kuu

パリに見出されたピアニストのkuuのレビュー・感想・評価

3.8
『パリに見出されたピアニスト』
原題Au bout des doigts.
映倫区分G.
製作年2018年。上映時間106分。

天才とは意のままに取り戻せる幼年期のこと ―ボードレール
ボードレールの言葉が示す通り、天才って呼ばれる人たちは、子どものころと同じような脳の可塑性を持っているので、人並み優れた創造性や知識の吸収力を発揮できるのかもしれません。
今作品の主人公ははたして。

夢を持たずに生きてきた不良青年と、彼の才能を見いだしピアニストに育てようとする2人の大人たちの物語を描くフランス・ベルギー製ヒューマンドラマ。
主演はジュール・ベンシェトリ。
マチューを見守り導いていく2人の大人をランベール・ウィルソンとクリスティン・スコット・トーマスが演じる。

パリ、北駅に置かれた1台のピアノ。
最近、日本でもあちこちに置かれてるけど、小生の町の駅ピアノは、知人(ピアニスト)にピアノ弾いてもろたら(たまたま今作品でも奏でられるラフマニノフの『ピアノ協奏曲 第2番 ハ短調 Op.18』)、暫くして駅員が来て、音量を絞って弾いてくれますかとやんわり云われたが、電子ピアノじゃないのになぁと。
パフォーマンスで置いてるだけやん。
話がそれましたが、マチューの楽しみは、自分を追うポリスの目を盗んでそのピアノを弾くことやった。
そこへ通りかかった音楽学校のディレクター、ピエールはマチューの才能に強く惹かれ、ピアニストとして育て上げたいと声を掛ける。
乗り気ではないマチューだったが、実刑を免れるため無償奉仕を命じられた音楽院で、ピエールや厳しいピアノ教師エリザベスの手ほどきを受けることに。
生い立ちに恵まれず夢など持たずに生きてきたマチューは、周囲との格差や環境の壁に直面しながらも、本気で音楽と向き合うようになっていく。

