horahuki

ザ・ゴーレムのhorahukiのレビュー・感想・評価

ザ・ゴーレム(2018年製作の映画)
3.9
怪談+サイキック!!

今年のシッチェスで一番期待してたイスラエル産ホラー映画。結局『死体語り』は行けなかったのが残念だけど、見た中では一番好き!

子どもを亡くした夫婦の元に現れるスーパーパワー持ちキッズという同時期公開『ブライトバーン 』と非常に良く似た導入を見せる本作ですが、社会に虐げられた女性による虐げた者たちへのカウンターという怪談要素と、「個」としての抑圧と抱える不安を払拭するサイキック要素の両輪を「子ども」という存在への幻想へと集約させた複雑な構造の作品でめちゃ面白かった。

最近見たニールジョーダン監督の『ビザンチウム』では女性による創造を否定するという価値観を旧来的なものとして(否定すべきものとして)描いてたけど、本作でも同様。子を失ったトラウマから、「失うことのない子」としてゴーレムを創造しようと研究をひたすらに続ける主人公の狂気にも近いような感情が痛々しいんだけど、それを(許されてはならない)女性による創造だとして真っ向からナチュラルに否定にかかる教会側の胸糞な対応へのイライラの方が上を行くもんだから、主人公頑張れ!って応援しちゃう。

そんな内部における抑圧だけでなく、時を同じくして他の部族がイチャモンつけてきたせいで部族間抗争が勃発しそうになる。自分たちは滅ぼされようとしてるのに自分には何もできない・させてもらえないという抑圧。

そしてその内外における抑圧へのカウンターとしてのゴーレムは、怪談・サイキック双方の要素を乗せた存在なんだけど、面白いのが、その根本は失くした子どもの代替物なのだということ。怪談もサイキックも、どうしようもできない現実に対する非現実世界からの攻撃。主人公の場合、その2つの幻想の根本にあるのが、「決して死なない子ども」という最も悲痛な幻想であり願望。

最大の「創造」とは何か。それを恐れのために自ら捨て去ることこそが「創造」の否定であり、自分の否定なんだから、その否定した先にあるのは当然「破壊」。

主人公はゴーレムを「創造」するわけだけど、それは3つの幻想からなる非現実であり破壊を齎すものでしかなく、目指すべき「創造」とは逆行する存在となる。だからこそゴーレムを否定することが主人公にとって、そして女性にとって勝ち取るべき真の意味での「創造」となり、悲しさが大きいものではあるのだけど、それ以上に幻想から脱却しようとする力強さと清々しさを感じさせ、良い話だな〜ってなった。

あと、ゴーレムくんの圧倒的パワーにはテンション上がりましたわね。ドラクエとかのイメージしかないから、物理で殴るしか能のない脳筋野郎かな?とか思ってたら、とんでもないスーパーパワー持ってるマジもんの化物で、人なんてゴミのように蹴散らしていくゴーレムくんの火力にはブライトバーンに勝てるんちゃうのん?とか思ってたけど、次の日に『ブライトバーン』見たら、コレはゴーレムくんでも無理だなってなった😅でも可愛いさは間違いなくゴーレムくんの圧勝!
horahuki

horahuki