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オオカミの家のnatsuoのレビュー・感想・評価

オオカミの家(2018年製作の映画)
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「ストップモーションの真骨頂。生命宿るコマの連続。」

ここ最近、美術系の大学に行かれた高校時代の先輩とジブリとか映画とかの話をしていて。(芸術的センスが抜群にいいし話もめちゃくちゃ合うしでとにかく話すのが楽しくてしょうがない。) そこでアリ・アスターの話になり、新しいのやるよねということになり、本作の名が挙がったのでせっかくなら観ようよということになって一緒に鑑賞してきた。以前から本作は気になっていたし、ミニシアター系映画は久しぶりだったのでとても楽しみだった。


チリは南部、ビジャ・バビエラ。1970年代のピノチェト政権下で、ドイツ系移民のコロニー「コロニア・ディグニダ」が実在した。ピノチェトといえば、アジェンデによる社会主義政権を打倒し、独裁的な軍事政権を樹立したことで有名。アメリカによる支持のもと新自由主義により「チリの奇跡」とも謳われる経済回復をみせる反面、言論の自由を抑える為反対派を誘拐したり殺害したりという完全な独裁体制を敷いた。自分自身はここまでしか知らなかったが、当時コロニア・ディグニダのような移民のコロニーもあった。というより、ここは完全閉鎖型の強制収容所だったそう。ヒトラーを崇拝するキリスト教バプテスト派による拷問、誘拐、殺害などが横行しており、軍事政権下では国家と結びつきを強めることでピノチェトの独裁を後押ししていた。
その「コロニア・ディグニダ」から逃れた少女マリアが、オオカミが出ると言われている恐ろしい森に立つ家に駆け込んだ。マリアはオオカミに怯え家から出れないでいたが、その家の中に2匹の子ブタがいることに気づく。彼女は2匹を育て、1人と2匹で生きていくことに決める。しかしその家は徐々に狂い始め恐ろしい世界へと姿を変えていく。オオカミがいる外にも出れず、変貌を止めない狂った家で生きるマリアと2匹の子ブタ。全編ストップモーション・アニメーション×ワンシーン・ワンカットによって描かれる、恐ろしくも美しい異次元の作品。

とにかくストップモーションが狂気の沙汰。決して狭くはない家の中、絶えず変わっていく様を塗り重ねと動作によって描いていく。壁、家具、絵画、服、登場人物までも絶えず塗り重ねられ動きが与えられる。5〜10fpsの世界で、1コマ前は黒だった数cmの箇所が次のコマでは白に色を変えている。粘土や木材、紙や布も数ミリごとの微動によって1コマ後は姿を変える。常に動き続ける物語と映像。もちろん、後戻りはできない。1コマが命だし、1コマのミスが作品のミスに繋がってしまう。そんなこと映像作品にとっては当たり前かとしれないが、このストップモーションには重みが違いすぎることを観客の立場でも実感する。米粒1粒1粒に神様がいるように、この映画の1コマ1コマには魂がいる。コマという静止画、無機質でありながらそこにはどこか生を感じるのだ。本編には命あるモノは(基本的に)登場しない。木、石、紙、粘土、針金、布、毛糸...無機質な単なる素材しか映らない画の中には、見事な躍動と生命のあたたかさを感じる。描かれるストーリーは非常に不気味で現実離れしているが、この映像表現という面が作品に命を宿しているのかもしれない。
そんな1コマ撮るのにも5分はかかる。1秒の映像を撮るのにも30分はかかる(恐らくそれ以上だろう)。この映画は74分だ。考えただけでも悍ましい作業量。決してストップのない74分間、1コマで動くのは1箇所ではない。画に映るもの、いや、その奥や後ろでさえ動き続けていて我々はその狂気を目にする。
何よりやばいのは、常にカメラをフィクスしないこと。カメラワークでさえ全編通して動きに動くのだ。コマ撮りをする上で画角のズレやカメラの動きはかなりの挑戦だ。画角さえ変わらなければそこに映るモノを常に変えていけばいい(それだけでも尋常じゃない大変さだが)。なのにフィクスしないカメラをずっと動かし続け、しかもそれがワンシーン・ワンカットという...笑 改めて考えるともはや笑うしかないこの挑戦的な姿勢。次のコマではどの画角で撮られるのか、そこには何が映るのか、そのコマでは何を表すのか、何を動かし何を動かさないのか、その次の次の次はどうなのか...。ワンカット(コマ撮りなのでワンカット"風"ということが正しいかもしれないが)で描かれるという点で、映らない部分も先を見越して変えていかなくてはいけない。改めて思い返すと、部屋全体を360°回転した際に1周前と後で同じ画角になったとて映る画が同じなことはなかった。これが正に動。映らない部分、我々には観えない部分でさえも動き続け変化し続けるこの世界にはまさしく生命がある。僕にはそう感じて非常に恐ろしかった。
原案、脚本などができ、撮影計画をしてという段階でもうかなりの年月を注ぐだろう。1コマ1コマ構図を考えなくてはいけない。実際、撮る前に全て考えたのか撮りながら考えたのかはわからないが、どちらにせよ数えきれない量のコマ数分だけ構成しなくてはいけないことがある。構成ができてもいざ撮影とはいかず、セットを製作して素材を用意して、など多くの事前準備がいる。そしていよいよ撮影となると、やはりこれが1番時間がかかろう。もちろん苦労するのは所要時間だけではないだろう(もう考えたくもない笑)が、ここまでできるのは相当の忍耐と作品、芸術への愛があるからだろう。本当にレオン&コシーニャ監督は恐ろしく凄い人だと感じる。

