うずくまる

ミッドサマーのうずくまるのレビュー・感想・評価

ミッドサマー(2019年製作の映画)
5.0
《グロいんだけど、癒される。》現代社会に居場所のなさを感じている人に見て欲しい。私と同じ感想を持つかも。この作品が、個人主義に偏重しきったアメリカで大ヒットしたのも納得。

主人公のダニーは不安障害を抱えて、双極性障害の妹と(たぶん)機能不全家族の両親と、《家族らしく》あろうとしたが、それがかなわなかった女の子。

彼氏は一応いて、彼氏も《彼氏らしく》しようとはするが、それは酷いやつだと思われたくない(自分を酷い人間と思いたくない)からという動機にしか見えず、共感性が非常に浅い。

対して、事件の舞台となるスウェーデンカルトコミューンは、死生観すらも文化に預け、《命の輪》の感覚を共有している。誰かの感情が粟だったときは、その人の体に触れて共振するようにみんなで泣き喚き、共有する。

17世紀くらいまでは恐らく、生への強い執着を見つめすぎてしまえば気が狂う様な、死と隣り合わせの不衛生と理不尽な強奪の現実が厳然とあり、語弊を恐れず乱暴なことを言えば、ほぼ全員が不安障害みたいなものだったのでないだろうか。そしてそのぶち切れそうな精神状態への対応として、死は終わりではなく、命は家族からの借り物で巡るもの、という価値観が発明されたのだろう。

生きていことが不安で辛すぎるダニーにとって、この村にいる方が、マジョリティで、ノーマルになることが難しくないのである。

受容され、共感をしめしてもらえる。まともでいなくては、個として成立しなくては、という個人主義社会への不適合感に対する自責感、孤独感に苛まれることもない。彼女からしたら、現代社会的価値観の方がより適応し難い狂気だったのかもしれない。

このレビューを書いていて、精神科医の斎藤環さんが「引きこもりこそが究極の正気」とツイートされていたのを思い出した。

社会というものは、どの時代、どの地域でもある種の洗脳や同調圧力ともいえる価値観の共有が濃密に働いていることで円滑に回っているのである。

ただ価値観の軸足を個人と社会のどちらに
どのくらいのウエイト置くのが健康かは

持って生まれた+生育歴上できあがった
気質の問題として、

適正な値が違うということを
この映画で気付かされた。

個人主義に疲れた人が
カルトにハマる心理を
初めて追体験した気分…。

いちばんピークのところでは
爆笑までさせてもらって。
いいもの観せてもらいました。

これも語弊ありそうだけど
ラース・フォン・トリアーLiteって感じ。
後味悪いけど、どっか軽いし、
笑えるし、ポップなんだよなあ。。。

どうやら監督自身の人生において、精神的問題のある姉妹が壮絶な死を遂げ、その時の恋人に突き放されトラウマを負ったため、それらの経験を客体化するために作品を作っている、ということだそう。(ど真ん中のエピソードはヘレディタリー継承で描いているそうなのでこの後観たいと思う。)

現代社会だってついていけないくらい十二分に狂ってるよね、わかるよ監督。何だか彼とお酒を飲んでみたい気分である。
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