バーナード監督は、『ルーシー』や『Taken 2』、ジャン=フランソワ・リシェ監督の『Mesrine』(ジャック・メスリーヌ フランスで社会の敵No.1と呼ばれた男 Part 1 ノワール編)など、フランスで製作されたアクション天こ盛りの映画の最初のA.D.であったことを考えっと、ちょっと意気沮喪しちまう。
とは云え、このシークエンスは、ピエールの高尚な文化の世界と、
マチューのチンピラ仲間との低俗な犯罪の世界との間の映画の二分性を確立するモンやし、マチューの才能がこれらの全く異なる環境の間の架け橋となりうることを示唆しているかな。
お話の大部分は、パリ国立音楽院の洗練されたモダンなホールが舞台となっています(撮影は主に、建築家ジャン・ヌーヴェルが監修したラ・セーヌ音楽堂で行われました)。
ガイトナーは上司アンドレ・ロシジャック(『マルグリット』のアンドレ・マルコンがカメオ出演)から、自分の地位が危うくなっていることを知らされ、マスコミからは『ピエールはまだ必要なものを持っとるのか』と公然と疑われている。
そこで上司は、組織の優位性を復活させるために、若くて優秀な人材を導入することを提案する。
せや、頑固なピエールは、若くて流行に敏感な人材が欲しいのであれば、田舎者のマチューを自分の弟子にして、音楽院がここ数年受賞していない権威あるコンクールに送り込むことを決意するのだった。
ここまでは愚かな小生でも予想通りでした。
マチューが知人の紹介でピアノに興味を持ったものの、過大な支出をしている母ちゃんからレッスン代がないと云われたときの、悲壮感漂う派手な照明のフラッシュバックがいくつか登場する。
また、後半にはストーリー上の大きなサプライズがあり、ピエールがマチューのような助けを必要とする才能ある若者に関心を持つのには、特別な理由があるんちゃうかと思われる。
しかし、ピエールの奥さん(コメディ・フランセーズ国立劇団の女優エルザ・ルポワヴル)が関係するその後のサブプロットは、キャラ開発や心理的複雑さという点では物足りなさを感じたのは否めない。 
演技自体は悪くなかったけど、ベンチェトリが演じるマチューは、完全に合理的ではない行動をとることから、矛盾だらけで、与えられたチャンスをどう評価すればいいんか、人生に何を求めているのかさえもわからない人間って云よりは、ランダムに前後に投げ出された棒人間のように感じられることがあった。
そうは云っても、監督と共同脚本のジョアン・ベルナールは、プロットの面では必ずしも新しい試みをしていないが、素敵で予想外の小さな瞬間がいくつもありました。
例えば、マチューがチェロ奏者で音楽学校の学生仲間であるアンナ(カリジャ・トゥーレ)との関係を徐々に深めていくことかな。
アンナは裕福な音楽家の家庭に生まれた女性で、マチューや彼のバックグラウンドと自然に対極をなす存在である。
もうひとつは、今作品が伯爵夫人(厳格なピアノ教師)に対する期待を徐々に覆していくとこで。
マチューが彼女との最初のレッスンを外で待っているとき、閉ざされたドアの向こうから、彼女が生徒に向かって厳しい言葉を投げかけるのを初めて耳にする。
これはクスッと笑いを誘う瞬間である。
スコット・トーマスと脚本は、徐々にまた、彼女に人間性を吹き込んでいく。
マチューと伯爵夫人の2つのシーンが印象的でした。
作中、スターバックスで物事を話し合うシーン(プロダクト・プレイスメント<広告手法の一つ>はフランスでも行われている!)。
後日、1981年に行われた伯爵夫人のコンクール・リサイタルの録画を見るシーン(現代劇では、毎年行われるはずのイベントが25回目を迎えているので、この数字は腑に落ちないが、これは些細なことである)。 
ピエールと伯爵夫人の間に、音楽への情熱を共有する仕事上の深い友情を持たせ、安易な道を歩ませなかった脚本家には敬意を表したいと思います。
実際、この映画の最大の楽しみは、ウィルソンとスコット・トーマスの演技にあると個人的には思う。
ウィルソンとスコット・トーマスは、おそらく何度も見たことのあるようなキャラとストーリーを題材にしながらも、キャラの個性をゆっくりと解き放つことに成功している。
ピエールと伯爵夫人は印象的で、リサイタル・コンクールの最後に彼らのリアクション・ショットを見ると、それは何百回も見たことのあるものです。しかし、この作品では、彼らが誰であるか、何を求めているか、どこから来ているのかを理解しているため、完全に獲得したものだと感じられます。  技術的には、今作品は、現代的な印象を与えるようにうまくまとめられていました。
特に、マリリン・フィトゥッシの衣装は、脚本と同様に、伯爵夫人の衣装がキャラクターをよく表してた。

余談ながら、マチューの心情を表出していくのは、
バッハの『平均律クラヴィーア曲集 第1巻第2番 ハ短調 BWV.847』、
ショパンの『ワルツ 第3番 イ短調 Op.34-2』、
ショスタコーヴィチの『ピアノ協奏曲 第2番 へ長調 Op.102』、
リストの『ハンガリー狂詩曲 第2番 嬰ハ短調』といった楽曲。
そしてコンクールに参加するためにピエールが課題曲に選んだのは、抒情的に始まりながらドラマティックに展開し、感情の高ぶりと合わせて超高度な技術を要求される
ラフマニノフの『ピアノ協奏曲 第2番 ハ短調 Op.18』。

そのいっぽうで、作中サントラもとてもいい。
映画音楽を手がけているのは、パリ生まれの若きピアニスト、作曲家、プロデューサーであるアリー・アローシュ。
14歳の時にロックバンドでドラムを叩くようになったのが音楽キャリアの始まりだが、その後はこの映画の舞台となったコンセルヴァトワールで作曲を学ぶ。2017年からはパリにある私立文化施設シネマテーク・フランセーズで無声映画の即興演奏を手がけるなどし、同年にドキュメンタリー映画『Le cinéma dans l’oeil de Magnum』で初めて映画音楽を担当。今回がオリジナルスコアとして2作目となるが、『Mathieu』や『New York』といったアルバムを占める繊細な小品にも彼自身の演奏にも、安堵感をもたらす優しさや美しさがあふれている。
kuu

kuu