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Neighbouring Sounds(英題)のhorahukiのレビュー・感想・評価

Neighbouring Sounds(英題)(2012年製作の映画)
4.0
フェンスを超える!!

『バクラウ』『アクエリアス』のフィリオ監督長編デビュー作。隣家の犬がうるさ過ぎて眠れないから生肉に睡眠薬仕込んで餌付けしたり、他人家にボールが入り取れなくなったキッズが別のボールで遊んでたら速攻で車に踏み潰され「パァン!」と虚しい音が響いたり、日常のアレコレが笑える「音」の映画。

ちなみに餌付けされた隣の犬は次の日にピクピク状態になってて笑った🤣もしかして死んじゃうの?とか心配してたら、案の定また元気に夜に吠え始めて眠れなくなるという地獄環境。最終的には爆竹で撃退を試みてた😂絶対にボールで遊ばせて貰えないキッズがその後どうなったのか(ボールで遊べたのか)は不明…キッズ可哀想😭

建築物に代表される「境界線」を階級制度や貧富の差等へと転換した作品で、ブラジルの高級住宅街に住む人々が監視カメラを設置したり、突然現れた「この辺りを警備しますよ?」とか言ってる3人組を有り難がったり、サボってるマンション管理人を解雇しようとしたりと、自分たちの領域に対する「何者かの侵入」を恐れ続ける潜在的な恐怖を観察し続ける。

それは冒頭のモノクロ写真からわかる通りブラジル社会に延々と連なる過去(農園所有者と奴隷の時代)の面影の継承。その階級間における境界を決定づけるようにモノクロ写真直後の超動的なトラッキングショットの後に、窓に柵をつける工事を見て子どもたちが笑っている。

そしてその境界を超えてくるのは音。何があるでもないのに極端な住民たちの防犯意識(監視カメラはあるのにドアベルはない)の裏返しとして、大量の見知らぬ人が敷地の中に侵入してくる夢が潜在的恐怖=階級・フェンス超えを演出し、自宅で寛いでいるメイドの息子や勝手に侵入してメイドとヤッてる警備員等々の明確な「侵入」の不快感とともに音が常に心への影響・侵入の恐怖を煽る。そして面白いのが、音が自身の中から漏れ出すものを周囲から隠すという両義性も描いているのがよかった。

ホラー映画とは正直言えないけれど、本作の何気ない事柄から想像しうる先に広がる闇だったり、観客の感情誘導やわかりやすい説明を完全に排除した人々の生活の向こう側へと意識を向けさせる演出の連続、意図的に被写体から中心をずらすことで違和感を増大させたり、境界を同一画面内に存在させるような構図を多用したりする本作はホラーと言っても差し支え無いと思う。完全なホラー演出もあったし、唐突な血みどろシャワーとか🤣

本作→『アクエリアス』→『バクラウ』に向かうに連れてエンタメ方面・観客迎合へとシフトしていったのか、持たざる者からの反逆シーンの比率がどんどんと増していってるのが面白いなと思った。本作は立ち上がるだけ、『アクエリアス』は確定的な一石を投じ、『バクラウ』はガチなバイオレンス。次はどうなるのかな?というのは楽しみだけど、フィリオ監督の本質は本作や『アクエリアス』そして『バクラウ』の前半のような「観察」だと思うから、あんまりやり過ぎるのもやめてほしいなとも思った。『バクラウ』のバランスが限度な気がする。
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