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尼僧ヨアンナのSariのレビュー・感想・評価

尼僧ヨアンナ(1961年製作の映画)
3.7
押し付けられた教義に反抗する人間の本性を描き、イエジー・カヴァレロヴィッチの幾何学的視覚様式が冴え渡る、聖職服を身に着けた男女の抑圧された愛の物語。
1961年度カンヌ映画祭審査員特別賞受賞作品。

辺境の地。スーリン神父(ミェチスワフ・ヴォイト)が到着したばかりの宿屋で、馬丁や女将、中年男たちが悪魔憑きの噂をしている。
修道院の中では、悪魔に憑かれた尼僧たちが大声でわめき、みだらなことをしているという。悪魔祓い師としてやって来たスーリンは早速修道院へと向かう。尼僧マウゴジャータ(アンナ・チェピェレフスカ)に出迎えられ、修道院の中へ招じ入れられた彼の前に、尼僧長ヨアンナ(ルツイーナ・ヴィンニツカ)が姿を現わす。ヨアンナは、自分にはハつの悪魔が取り憑いていると告げる。やがて彼女の表情と声の調子が急変し、悪魔に憑依されたかのごとくスーリンに挑みかかる。庭では、大勢の尼僧たちが狂乱状態で踊っていた…。

実際に起こった尼僧の集団悪魔憑き事件に想を得て書かれた小説『尼僧ヨアンナ』(ヤロスワフ・イヴァシュキェヴィッチ著)を基に、新たな視点から現実を見据える「ポーランド派」の代表的監督の一人イエジー・カヴァレロヴィッチが、更なる抽象性と普遍性を付与して描いた作品。
宿屋・原野・教会という限定された三つの空間の中で、信仰と人間的本性との葛藤を様式的に描き出す本作は、終始緊迫感をたたえながらも硬質で冷厳な感覚に満ちている。
同時に、悪魔に憑かれた尼僧ヨアンナをルッィーナ・ヴィンニッカの迫真に満ちた演技は、観る者を震撼させずにはおかない。
特に印象的なブリッジのシーンは鮮烈な恐ろしさであり、あの『エクソシスト』がオマージュを捧げて描いたものであろう。
登場人物たちの抑圧された愛を“悪魔”として描き、“悪魔”が愛し合う口実を与えているとする内容は当時のカトリック教会の怒りを買ったが、各国での本作の評価は高く、1961年度カンス映画祭の審査員特別賞を受賞、幾何学的画面構成が印象的な傑作である。

カヴァレロヴィッチは、本作の中心的主題を自ら説明し、人間の本性を描いた映画にしたかったと語る。押し付けられた制約や教義に反抗するという本性、重要なのは愛と呼ぶ感情である。キリスト教会の教義に反する映画であることが本作の趣意であるが、また聖職服を身に着けている男女の愛の物語であり、その信仰のおかげで、お互い愛し合うことが許されない男女の物語である。
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