公式サイト( http://www.zaziefilms.com/lacasalobo/ )にはこんな面白いものが掲載されていた。それは、"RULE"と題された撮影の上でのルール。
以下に十ヶ条全て記載する。

Ⅰ. これはカメラによる絵画である
Ⅱ. 人形はいない
Ⅲ. 全てのものは「彫刻」として変化し得る
Ⅳ. フェードアウトはしない
Ⅴ. この映画はひとつの長回しで撮られる
Ⅵ. この映画は普通のものであろうと努める
Ⅶ. 色は象徴的に使う
Ⅷ. カメラはコマとコマの間で決して止まることはない
Ⅸ. マリアは美しい
Ⅹ.それはワークショップであって、映画セットではない

鑑賞後にこれを見ると、このルールの意味が深くわかる。ルールの必要性、或いは作品に対する誠意表明でもあろうか、正にこの10の項目に沿った圧倒的な映像作品、否、絵画。特に面白いのは「Ⅱ. 人形はいない」。「Ⅸ. マリアは美しい」ということからも、マリアや2匹の子ブタは人形ではなく生きているモノであることを感じる。「Ⅲ. 全てのものは『彫刻』として変化し得る」というものも面白い。マリア、子ブタだけでなく家全体や家具、風景までも全て「変化し得る」というのはまた興味深い観点だなと感じる。
僕が思うに、この映画は監督が自発的につくりたいと思っているものではなく、物語を監督が描いてあげているように感じる。生きているこの『オオカミの家』という物語があって、それをレオン&コシーニャ監督が代表("代"わりに"表"現する)して描いてあげているのではないだろうか。作品自体のパワーが強すぎるというのもあり、どうしてかそのように感じてしまった。併映作品『骨』も、設定ではあるが、1901年に製作された作者不明の作品を彼らがこの現代につくって上映させてあげているという風にも見てとれる。もちろん双方ともこの異質な作品を描くのは2人にしかできないことではあるが、だからこそ表現しきれない、表現の場がないのが本作だったのではないだろうか。どこかそのようにも感じたのだ。

恐ろしい映像表現の力、そして物語の歪さ。本作の前、『骨』から続くひたすら厳しい(褒め言葉)映像にとにかくやられてしまった。上映中常に精神にも肉体にも重いものがのしかかっていて最後は疲労困憊だった。脚を組み替えることも手を動かすことも出来ず、瞬きも呼吸も忘れ、完全に『オオカミの家』という世界に飲み込まれた自分がいた。上映が終わっても10秒ほど動けなかった。隣の先輩も完全にお疲れの様子で、お互い足が痺れて立つことも困難なほどボロボロになって「た、楽しかったですね...」「うん...」「とりあえず出ましょうか笑」みたいな笑笑 でも帰り道では2人とも元気になって一緒にストップモーションやろう!という結論に。自分で言うのも何だが、すぐに触発されてしまう我々、芸術を愛してる人って感じがして嬉しい笑 冬休みがっつりつくりましょうということで、この冬はストップモーション製作に溶けるかもしれないが絶対楽しいから絶対やりたい。(本作レベルは無理だけどね)


にしても凄すぎる映画だった。凄いでは片付けれないが、新しさと美しさの兼ね備え、シュールレアリスムの権化でありストップモーションの真骨頂、ある意味で人類文化芸術の一つの到達点ともいえようか。鑑賞後は完璧に"骨抜き"にされたが、それほどまでに圧倒的な力があり圧倒的な芸術的価値のある作品だった。1コマ1コマ全てを見逃してはいけず、全てを生命(魂)だと思って味わわなくてはいけない。決して蔑ろに出来ないたった1コマの力強い生命力のようなものを感じた。これは非常に凄いことなのだと思う。いや改めて本当に観て良かったと思う。この疲労感と充足感はなかなか味わえないものだ。

...しかし悔しいのは、パンフレットが買えなかったこと。夜の回に鑑賞した為、上映後は物販が閉まってしまっていた(観終わった後でいっかなんて思った自分を恨む)。皆さんのレビューを拝見すると、パンフレットは絶対買うべきだという方がかなり多くて、ああやっぱり...と現在後悔している。また劇場に行って購入させていただこうと思う。
というかまた先輩と観に行こうという話もしているので、2回目行こうか。いやしかしまたあの疲労を味わうのか...笑 いずれにせよパンフレットは絶対手に入れたい。

P.S.)ネトフリにコロニア・ディグニダを描いたドキュメンタリーがあるそう(『コロニア・ディグニダ:チリに隠された洗脳と拷問の楽園』)。これは観なければ。あっさーいチリの歴史の知識で観るものではない(本レビューも浅すぎる知識で書いているから間違っているかもしれない)。きちんと知識を入れて、パンフレットも買って、再鑑賞して、先輩とストップモーションつくるというコースでいこう。

2023.10.11
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