horahuki

オールドのhorahukiのレビュー・感想・評価

オールド(2021年製作の映画)
3.5
作り上げられた「今」という幻想

未来ばかり考えるパパと過去ばかり考えるママ。急速な時の流れの中で荒療治的に「今」を見つめる大切さを訴えかけるタイムホラー…のように見せかけて、「過去と未来は大事!今に縛られるな!」というぱっと見とは真逆のメッセージを込めたシャマランの罠。流石のシャマラン節!

浜辺に着くまでに壊れゆく家族の危機を余すことなくセリフ化させる強引な導入、ドリー撮影を多用した流れるようなカメラワーク、ラスト15分の謎解き等々何から何までシャマランらしい!時間経過が超高速なら、爪は?髪の毛は?ヒゲは?の当然湧いてくる質問を「影響なし」のひとことをもって一撃で粉砕する横暴な剛腕もまた健在!😂全身毛だらけ・爪メートル級なモンスターたちの饗宴も見たかったけれど…絵面的に無理か🤣

「成長」の待ち遠しさ・「老化(厳密には時の経過)」の恐ろしさ。この「時」についての両義性を冒頭車中の会話で(超絶わざとらしく)キャラクターに言わせてしまうのは流石にシャマランにしてもやり過ぎ感が強くない?…と思ったら罠だったというのが堪んない!夫婦にしても職種だけに留めれば良いのに夫婦喧嘩中に「お前は過去!俺は未来!」みたいなこと言っちゃうわけだけど、シャマランってこんな感じだったっけ…?と油断させて罠を仕掛けてくるのが流石すぎる!🤣

過度なまでの不要な伏線のばら撒きによって、ツイストがツイストではなく単なる説明としてしか機能しないようになっているあたりは、シャマランファン的にはどうなんだろ。私はあんまりシャマランにツイスト期待してない派だけど、昔からのファンは落胆するのかな🤔

ありふれたもの・概念を突拍子もない設定へと膨らませ(現実からの解離)、恐怖として再び現実に根付かせる(現実への復帰)ことで身近なものとして感じられるよう落とし込むシャマランのホラー感はホラーとしては非常にベーシックなアプローチではあるのだけど、今回のシャマランは現実から一度離したものを再び現実に戻してくる際のやり口がドラマチックというより機械的で、その歪さもキャラクターたちから人間性をはぎ取るための意図的なものと考えたらすんごく辻褄は合う。

トップダウン式に庶民が「今」に縛られるようコントロールする社会システム批判は、作中の「プロムも何もできんまま大人になるんかー」みたいなセリフからもコロナ禍(2020ではなく2021の)と当然リンクさせられるわけだけど、「過去は忘却され未来はもうすぐ終わる」からこそ「今」に心が向くというネガティブな消去法でハートフルエピソードを装おうとする本作は、もっと社会システムの根っこの部分に向けられた分析と批判であると思う。

そしてその分析と批判は個人の精神性についての言及とリンクさせている。子の成長に心が追いつかない、自身の老いに心が追いつかない。追いついているように見えるのは脳もまた老いている故の錯覚もしくはシステム・現状への諦め故の適応にすぎず、ガワの成長・老いによって中身である精神は発達しないどころか減退する。

それはガワだけ発展して中身が追いつかない文明そのものへの批判(二元論→多様性を成長とする言及もあった)と、「お前らは歳だけとって中身ガキのまま満足して死んでくの?」っていうシャマランからの皮肉。あの浜辺は何の不可思議な空間でもなく、2021年というまさに「今」な現代社会に生きる人々そのもの(だから多種多様かつ簡単に順応する)であって、それを羊を飼うかの如くトップダウン式に観察・支配することで潤うシステム(資本主義…というよりファシズム)があるだけ。

原作の『Sandcastle」とやらは読んでいないけれど、砂の城はしっかりと出てきましたよね。作り上げたとしても潮の満ち引きで消えていく…それを繰り返すことを止め、アレを選択した象徴性はアイテムの適格さも含めてやっぱりシャマランはそういうとこ緻密だなと。『トゥモローウォー』とか少し前のネトフリオリジナルアクション映画とか、最近こういう映画多いよね?流行ってんのかな?って思ってたんだけど、現実が追いついてきてるから怖い…。
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