湯呑

1917 命をかけた伝令の湯呑のレビュー・感想・評価

1917 命をかけた伝令(2019年製作の映画)
4.6
作品賞は逃したものの、アカデミー賞の3部門を受賞した本作、世間では「全編ワンカット映像」という謳い文句で話題になっている。もちろん、これだけ大規模な映画で本当に「全編ワンカット映像」など実現できるはずもない。実際は、複数の長回し映像をCG処理によって繋ぎ合わせ「全編を通してワンカットに見える映像(公式サイトによる表現)」を作り上げている訳だ。とはいえ、後で繋ぎ合わせた時に違和感が生じない様に、撮影前にカメラ配置や構図などを完璧に確立しておかないといけない。現場でのトラブルや急な変更もあっただろうし、撮影にあたり大変な労力を伴った事は想像に難くない。
そんな訳で、私は「全編ワンカット(に見える)」という触れ込みを信じて観に行ったので、映画の冒頭、主人公2人が上官から作戦の説明を受ける場面でびっくりしてしまった。ドイツ軍の仕掛けた罠を回避する為に、最前線の部隊に突撃命令の中止を伝令せよ、というのが主人公らに課せられた使命なのだが、その最前線にまで出発地点から8時間掛かる、というのだ。上映時間が2時間弱の映画で、8時間の行程をワンカットで描く事など不可能である。ワンカットの映像では、空間の連続性と時間の連続性が保証されていなければならない。最初に述べた通り、前者はCG技術を駆使した編集作業で何とかできるだろうが、後者はどうにもならない。例えば、時間を早回しにしたり省略したりといった通常の映画なら当たり前の時間処理が、ワンカット映像では禁じられているからだ。さて、サム・メンデスはどの様な方法で8時間を2時間弱に短縮して映画を成り立たせたのか。私は大いに期待しながら映画を観続けていた。
結論から言えば、この点については非常に穏当な方法が用いられている。映画の中盤で主人公が気絶する場面があり、そこで画面が暗転するのだ。主人公が意識を取り戻すと、いつの間にか辺りは夜になっている、という仕掛けである。ここで時間の省略が図られている訳だ。
正直、なーんだ、と肩透かしを喰らった感は否めなかった。私は、人知を超えた超絶技巧(それがどんなものか想像もつかないが…)によって、この難問をクリアしてくれるのを期待していたのだが、まあそりゃそうなるよね、という感じである。ただ、途中で暗転が入るのに「全編ワンカット」というのは、例えそれが疑似的なものであっても言い過ぎじゃないのかなあ、という気はした。まあ、これぐらいのハッタリは映画ではよくある話なので別にかまわないんだけど。
この暗転シーンともうひとつ、映画の終盤で敵に追われた主人公が河に飛び込むと、画面が水の泡だらけになって何も見えなくなる、というシーンによって、本作は3つのシークエンスに区切る事ができる。そこで一旦、時間の連続性が途切れて作中の時間が昼から夜、夜から朝、といった具合にジャンプする訳だが、それに合わせて映像のトーンをがらりと変えている点に注目したい。ワンシーン・ワンカットが取り入れられた映画はその性格上、どうしても映像の単調さという問題が発生するのだが、サム・メンデスは2つの分節点を設ける事で、上手くメリハリを付ける事に成功している。特に、第2幕の夜のシークエンスは、白昼の下で展開する活劇であった第1幕と対照的に、仄かな明かりに浮かび上がる夢幻的な街の風景を舞台に展開され、観客に強い印象を残す。
『007 スペクター』でも、その独特の美学よって舞台から徐々に現実性が失われていき、最後には現実にあり得ない、抽象化された空間にジェームス・ボンドは立っていた。ラストシーンで映画の冒頭と呼応し、美しく円環を閉じて終わる本作は、その抽象性が更に拡大し、ナラティブな面においても浸透した、と言えるだろう。「全編ワンカット」によって、観客は自分が戦場にいるかの様な臨場感を味わう事ができるが、それは決してリアリスティックな空間ではないのである。
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