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親愛なる同志たちへのkuuのレビュー・感想・評価

親愛なる同志たちへ(2020年製作の映画)
3.8
『親愛なる同志たち』
原題 Dorogie Tovarischi.
映倫区分 G.
製作年 2020年上。映時間 121分。
ロシアの巨匠アンドレイ・コンチャロフスキーが、冷戦下のソ連で30年間も隠蔽された民衆弾圧事件を題材に撮りあげたロシア産社会派サスペンス。
リューダを演じるのは、コンチャロフスキー監督作『パラダイス』でも主演を務めたユリア・ビソツカヤ。

1962年6月1日、ソ連南部ノボチェルカッスクの機関車工場で大規模なストライキが発生した。
フルシチョフ政権が目指した豊かな共産主義統治にも陰りが見え始め、生活に困窮した労働者たちが物価高騰や給与カットに抗議の意思を示したのだ。
危機感を抱いたフルシチョフ政権は、スト鎮静化と情報遮断のために現地へ高官を派遣。
そして翌日、約5000人のデモ隊や市民に対して無差別に銃撃が行われる。
広場がすさまじいパニックに陥る中、熱心な共産党員として長らく国家に忠誠を誓ってきたリューダは、18歳の愛娘スヴェッカの行方を捜して奔走する。。。

今作品は価値観の混乱、理想と現実のギャップが支配してました。
舞台となる時代は、ソ連の歴史の中で比較的に自由主義的とされる時代のひとつで、フルシチョフが権力を握っていた時代です。
彼はスターリンの死後、スターリンの犯罪(少なくとも受動性によって共犯になっていた)を糾弾したが、外では西側と争闘し、内では抑圧する政策を続けていた。
ソ連の指導者たちは、野心的な経済計画を達成するために、国民を深刻な経済不足に陥れ、反乱を起こそうとするものは、必要なら武力で弾圧した。
国民は混乱しスターリンの時は物価が下がっていたのに、今は上がっていると、舞台となったドン地区でソ連市民から不満の声が聞こえる。
若者や労働者は、見かけの民主化や憲法に定められた権利を素朴に信じていた。
しかし、彼らがそれを主張し、経済問題に抗議するためにストライキやデモに訴えると、党とその弾圧手段の反応は、銃弾と逮捕。 
今作品のメイン・ヒロインであるリューダ(ユーリヤ・ヴィソツカヤ)は、市の党委員会の活動家で、地位的にはあまり重要ではないが、彼女の同胞が何かを求めて延々と列に並んでいる間に、食糧倉庫から直接供給される恩恵を受けるには十分に重要な存在。 
彼女は洗脳され、スターリンにあこがれる。 
デモが血の制圧がなされた後、工場労働者の娘(ユーリヤ・ブローヴァ)が姿を消したとき、彼女の党への忠誠心が試されることになる。
彼女の障害者でアルコール中毒の父親(セルゲイ・エルリッシュ)は、コサックの軍服とドン河の聖母像を胸にしまい込み、当局が忘れ、葬り去りたい過去と恐怖の中でつながりを隠していた。家の中でさえ、親と子の間でさえ真実が語られない状況の中で、イデオロギーのジレンマとギャップが、世代間の関係を支配してる。
今作品の撮影は冷徹で、ほとんどドキュメンタリーである。 
コンチャロフスキーはモノクロフィルムを採用してる。
そのモノクロで美しく撮影され、珍しいカメラの視点、絵の構成、フレーム内の編成された動きなどが今作品にはあり、主役の女優の素晴らしい演技と、非常に巧みな演出そして、感動的なドラマツルギー、中盤の空白と比較的オープンなエンディングは、解釈と熟考の余地を与えてくれます。
また、
党官僚の終わりのない会議、
活動家の腐敗と臆病、
中央の指導者の介入、
食料の列と物資の窮乏、
KGBの恐怖等々。
これらはすべて共産主義崩壊前の東欧の人ならおなじみのものやろけど、日本ではフィクションのようにさえ思える。
作中、人間らしさは思いもよらないところに現れることを表現されてた。
素朴な人々の人間的な連帯感、
労働者に対抗する兵士の武装を拒否する一部の将校、
最も困難な瞬間にリューダを助けるKGBのメンバー等々。
違うように見えるのは、登場人物たちが支配しているように見えるイデオロギーの混乱。
リューダは、共産主義とは異なる座標軸の中で生きることができない(『共産主義を抜きにして、何が残るんか』)。
スターリンへの憧れは、どんな論理からも逃れられる一種のストックホルム症候群のように思える。
コンチャロフスキーはそれを説明しようともしない。
この態度は前世紀のロシアの歴史の象徴といえるんやろか。
その答えは、視聴者に委ねられています。
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