不思議な空気の流れる映画でした。
近未来SFでありながらも、モチーフとして出てくるお茶や水、古くからのとてもナチュラルなものとが行ったりきたりして、やたらと情緒的。
ヤンは文化テクノ、いわゆる養育系AIロボットなのだけど、その故障をきっかけに奔走したり思いを馳せたりする家族の姿は、生きている家族の喪失と同じ。
ヤンには内蔵された記憶がデータとして残っているぶん、よりその記憶や辿った道筋が鮮明で、ヤンがとても人らしい情緒をその中に秘めていたことが分かるから、余計に情緒が増す。
この独特の空気感って、YouTubeとかで、自然と共にあるままの素材を使って料理をしたり、古くからのシンプル生活を淡々と見せてくる動画を見ている時の感覚に近くて、なんというか疲れた時の癒し効果みたいのがあるなあと感じた。
それこそ1杯のお茶、的な。
そんな風だから、いかにも近未来のSF的なワードが出てくると、かえって違和感を感じちゃうっていうね。
(でもあの家族ダンスとかってなんか見てるとハマる 笑)
なんていうか、ただ流れゆくヤンの記憶を、主人公と共に辿っていると、「これもまた過ぎ行く」諸行無常の感覚がわいてくるから不思議。
ただ大宇宙の時の流れの中で漂っているだけの、1粒の自分。
そこへ来てのラストの歌。
それは真理なのかもしれないが、最後までヤンとは別れたくないと素直にシンプルに言う娘の姿が切ないし、帰ってこないことをただ静かに受け入れている主人公や大人の自分にも、どこか切なさを感じる。