脳内金魚

イン・セイフ・ハンズの脳内金魚のレビュー・感想・評価

イン・セイフ・ハンズ(2018年製作の映画)
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正直、主人公アリスト同年代の自分だが、そこまでして子どもがほしい気持ちは共感できない。だが、制度や携わる人々の気持ちを知ると言う点では非常に興味深い作品だった。

まず、無検診の陣痛始まったウォークイン妊婦を直ぐ様受け入れること、その後の匿名出産や養子縁組に出すなどの一連の流れのスムーズさに驚いた。日本でも赤ちゃんポストがあるが、内密出産がはじめられたのはポスト運用後何年も経過してからだ。劇中では制度開始のいきさつなどは語られないので、はじめはどんな問題があったのかなどは全く分からないが、制度としてかなり成熟しているこてが伺える。
もう一点驚いたのが、もっと子どもの出自を知る権利に重きが置かれているのかと想像していたので、出産後に母親の「名乗らない権利」が尊重されたりと母親寄りの制度であることが意外だった。(もちろん、何かを残しても構わないとそれとなくは伝えていたが)
手放された子どもは、一旦「国の子ども」となる。その後、養子に出されるまで里親が子どもを養育し、養子を望む家庭へと養子縁組に出される。映画ではその橋渡しまでを描いている。
再度言うが、わたしは主人公の一人アリスとそう年や立場は変わらないが、正直パートナーと別れ、独身となったあとも子どもがほしいその気持ちは分からない。パートナーがいるなら、その二人に連なる存在がほしいとか、愛する人との子どもがほしいが体質的に出来ないので、養子をもらう。理想の家族として子どもがほしい。跡継ぎがほしいなど色々思い付きはするし、実際理由は様々だろう。一言に「子どもがほしい」と言っても、その背景は色々だ。アリスは養子を迎えるために恋人と結婚したり、そのパートナーと別れたあとも希望とする子どもの対象年齢を広げたり、果ては病児でも構わないと、わたしからすればかなりなりふり構わない感じだし、正直、一種の狂気にも思える。中には何年もまって「不適任」と言われ泣き崩れたカップルもいた。
その中で印象的だったのが、養子斡旋組織の職員が「養子縁組は親を必要とする子どものため」と言ったことだ。何年も申請して養子を迎えられず、申請する人が少なくなっては本末転倒なので、申請してからの年数なども考慮されるが、基本的にはあくまで子が主体と言うことだろう。極端に言ってしまえば、「その子にとってベストな環境(親)か否か」、ただその一点のみが判断材料なのだ。
内密出産や出産後に子どもを手放した女性の権利は最大限尊重される。なぜなら、子どもを殺してしまっては意味がないからだ。まずは「無事に生むこと」、それが大前提なのだ。そのためには、母親が自分のことを秘匿してもいいことは絶対条件なのだろう。
でも、それは同時に子どもの出自を知る権利をと両立しない。それは子どものアイデンティティ確立にも影響する、決して無視できない問題だ。だからこそ、その後のことは「受け入れる側」の理由ではなく、「そこで子どもは十分な愛情を受け、安全に健やかに生きることが出来るか」と言う「子どもの権利」だけを考えているのだなと思った。
何よりの大前提は「子どもが(殺されずに)生まれること」なのだ。子どもが死んでしまえば、いくら完璧な制度や家庭を用意しても、それは無意味だ。
女性なしに子どもは生まれない。けれど、必ずしも妊娠した状況が女性にとって幸福とは限らない。手放さざるを得なかった母親と、母親に受け入れてもらえなかった子ども、今のフランスが導き出せる両者の幸せの最大公約数が、この現制度なんだろうも思った。親と子、立場が違うから、どちらも納得のいく制度は容易には見つからないのだろう。

もうひとつ、印象的だったのが里親の男性がぬいぐるみを懐に入れていたこと。どうやら、自分のにおいと体温をぬいぐるみに移しているそうだ。そう言えば、プルースト効果の由来となった作家、プルーストはフランス人作家だったなと思い出した。

映画として面白いかは二の次で、ひとつの考えるきっかけを与える映画として、とても良作だった。
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