町のギャングからカリスマ視されている大悪党'O drako'と間違えられた気弱な男の笑劇、あるいは悲劇。
陽気な音楽が流れているかと思えば、途端に静まり返るなど、メリハリのある緊張感がとても良かった。
ポスターだらけの楽屋に潜む鏡の使い方が非常に効果的で、一見ポスターにしか見えず、まるで擬態のよう。(ブレードランナーでのプリスが連想される)
フィックスカメラの静物ショット、および枕ショットも効果的に使われていて、各ショットが技巧に富んでいることがよくわかる。昔の映画はこういう試行錯誤が目に見えるから好きだ。
人々のセリフからもわかるように、先の見えぬ将来に漠然とした憂いを抱え、日々の暮らしを送る地下の人々の描き方がたまらない。
感情豊かに踊り、抱きしめ合い、お互いの存在を実感することで不安を紛らせる彼らの姿は、生に対してどこまでも真摯でエネルギーに溢れている。
だからこそ、'O drako'という悪の英雄的存在そのものに希望を抱き崇めることで、自分たちの存在を肯定しているかのようだった。
# 64/2019