的に真っ向から挑戦して垂範を示しているのかとも思えるが、何か予期できないものを感じてどうなるのか私自身緊張感が漂っていた。爆発的な感覚が新鮮で、国民がもの事を考えず政府のいいなりになっていれば、全体主義・軍国主義はもうすぐそこにきて、民主主義が壊れていくよと伝えてるのかも。

前述の通りカメラアングル自体も『新しいタイプの映画』への挑戦をしていると思った。ストーリーも。一つ一つのセグメントが問題点を拾い出しているから。例えば、地球温暖化の対策のソーラシステム、軍隊組織、アヘドの膝など。でも、結末まで見ないで早ガッテンできない映画である。最後にナダヴ・ラピド監督のメッセージが秘められている。最後まで見たら、ブラボー!

最初から、ありがたいことに、『アヘドの膝』の意味を説明する。タイトルの疑問がすぐ解ける。16歳でイスラエルの兵士を平手打ちした(2017年?)というパレスチナ、ナビサリフ出身で2001年1月31日生まれのアヘド・タミミ。そして、アヘド・タミミは刑務所に投獄されるが、この行為を犠牲的精神と答えている。そこにイスラエル閣僚?スモトリッチ(本名はBezalel Smotrich)が職務中の兵士を妨害したんだから、少なくとも弾丸を膝に打ち込むべきだったと述べている。なんとも言えないバカな言動が罷り通っているから呆れるけど。 葉梨康弘法相が「朝、死刑のはんこを押し、昼のニュースのトップになるというのはそういう時だけという地味な役職」(ニュースより抜粋)などと放言したことを思い出した。アヘドの膝はイスラエル政府の悪行のただの一例に過ぎないと解釈して、これをナダヴ・ラピド監督が、どう料理するか私は興味深々だった。

監督Yはこの映画の前作の上映会とトークショーをアラヴァ(ARAVA)のSapirでするという設定だ。
これからもあくまでも私の理解であるからご了承を。

これはシリアスな映画だが、正直言ってこの監督Yはコメディ・皮肉・風刺 を表現する話術が上手い。ハンサムであり、表情があまりないようだがある。言葉の使い方が、そして、使い方のタイミングがいい。その理由は、例えば、『Keep Going 』と図書館員の女性のYAHALOMにいうタイミングや何度も何度も『Keep it Short 』と言いながら話を続けていく話術がおかしい。

テレアビブ出身でシリアとレバノン国境で軍隊経験のある監督Yは軍用機でアラヴァ(ARAVA)のSapir に行く。アラヴァと言うところは人口三千人だけだと。そこで、国の文化、信条、思想関連の仕事を図書館でしているというアラヴァで育ったというYAHALOMが出迎える。なんとなくここの会話や態度が意味がありそうで気になっていたが、期待を持たせただけで二人の関係がとんでもない方向に進展する。

前半で二人の会話の面白いところは: Yは Alexander Nevskyというロシア騎士(?)などの小難しい話題など教養のある話を続けるが、それに比べて、彼女の家族の読むものは何かSNSのようなもので、ロシアの映画監督の名も知らない。でも、『自分で探してみる』と答えているのでYは教養が不足していると思っているようだが、学ぼうとする気のある人だと私は思う。それに、監督Yは彼女の話を聞きたくて仕方がないようで、『Keep Going 』を何度も繰り返している。このように人に話させてストーリーを作るのはいい手段だと思うね。しかし、威圧感があるんだよね。でも、彼女のストーリーにも興味を持ったようだ。 会話が徐々に進むにつれて、Y監督は映画制作に検閲があって、選択肢がないことを理解する。『自然の力、シオニズム、多様化....』と選択肢があることを彼女は説明するが、監督Yはコミカルではなく真顔で『愛、セックス』もと聞くのが可笑しい。
そして、この彼女の言った数あるという選択肢に、真っ向から反対するように、『イスラエルをダメにする。それが、この国のバカさ加減を明らかにする』と。この言葉を吐いた監督Yの顔つき!惚れ惚れするほど、かっこよかった。はっきり言って美しいイスラエルだけ見ていてはダメだ問題点も見て考えていかなきゃと思っている言葉だ。これで、この映画の意図するところがわかったような気がした。しかし、そうは問屋が下さない。そして結末は......予想以外...最後まで見ないとね!

