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こちらあみ子のkuuのレビュー・感想・評価

こちらあみ子(2022年製作の映画)
3.8
『こちらあみ子』
映倫区分 G
製作年 2022年。上映時間 104分。
芥川賞作家・今村夏子が2010年に発表したデビュー小説を映画化。
小学5年生のあみ子の物語。
ちょっと風変わりで無邪気な彼女の行動と、家族やクラスメイトなど周囲の人々に与える否応ない影響が鮮やかに描かれた作品。
大森立嗣監督作などで助監督を務めてきた森井勇佑が長編監督デビューを果たし、あみ子の無垢な視線から見える世界をオリジナルシーンを盛り込みながら鮮やかに描き出す。
主人公・あみ子役にはオーディションで選ばれた新星・大沢一菜が抜てきされ、井浦新と尾野真千子があみ子の両親を演じる。

広島で暮らす小学5年生の田中あみ子。
少し風変わりな彼女は、家族を優しく見守る父と、書道教室の先生でお腹に赤ちゃんがいる母、一緒に登下校してくれる兄、憧れの存在である同級生の男の子のり君ら、多くの人たちに囲まれて元気に過ごしていた。
そんな彼女のあまりにも純粋で素直な行動は、周囲の人たちを否応なく変えていく。

森井裕介監督の初監督作品である今作品で、主人公のあみ子を演じた新人の大沢一菜は、大胆不敵なまでに自然体で、どんな場面でも圧倒的な存在感を放っていました。
両親役の井浦新や尾野真千子といったベテラン勢も肩を並べてる(チョイ贔屓目かな)。
比較対象として思い出すのは、2004年の是枝裕和監督の名作『誰も知らない』で捨て子役としてブレイクした柳楽優弥。
大沢一菜と柳楽優弥は、鋭い目つきと、一般的な人間の走りから猛烈に離れた感覚を共有しているように感じる。
しかし、12歳とは思えないほど老け込んだ柳楽優弥のキャラとは対照的に、物語が始まった時点ではあみ子はまだ子供。
手すりで棒を叩いたり、階段で石で遊んだり、スマホではなく、子供が自分の想像力の中に楽しみを見出していた、より純真な時代の子供のよう。
芥川賞作家・今村夏子の2010年のデビュー作『アタラシイ娘』(『こちらあみ子』に改題)を原作とする今作品は、のどかな海辺の町が舞台。

余談ながら、小生は、以前、広島県に暮らしていたので方言を懐かしく、暮らした町設定はどないしても贔屓目がでてしまう。
また、子供や犬猫(可愛い動物全般)、そしてのどかな町ときたら、どうしても鍾愛から加点しがちになっちまう。

コメディアンのW.C.フィールズは、『子供や動物と一緒に仕事をしてはいけない。』なんて名言を残しています。
その理由は、子供や犬は、どんなに優れた大人のパフォーマンス力でも、その場をしのいでしまうことがあるから。
だと云うとこやと思うが、今作品の原作本の表紙絵も土屋仁応の作品『麒麟』ながら、可愛らしい。
2020年やったかな第163回芥川賞・直木賞の選考会で、直木賞は馳星周の『少年と犬』が受賞したのも。
デビュー作の『不夜城』で初候補になって以来、今回が7度目のノミネートで彼のファンとしては嬉しく思ったが、選考委員から『犬を出すのはずるい』という声も上がったことを聞くと、馳星周は『ハハハ』と笑い、『動物を出す小説はずるいと思います。でも書きたかったんです。
許して下さい』と頭を下げとった。
ってまぁ、どうしても加点しがちな子供や動物。
しかし、それを差し引いても今作品は個人的には善かった。
インディーズ映画界の巨匠、大森立嗣監督(この人の実の父が麿赤兒、弟が大森南朋、義理の妹が小野ゆり子と濃いめの一家関係ないですが🙇)の助監督を務めた森井が脚本を手がけたは、田舎の機能不全家族を描いた多くの日本映画に見られるような下降線を持つ作品です。
しかし、問題のある少女というよりは、止められない自然の力であるあみ子にしっかりと焦点が当てられていた。
『誰も知らない』と同様、今作品には簡単な解決策も偽りの希望もない。
しかし、是枝監督がドキュメンタリーのようなリアリズムを持っていたのに対し、森井監督はヒロインの置かれた状況をやや抽象的に、時には不気味に浮き上がらせ、現実の悲惨さよりも低く見せている。
それでも、あみ子自身は負けず嫌いで屈託がなく、監督の豊かな想像力の投影ではなく、生身の子供であることを信じさせるものでした。
定め事ってのは変えれへんし、世の中の己に対する見方も、早々とは変わることはない。
しかし、多くの人が己の意志は常に変わらない。
自分の意志が不変やったら、人間は生き続けることができるはず。
多少の良し悪しはあれ、原作における今村夏子のポリシーが色濃く再現されていると思いました。
映像でしか描けないあみ子の一瞬の悲しみの表情が感動的やったし。
あみ子のイメージにぴったりな大沢一菜がなんとも愛らしくて、目を潤ませてんのは何とかしてやりたい。
なんて思わせる作品でした。
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