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Grigris(原題)
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『Grigris(原題)』に投稿された感想・評価

CHEBUNBUN

CHEBUNBUNの感想・評価

2.6
【チャドのサタデー・ナイト・フィーバー】
MUBIにチャド映画『GRIGRIS』が来たのはとても嬉しいことだった。2013年第66回カンヌ国際映画祭コンペティション部門出品作品でありながら唯一日本紹介がなかった作品だ。監督はマハマト=サレ・ハルーン。ブルキナファソで行われるアフリカ最大の映画祭FESPACO(『僕らの父さん』)、ヴェネツィア国際映画祭(『Daratt』)、カンヌ国際映画祭(『終わりなき叫び』)で賞を獲るチャド映画界の英雄だ。そんな彼の『GRIGRIS』は映画の基本プロットを繋ぎ合わせてユニークな世界を描いた代物でありました。物足りなさはありますが、観られてよかった。

ダンスフロアで「グリグリ!グリグリ!」と歓声が飛び交う。フロアの中心でひょろっとした手足を駆使してグネグネとロボットダンス的、硬さと柔らかさ織り交ぜた独特の動きは画面の外側にいる観客までも虜にするものがある。おひねりを受け取りながら華麗にバイブスをぶち上げるその男グリグリ(Souleymane Démé)。しかし、夜が終われば彼は障がいに苦しみ日銭を稼ぐ男だ。

彼の実家はカメラ屋さんをやっている。ある日、そこに背の高いモデル・ミミ(Anaïs Monory)が現れる。一瞬にして恋に落ちたグリグリは彼女の気を引こうとダンスフロアで腕に磨きをかけていた。そんなある日、親父が病に倒れる。

親父の医療費を払うためには大金を稼がないといけない。いくらダンスフロアのスターとはいえ、おひねりだけでは賄うことができない。そんな彼にガソリンスタンド強奪の闇バイトに舞い込んでくる。

前半は甘い青春ダンス映画なのだが、後半になるに従って暗い犯罪ドラマに変わっていく。アフリカ映画の文法で欧米映画のクリシェを焼き直しているため、欧米観客のオリエンタリズムを満たすためだけにあるような作品に仕上がっていて、またガソリン強盗のシーン以降はよくある閉塞感由来の犯罪に止まっている。おまけに、主人公が難病設定となっているのだが、なくても成立する話になってしまっているので映画祭対策映画止まりになってしまっていて個人的に良い映画とは思えない。

しかしながら、Souleymane Déméが華麗にフロアを羽ばたく姿は、ジョン・トラボルタだし、なんなら『フラッシュダンス』のジェニファー・ビールスのような感動すら呼び醒す。故に嫌いになれません。
ukigumo09

ukigumo09の感想・評価

3.9
チャドの恋人たち、ストールの行方

チャドのマハマット=サレ・ハルーン監督による2013年の作品。彼は前作『終わりなき叫び(2010)』がカンヌ映画祭で審査員賞、本作もカンヌ映画祭で芸術貢献賞を受賞するという、カンヌ映画祭の常連であり、現在のアフリカを代表する映画監督の一人である。

タイトルのグリグリとは、クラブで客から喝采をあびるダンサーのスレイマン(スレイマン・デメ)の愛称で「幸運のお守り」という意味がある。彼は片方の足が不自由なのだけれど、それを逆手に取るような個性的で華麗なダンスで映画は幕を開ける。薄暗いフロアに赤みのある照明で照らされたスレイマンは、ピシッとジャケットを身に着けて、音楽に合わせて細くて長い肢体をくねくねと動かしている。それに興奮した観客たちは「グリグリ、グリグリ!」と歓声を上げているという、この冒頭のダンスシーンは、米国や欧州の映画のダンスシーンに決して負けていない。

