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フェアウェルのbutasuのネタバレレビュー・内容・結末

フェアウェル(2019年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

余命宣告を本人に伝えるべきか問題。アメリカ育ちの主人公ビリーにとって伝えないことは違法で人権侵害だが、中国人の文化では知らせないことが普通である。正しさとは果たして、という非常に考えさせられる内容。日本人はおそらく感覚が欧米人に近いのだろう、物語開始時には「本人には知った上で人生を選択する権利があるし、周りが知っていて黙っているなんて残酷だ」と思っていた。しかし映画を観ていくと、その自分の中の価値観がグラグラと揺さぶられてしまった。

祖母は何も知らぬまま、楽しそうに人生を謳歌している。孫の結婚式の式場にクレームをつけたり、孫の嫁の文句を言ったり、彼女にとっての普通の感覚で過ごす"日常"がそこにはある。もし余命宣告を受けていたとして、同じように過ごすことは可能なのだろうか。家族たちの言う通り、変に思い悩むよりもこのままスッと死ぬ方が幸せなのかもしれない。それでもやっぱり納得できないビリーだが、「言ってお前が罪悪感をなくしたいだけだ」と指摘されてしまう。もちろんそれだけではないのだろうが、きっとそれもなくはなかったのだろうと思う。祖母と一緒に過ごしながらビリーは何度も辛く悲しそうな表情を見せる。「早く言って楽になってしまいたい」という思いがなかったというのは嘘だし、それは決して責められることではない。

この映画では終始、ノリノリの祖母と暗い家族との温度差が絶妙に描かれている。この空気感の出し方が素晴らしい。思わずクスッとしてしまう場面が挟まり続けることで、決して暗い雰囲気にならない。結婚式ではしゃぐ家族のシーンは圧巻。みんなの顔が次々に大写しになるが、祖母以外心から楽しめている人間は一人もいないことを暗に示すあの演出には胸が強く締め付けられた。苦しみは家族が背負うべきもので、死にゆく本人に背負わせてはいけない、という価値観。この美しさを誰が否定できるだろうか。

思い悩む様子のビリーに祖母がかける「人生は何を成し遂げたか、ではなくどう生きたか、よ」という言葉に、強く感銘を受けた。なんて良い言葉なのだろう。そして祖母の信条がそうなのだとしたら、やはり祖母は最後まで祖母らしく生きるべきであり、余命宣告はしない方が良いのかもしれない、と感じてしまった。

本作は監督の実話を元に描かれているそうで、ラストに実際の祖母の映像が流れる。そして驚くべきことに「あれから6年、祖母はまだ元気です」というテロップが流れる。張り詰めていた緊張がどっとほどける脱力感。何というバランスの映画なのだろう。まさか最後にこんなに幸せな気持ちで終わることができるとは。そしてやっぱり、余命宣告を知らなかったからこそ、祖母は気落ちすることなく余命を乗り越え生きているのではないかと考えてしまった。

しかもこの映画の凄いところは、本当は祖母は全てわかっていたのではないかという余韻もちゃんと残しているという点。彼女もかつて自分の夫に同じ嘘をつき通した経験があるというエピソード。そしてラストでビリーと別れるシーンでのあの表情。全てを理解した上で、家族の配慮に感謝しているのではないか。なぜなら彼女は生粋の中国人であり、その文化の中で生きて死んでいく覚悟があるのだから。本当に細やかで良くできた映画だと思う。
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