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太陽がいっぱいのRのレビュー・感想・評価

太陽がいっぱい(1960年製作の映画)
4.8
以前5回目を見てレビュー投稿してまして、その後、パトリシア ハイスミスの原作The Talented Mr Ripleyを読み終わったのもあり、そのすべてを総合して今回のレビューとしたいと思います。まずは、2019/11/26に🌟4.6で投稿したレビューから↓↓↓

ひさびさに見ました、たしか5回目! すばらしい! 最初2回くらいはあまり良さが分からなかったけど、見れば見るほど味わい深い! まずオープニングのタイトルのアニメーションがオシャレでカッコいい! 最初から心躍ってまう! そして、太陽がいっぱいというタイトル通り、眩しいほど鮮やかなパステルカラーが画面に賑わい、南イタリアの美観をバックドロップに、全編釘づけの美しき男アランドロンがちょこまかちょこまか動き回る。高尚さがカケラもない、野蛮さ、計算高さ、と同時にそこはかとなく漂う頭の悪さ、薄っぺらさ、そこから来る不思議なキュートネス、何をどれくらい真剣に考えてんだかまったく読めないミステリアスさ、などなどの要素が満遍なく混ざり合い、絶句するしかない美男っぷり! ブルーの瞳が冷たく光れば光るほど、体がしびれてゾクッとくる! すごい! この存在感はすごい! 対するモーリスロネもかなりのイケメンのはずなのだが、ちょっと比にならないくらいアランドロンが突き抜けてる! 彼のキャリアの中でこれほどぴったりな役は他にあるまい。アランドロン演じるトムリプリーは、フィリップの父親に、フィリップをサンフランシスコに戻るよう説得してくれたら褒美に大金をやる、と言われてイタリアにやって来たらしい。なのにフィリップとふたり、ローマで遊び呆けてる。貧しく卑しい出自のトムは、大金を自分のものにしたい一心のはずが、フィリップに心奪われ、フィリップに雑に扱われ、いたぶられ、けれどもフィリップになりたいと願い……ついに……! という話で、ときにとんでもないミスや愚行をおかしてヒヤリとしながらも、まったく呑気に、なりすまし詐欺や殺人をスイスイやっていく様子を、ユーモアとスリルの絶妙に入り混じった独特の空気で描いていく。そのムードを盛り上げるのがイタリアの作曲家ニーノロータのアッパーなミュージック。めちゃめちゃ有名なメインのテーマ曲は哀愁漂うメロディーなのだが、それ以外の曲は極めてノリノリ。映像的にも音楽的にもまばゆいあかるさに満ち溢れるなか、絶世の美男が道徳的葛藤なく、いたずらのように犯罪を犯していくもんだから、こちらもウキウキ楽しい気分、ついついトムの成功を願ってしまう。この感じ、道徳観の強い人なら見るの耐え難いって思う人もいるんじゃないか。そして、全編、うっとりするほどの名シーンに次ぐ名シーン。人の真似をすることに天才的才能を持つトムがフィリップの服を着て鏡にキッスするシーン。エロスの揺らぎがほのかにかほるヨット内。トムくん市場でキラキラお買い物の巻。プロジェクターでフィリップのサインを猛練習。不器用に死体を運び出します、などなど、どのシーンも忘れ難い印象を残し、その果てに、アランドロン、フィニッシュの微笑み。からの全身鳥肌ええーーーーっなオチ! そのすべてに、思わず、さいこーーーーーーーーーー!!!と手を叩いてしまいました。ファッションやインテリアも最高にクールかつキュートなので、そういうのに関心が高い人も大いに楽しめると思います。けど、それでも、気がつけばついついそこばかりに目が行ってしまう、アランドロンの魅力。ボク個人としては、正直あまり好きなタイプの俳優とは言えないのだが、そんなこと無関係で全視線を奪われる。これぞ魔性の男。やばすぎます。

ちなみに、以下が、読書メーターに投稿した原作の感想文↓↓↓

不思議な感覚の一作。ずっと淡々じわじわ面白い。トムリプリーと一緒に伊太利亜のバカンスを楽しみながら、ほんの出来心で起こした2、3の事件を、如何に処理するのか、できるのか。狡猾で器用で馬鹿で思い込みの激しいおっちょこちょいのトムが出会う裕福層の色男ディッキー。あれ?この気持ちは何?友情?羨望?憧憬?それとも…全てを明らかにすることなくまったり謎のまま次々に迫り来るピンチ。軽い気持ちでコロコロ気持ちを変えてたら本当に気持ちが変わってる。人間心理の不思議、てかサイコパス? マージへの扱いの酷さおもろい🤣最後はえ!


