Love is simply the name for the desire and pursuit of the whole
プラトンの言葉で始まるからどんな重たい内容になるのかなぁ…なんて肩肘張ってたのも一瞬。
"他人"の心情から自分の言葉に、地に足が着き出してからの世界の見え方、見せ方はまさに万華鏡の様にまるで煌めいていて。
これは他の方々が高評価するわけだ。
ちなみに私も存分にこの作品の魅力に振り回されて、気がつけば首ったけだった。
青春モノとか、LGBTQモノだとか、ロマコメだとか…簡単にカテゴライズ出来ないし、したくないし、何よりそうさせてくれない。
多分、それが今の時流なのだろう。
でもそんなある種のごった煮というかジャンルミックスの結果として自分にとっては、大切にしたいなと思わせてくれる映画だった。
ストーリーは凄くベタな設定、というのもまたくすぐったい。
友達はいないが頭良くて、文才あるからみんなの代筆業やってるエリー。
アメフト男子のラブレター代筆が、インテリなアスターの琴線に触れ、互いが距離を縮めていく。
けれど肝心のエリーはこのアスターの事が大好きだったのだ。
映画がスタートした時こそキャストの魅力がイマイチ伝わらず、この作品の弱点になりはしないか?と半ば疑いの目で見ていた。
しかしこのキャスティングの妙は何と説明すれば納得頂けるだろうか?
この絶妙としか訳せない程良い匙加減に適当な例えが思いついたのだけど…ここでは差し控えます(笑)
兎に角主役を張ったリア・ルイスの可愛さは最高過ぎる。
この表現はやや大胆に聞こえるかもしれないが誇張しているわけではない。
確かに世に言う美しさや艶かしい肢体を持ち合わせてるわけでもない。
それに作中の出立は無骨だし洒落っ気は無い。
そうかもしれないけど、その魅力は所謂"イケてる"女性陣を霞ませる。
恐らくだが、これこそが現代を象徴化しているのだろうという話と密接な気がする。
そもそも論だけど、そんなイケイケな設定や見た目だけを並べ立てた作品であれば他の作品を見れば良い。
これは等身大の話、なのだ。
この誰もが、或いは現代人が共感出来たりする内外の表現が上述の通りなんだけど、ホントにこの手の作品はあまりにも夢物語な設定が過ぎた。
矢張り如何にリアルで等身大な自分、自分みたいな他人…を扱うことによって作品の雰囲気はまるで変わる。
でもこの作品が上手いなと感心したのは映画が最高潮に達してから。
これこそ王道、というの流れとこの作品らしい着地をみせてくれる。
そして、やっぱり自分で明日なる扉をノックしていかないといけないんだよね。
それを再認識させてくれる、この映画。
見て損なしよ。
🍍🦉🐛