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ザ・ライダーのlentoのレビュー・感想・評価

ザ・ライダー(2017年製作の映画)
4.0
何も語ろうとしていないのに、何かを語り得ていたことに、静かな感銘を受ける。

痛みのなかに優しさがあり、冷徹さの先に美しさがある。それを望まなくとも絶望があり、それを望むならば愛も希望もある。けれど、この作品には、そうした何かを語ろうとする卑しさがない。また、ノンフィクショナルなリアリズムという視点で撮られているわけでもないように感じた。

ひとりの青年がいる。

彼はアメリカという、広大で混沌とした矛盾を抱えた国の辺境に住んでいる。しかし彼にとっては、そうした国家性も辺境性も関係ない。日本でもよく耳にはするものの、その実態をほとんど知らない、カウボーイとしての生活を営んでいる。父親がいて、障害を抱えた妹がいる。母親は亡くなっている(経緯は伏せられている)。

右頭部を縦に切り裂くような、術後間もない傷を抱えている。やがてそれは、ロデオで落馬したときのもので、青年は見知らぬ少年から憧れを抱かれるほどの腕前だったことが分かる。仲間たちがいて、兄のように慕う存在もいる(その兄のように慕う青年もまた、ロデオの事故によって重度の障害を背負っている)。

父性や、母性や、女性性や、男性性などに由来する、ひと通りの揺らぎは抱えているものの、それらは馬に乗って走るときの風のように、大地のように、雄大にたたずむ荒野のように山々のように、生きることの必然として彼は踏みしめている。

ロデオに再起しようとしながらも、後遺症がそれを拒む。不本意ながらスーパーのレジ打ち、棚の整理、清掃などをこなしながら、夢と現実との間に揺れる。

しかしそれは、本当に彼の夢(理想)なのだろうか? 素晴らしいロデオ乗りは、彼が心からそうなりたいと思っている姿なのだろうか? もしかすると、辺境的でドメスティックな価値観が、彼にそう思わせているだけではないのだろうか?

そう思うに至り、現代を生きる現代人とは、いつでも過去の価値観から逃れようとする宿命を持ち、裏返してみれば僕たちは、その逃れようとする価値から自由ではないことに気づかされる。青年は、そのように生きるしかない。それはつまり、僕たちは「そのようではないように」生きているようでいながら、逆説的に同じように生きていることを意味する。

辺境的な価値のなかに生きようとも、辺境的な価値から逃れるような価値のなかに生きようとも、生きることの最前線には、いつでも青年がたたずむのと同じ荒野が広がっている。

この作品に登場する人物たちが、実際にこうした生活を営んでいるひとたちだと知ったあとでも、そのような情報には、ほとんど意味を感じられないほどに、映像の持つ力が静けさのうちに満ちていた。
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