スレイマンは普段は継父の写真スタジオを手伝っているのだが、そこにスレイマンが踊るクラブにも顔を出す、モデル志望のミミ(アナイス・モノリー)という女性が、コンテスト用の写真を撮りにやってくる。カメラの前ですぐに水着になるアフロヘアのミミ。スレイマンは、写真を撮りながら途中からミミの肩に綺麗なストールを掛けてやる。そしてミミが帰る際はそのストールをプレゼントする。無表情で無口なスレイマンだけれど、ミミに対する恋慕が見てとれる。

写真を受けとりに来た時に会ったり、クラブで会ったりと、次第に近づいていくスレイマンとミミ。しかし継父が病気で倒れ多額の医療費が必要になったことで、凡庸な恋愛映画になりそうだった雰囲気がガラッと変わる。スレイマンはクラブの客であるムサ(シエル・グエイ)というヤクザのような男に仕事をもらいに行く。そしてもらった仕事がガソリンの密売の運び屋だ。泳げると嘘をついて仕事をもらったスレイマンは、川を泳いで運ぶ際に溺れて、危うく台無しにしそうになる。ムサから大目玉をくらったスレイマンは最後のチャンスとして車での運搬を任され、警察に追われながらも見事にやってのけ、称賛される。こうなると危険な香りのプンプンする犯罪映画の雰囲気を帯びてくるのだけれど、スレイマンとミミのシーンになると甘美さを取り戻す。モデルの審査に落ちて落胆しているミミはスレイマンを家に招く。部屋ではほとんど会話はないのだけれど、ミミは普段つけているアフロヘアのカツラを外し、スレイマンを見つめながら三つ編みに束ねていた髪をほどいていく。カメラがゆっくりとスレイマンの方へ向くと、じっとミミを見つめていたスレイマンが一歩身を寄せる。そうすると2人共がフレームに納まり、手を伸ばしてミミの髪に触れるスレイマンとはにかむ様な笑顔のミミを同時に見ることができる。そして2人の足元が大写しになり、スレイマンの足の甲の上にミミが足を乗せて、2人でクスクス笑いながら飲み物を飲む。他の映画の裸やセックスシーンよりも、はるかに優雅ではるかにエロティックなシーンである。

ムサに夕食を招かれたスレイマンは、恋人として紹介するためにミミを連れて行く。この映画における犯罪の象徴ムサと、恋愛の象徴ミミの出会いという重要な場面だ。スレイマンとミミ、ムサとその妻4人が丸テーブルを囲んで座っているのだけれど、ミミは隣のムサに少し背中を向けるような座り方をしている。ムサからミミが誰か尋ねられたスレイマンは、「彼女です」と答えるのだが、ムサは鼻で笑って「皆の彼女だぜ」と言う。するとミミは部屋を飛び出し帰ってしまう。闇社会で生きるムサはミミが娼婦であるのを知っていて、ミミもムサの正体が分かって背を向けていたのだ。ミミが娼婦であると馬鹿にされ、彼女を追うことも許されないスレイマンは恐らくこの時、ムサを裏切る決心をしたのだろう。恋愛の象徴と犯罪の象徴が決定的に決別し、スレイマンは恋愛の方を選ぶのだ。

ムサを裏切るということは、スレイマンにとっては死を意味するので、生きるには逃げるしかない。そこでミミをバイクの後ろに乗せて、舗装されていない道をさらに田舎に向けて走り出すスレイマンの姿に、逃避行の悲愴感は微塵もなく、愛や生きる喜びに満ちた表情をしているのが印象的だ。車ではなく、2人の密着度のより高いバイクという特権的な乗り物とデコボコの砂利道が、2人の危うげな幸福感を見事に表現している。

本作では2人の愛の逃避行を見守りながら、密輸や宗教対立、障がい者や女性の生活、行き届かないインフラ整備など、チャドの様々な問題に気付かされるだろう。それでも重苦しくなく、観終わった後爽快なのは、ラストで西部劇における騎兵隊の到着のような、村のおばちゃんたちによる救済が待っているからであり、きっちりと万国共通のエンターテインメントに仕立て上げているからであろう。そしてなにより、スレイマンからもらったストールを映画の最後まで、首や腰など場所を変えながら巻き続けたミミが素晴らしいのだ。