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明日へ 戦争は罪悪であるのQTakaのレビュー・感想・評価

明日へ 戦争は罪悪である(2017年製作の映画)
2.0
知るべき史実がここに有る。
考えるべき事実がここに有る。
見るべき映画かどうかは…
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太平洋戦争下の日本に反戦を唱えた僧侶がいた。
そもそも、あの戦争下に、反戦活動など有った事すら私たちは知らない。
まず、知ることから始めよう。
そして、あの時代を考えて見よう。
「なぜ、皆が若者を戦地へ送り出したのか」
「なぜ、戦争に反対しなかったのか」
「なぜ、勝てると思ったのか」
そういう時代が有った事をこの映画は少し教えてくれる。
そういう時代の空気を少し感じられる。
そういう時代の声が少し聞こえる。
だからこういう映画は大切だ。
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映画は、史実に残る反戦僧侶を元に描かれている。
反戦を唱え、戦地に赴く若者に、「殺すな。死ぬな」と声を掛けた僧侶の姿を描いている。
描かれているエピソードは、具体的な事実では無いとのことだが、
人々の姿や、生活の様子や、起こった事のいくつかはそのままなのだろうと想像される。
その世界は、やはり何かが違っていたように見える。
全体が一方を向いている様に見えるし、そのことに疑いを持つ余地も無い。
一糸乱れぬ社会という雰囲気に奇妙な恐れを感じる。
そんな中で、突然「戦争は罪悪である」と説き始める僧侶の姿は、かなり尖って見える。
そこに、気迫を感じるのは当然であり、聞いた人々も相当に驚いた事だろう。
ただ、その声を聞き入れる事は、およそ出来なかったのも現実なのだろう。
ここでも、「なぜ?」と問いたくなるのだが、描かれている社会の雰囲気を思えば、だれもがその言葉を受け入れる余地を持ち得なかった事が分かる。
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こうして彼の時代を他人事に見るのは簡単だ。
同様の戦争映画は、ヨーロッパを中心にいくつも出ている。
それらの映画を年間に何本も見る。
ヨーロッパの反戦映画は、実に多い。
史実に基づいたものも、史実から書き起こした物語も、次々と作られている。
歴史の中の反戦活動家たちが、良く知られていると言う事も有るのだろう。
あるいは、そうして戦ってきた人々を大切にしているという事も有る。
一方で、日本の戦時下を描いた映画に、反戦活動の話や、それらを取上げて反戦を訴えるものは実に少ない気がする。
それは、恐らく、戦時下の日本を私達が知らないからだろうと思う。
あるいは、その時代を知らされていない。
何が有ったのか。
誰が居たのか。
何をしていたのか。
本当に、みんながもろ手を挙げて戦争を勧めていたのか。
みんなが出征兵を元気よく日の丸で送り出していたのか。
誰も、時の政府に反対しなかったのか。
実は、私達は何も知らない。
なぜ、私達は知らないのか。
色々考えさせられる映画だった。
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本作を見終えて、とても良く撮られている部分と、何故このシーンを入れた?と疑問が残った部分が有った。
映画の始めと終わりに、国会議事堂前のデモ活動の映像が挿入されている。
監督は、このシーンを入れたかったと言うことだった。
私は、このシーンを入れた事で、この映画が、“文学小説”から“道徳の教科書”になってしまったように思う。
ここまでして、説明を付け加えなければ、観客は理解出来ないという事なのだろうか。
本作が「反戦映画」であるならば、必然として現代の問題と結びつくだろうという発想は無かったのだろうか。
監督は、思ったとおりの映画作りをしたかったと推察するが、見る側が受け取り、考え、広げていく余地をすっかり奪ってしまった気がする。
教科書は読み物では無いように、説明しすぎた映画は鑑賞して楽しむものではなくなってしまうように思う。
とても残念だった。
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