その後、離婚をする仲間?(同僚?)と砂漠での電話で、YAHALOMとの話をもう一度詳しく説明する。ここで視聴者にとって復習になりもっと理解しやすくしていると思う。このような斬新なメソードが数回出てくる。ここでもっと詳しく説明していて、政府の検閲(センサーシップ)のことだが、どの映画・どの劇が上映できるか政府が決めると言うことだ。パレスチナとの占領・対立問題は扱えない。でも、海外に住んでいるユダヤ人、ユダヤ教の休日、国の休日、ホロコースト、反ユダヤ主義、トーラ、国旗、国、軍隊については扱って良いと。なあるほど、だからイスラエル政府の奨励や資金援助によって、数多くのホロコーストのドキュメンタリーや映画などがこの世に出回っているんだね。特にアメリカに住んでいるユダヤ人はハリウッドなどの映画に影響力を持っているし、ホロコーストを扱う作品も多く作っている。

Yは「革新的」な監督ではないと言ってるが、『予想・推測ができない』監督だということは否定していなかった。全くその通りで、予想ができないナダヴ・ラピド監督、そして、監督Yもそう描かれているようだ。

軍の話を書こう。
監督Yの母親はゲイなら兵役を免除されると言ったが、部隊を命令できる英雄になりたくてシリアレバノン戦に志願したが、病気になっちゃって、諜報部隊に入った。ここからが爆笑。十五人の兵士がユダヤ教のサバスの準備に入る大事な金曜日に女が欲しくて、ラップか何か激しい音楽や空想の女部隊と欲求不満の吐口にして、性の解放をする。ーKeep it Short
Mossad ( the national intelligence agency of Israel)モサッドは仕事を保ちたいから戦争を考え出してると言う 。面白い発想だがありえそう。
諜報部隊の上官はヨンキポー戦争の時シリアに捕まってとかいって話を続けると...
笑ちゃう事に。
YAHALOMはコンバットのトラウマがあるのと?
監督Yはコンバット?
と聞く。話が噛み合っていない。この場なら監督Yはトラウマって聞けば、彼女の質問とのマッチングがいいが、そこをコンバットと聞き返す。戦ってなんかいないんだよーー戦争がなければ失業しちゃうんだよ!この温度差に大笑い!
それにシアン(cyanide )という毒を飲まなければならないと士官に命令された時のシーンも大笑い!監督Yは錠剤が飲み込めないんだね!よく子供で錠剤を飲み込むことを知らないで喉に引っかかってしまうことが。でもYは士官の命令にそむけることに誇りを持っていたけど、二重の意味合いがあるのかもね。


地球温暖化の話が大好き。
監督がある男に上映会場まで連れて行ってもらう時、男は地球温暖化でピーマンやパプリカが全滅だって。ロシアに出荷していたんだけどマーケットもおかげでダメ 。自殺者も多かったって。この砂漠アラヴァは今は全部がソーラーが設置されてるって。この男人は養蜂家になったけど蜂にかなり刺されて..かわいそうに!全部ソーラーパネル畑になっちゃってどんな仕事があるのと?

カースステレオからlovely day が流れ、この曲は監督Yの映画に使われた曲だと。そしてこの曲が最後でこの意味は勝利のマーチだと。このシーンは映画に出てこないのか? 赤ん坊の笑い声が勝利のマーチか? このところがちょっとわからなかった。


Y監督が脚本家の母親にビデオを取りをするシーン
腐ったピーマンやパプリカの山はイスラエルの比喩メタファーだって言ってるね そして写真が撮れなかったけど想像してと。
そして母親にこれを物語に使いたいから考えておいてねと。監督Yは地球温暖化で腐敗した野菜の山をイスラエルの山積みされた問題として扱っていると思う。