そして、ここからが原作読了後、6回目の鑑賞の感想文。

さて、原作と映画、かなり内容が違うのが、まず面白かった。原作は、トムがNY(映画ではサンフランシスコ)のバーでディッキー(映画ではフィリップに改名)のお父さんグリンリーフ氏に話しかけられ、母上が重病なのでディッキーを連れて帰ってきてくれ、と頼まれるところから始まる。トムが如何に社会底辺にはびこる小物の詐欺師で、まったくうだつの上がらぬ生活を送ってるかがきちんと描かれ、また、見た目も地味でイケてないことが明示される。トムは船に乗って、イタリアに着き、ディッキーのいるモンジベッロに行って、ディッキーと出会い、ディッキーに心奪われ、ディッキーの女友達マージを毛嫌いし、嫉妬し、ディッキーに取り入って、ちょっと色仕掛けもして、ふたりだけでヴァカンスに出かけ……っていう、そのヴァカンスでのふたりから映画版は始まる。このオープニングの時点で原作と全く異なっている点は、トムが世界有数レベルの美貌を持ち主であること、フィリップとふたりで悪ノリの悪友同士であること。さらに、小説版で明らかな、抑圧された同性愛的描写は映画版にはなく、見ようによっては二人の間にホモセクシュアルな香りがしなくはないよね、くらいの描写にとどまっている。映画版で徐々に明らかになってくるのは、トムはフィリップに対して、羨望とも憧憬とも友情とも違う、形容し難い、非常にあいまいな感情を抱いており、フィリップのトムの出自などに対する意地悪に対して、不思議なほどまったく動じていないらいこと。それが本作のチグハグともいうべき非常に不可解なムードを強めている。さらに見進めると、なるほど、トムはシンプルにフィリップに取って代わりたいのだな、というのが分かってくる。だが、小説で明らかな、かわいそうにも感じられる自己否定的な印象が映画版のトムには一切ない。今の浅ましい自分でのん気に安定しているようにしかみえない。なのに、特に理由なく、ひたすら衝動的に、本能的に、フィリップになりたがっているだけのようだ。故に、映画版のトムは小説版のトムより遥かにミステリアス。映像的に興味深いのが、トムのクロースアップが非常に多いこと。ふつう、クロースアップが多いと、その対象に感情移入してしまうことが多いと思うのだが、本作において我々はまったくトムに感情が入らない。それはトムが常に完ぺきな美貌を誇っており、心が乱れる素振りをほとんど見せないからであろう。そして、わずかに乱れを見せるシーンでは、コミカルに見えそうなくらい、ドタバタ喜劇的に行動が衝動的なのである。見終わって総合して感じるのは、映画版トムリプリーは狡猾だが阿呆なサイコパスであるな、ということ。小説版でもその感じはあるけど、映画の方がその感じが一層研ぎ澄まされている気がした。故に素晴らしい。あと、これはいくら強調しても強調しすぎにならないのが、トムの所作の魅力。いちいち一個一個の動きがめちゃくちゃイイ!!! 僕もこういう動きを生活のなかで演出していきたい。細かさと鷹揚さと雑さが効率性を保ちながら見事にブレンドしてて目が離せない。特に、パスポートの偽造シーン(特に粘土みたいなのをペナペナする様子)と電車の時刻表をバサッと開いて線を書き入れる動きは、目へのご馳走でありました。いやー、見れば見るほど魅力的やなー。そりゃー名作と呼ばれるわ。
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