砂漠で契約書へサインをするシーンも傑作:
契約書類の「愛」などに丸をつけてサインをする。サインをする前に質問に答えられないYAHALOMを攻め立てるシーンには参った。YAHALOMに問題意識を持って仕事をせよと言ってるようなんだけど今流のパワハラであり監督Yの鬱憤ばらしでもあるように受け止められる。彼の深いロジックはただ上司からの仕事を疑いもなくこなしている彼女には通用しなく、彼は自分の理論を爆発させてしまっている。彼女を屈服させようとする。これは男女の問題ではない。我々の、実生活で例えると、問題意識の強い、社会批判が論理的に話題になって社会を変えていこうとする人間と、何にも疑問を持たず流行に追われたり、自分で考えられないミーハー族との接点を見出すことは難しいということだと思う。しかし、強烈なのでぞっとして一瞬観たくなくなった。その後、監督Yは母親にスマホのビデオカメラで「お母さん、私のやってることが正しいかどうかわからないんだけど、。。疑いはないんだけど、、、今日はこれで」と。カエルの子はカエルで、お母さんと監督Yは同じような人だと思った。または、親バカで、母親は彼の脚本家だから、息子、監督Yの心を察することができていたわってあげられるとと思った。

上映後、ほとんど手を叩く人がいない。質問がある?とか何か考えられないのとか監督Yは観衆に聞く。我々も、映画を鑑賞して、「なんだこの映画は出終わってしまって」その疑問を発言できいないし疑問を持てない状態なのだ。そこで一人手をあげて質問する中年の女性がいるが、質問は「赤ちゃんがいるけど、あなた?それとも、あなたの子?」(私は大笑い、的がはずれてるので我慢できないくらい大声で笑った。だって、私は教師だから授業でこういう経験をよくする。でも笑わないけどね。)そして、監督Yはアヘドの膝を製作中だと。見たくないでしょうと皆にいう。沈黙していちゃダメだよ。この映画の主題は従順さと屈辱とアラブの膝だと。監督は図書館員の女性YAHALOMとの砂漠でヴィデオ撮りしてある会話を観衆に聞かせる。YAHALOMに「おわりだよ。破壊されるよ」と。女性は崖の上に行き、自殺をしようとするが、皆は止める。そして、皆は監督に責任があると批判する。またY監督はここでも四面楚歌。(なぜ、YAHALOMを貶めるのか疑問だったけど、最後、彼女の妹が母親のような存在で出てくるためにここが重要。)
監督Yは「人生はスキャンダルだらけで、私たちには何にもできないんだ』と。これもその一つで、スキャンダルになるということだ。でも、スキャンダルにしなかった。

批判的思考能力の強い、そして、体勢に甘んじていず。いつも、問題意識を持っている監督Y。そして、反対意見を堂々と言える。そして、母親を除いて考えると一匹狼。最後で、この彼の泣き出すシーンにはどきもを抜かれた。私は彼が泣くとは全く想像外だった。でも、これで全てが解決できたと思う。ナダブ・ラピド監督の『シノニムズ』の最後と同じで、熱い心が自分の国イスラエルにあるのだ。でも、この映画はイスラエルを愛しているからこそ。イスラエルを誇れる国にしたいからこそ、批判的思考能力がない体制に甘んじていると国は政府の役人の言いなりになるということをよく知っている。
そして、YAHALOMの妹のことば、『この人はいい人よ!』このことが彼の琴線に触れたのである。これは彼がビデオを送っている母親の言葉なのだ。彼を理解している母が使う言葉だったんだ。
そして、人間にある二面性で、『愛の鞭』かなあ? ここをまた強調したいが、批判的思考があるが故に、イスラエルと言う国に現状維持ではない変化、民主主義を求め、国民が、体勢に流れず、国民に気づきを与えたいんだ。それが、四面楚歌になっていた彼を妹が母親のように受け止めてくれたから大泣きしたと解釈した。複雑だね!人間の強い面と弱い面をここで暴露したね。問題点を抱えている母国イスラエルに対する愛、ガンで病んでいる母親に対する愛、表現の仕方は違っても深い愛がある。傑作だね!