ryosuke

キラーズ・オブ・ザ・フラワームーンのryosukeのレビュー・感想・評価

3.7
 ヒロインを演じたリリー・グラッドストーンの、流し目と落ち着いたトーンの発話が生み出す妖艶さが観客を惹きつけるのだが、その後の壮絶な展開で彼女の顔が病んだ無表情で塗りつぶされていく様が痛々しい。
 ヘイルがオセージを讃える台詞に割り込んでくる最初の死。死の瞬間に神の視点に舞い上がるカメラにスコセッシを感じる。このシーンは、『ノーカントリー』の一発目の殺しのような趣を感じた。
 正直、あまりにもテンポが悪いのは否めない。大作ではあるんだけども、物語の時間的スパンもそんなに長くないし、こんなに上映時間が必要な物語ではないのではないか。『アイリッシュマン』にも表れていた近年のスコセッシの悪癖が増幅しているように思う。
 ただ、そんなテンポの悪さが緩急になっている瞬間も無いではない。中盤になりダラーッと見ている中でハッとさせられたのが、寝室に吹き込む爆風だった。一瞬の暴力、静と動というスコセッシの手癖が見事な切れ味を放った瞬間。引き続いて、またもグイッと俯瞰に持ち上がったカメラが青白く映る死体を不気味に映し出し、遂に罪の光景を直視させられたアーネストの動揺を存分に示す。サラッと頭の肉が裂けている辺りの暴力性がスコセッシだ。悍ましいほどの怒りの声をあげるモーリーを階段の上から捉えるショット。翌朝、大俯瞰の中、立ち並ぶ民家の一つが完全に焼け跡と化している画もインパクト大。この辺りは特に素晴らしいシークエンスだった。
 夫が妻に毒を服用させ、妻の髪を櫛でといてやる描写もあり、四谷怪談のエッセンスを感じなくもない。ヘイルの顔剃りは『アンタッチャブル』のアル・カポネを思い出す(そういえばどっちもデ・ニーロだ)。無防備な姿を晒すことが権力者の余裕の表れになるという意味でも。共犯者?の牢屋を対面にする異常な空間でのアーネストとヘイルの邂逅は、拘束されてもなお恐ろしい存在という意味で『羊たちの沈黙』のテイストを醸し出しかけたが、アーネストはそれを振り切る。
 全体を通して、デ・ニーロの存在感、説得力は言うまでもない。ディカプリオも『タイタニック』の美青年がここまできたかと思わせる演技で、留置所の中で、我欲で顔を潰しながら実行犯を怒鳴りつける醜悪さが見事だった。火事の赤がガラス越しに浸透する部屋で、病んだ妻を看病するアーネスト。この光景は、あまりに身勝手な愛情が辿り着いてしまった極北を象徴的に示す印象深いシーンであった。
 アメリカ映画を見るたびに、本邦と比べてダイナミックな法廷だなと思うものだが、2階に銃を持った警備の連中がうろつき、傍聴席には私刑の衝動が渦巻き、裁判長は「証人を連邦の保護下に!」と叫ぶってのは本当に全然違うなと感心する。“Yes sir”“No sir”の二通りの即答を淡々と繰り返していくケルシー(ルイス・キャンセルミ)の残忍な顔が素敵。いい顔の俳優だ。
 対して、諦めた様子で“Yes sir”をひたすら繰り返していたアーネストだったが、彼が初めて“No”を言うのは、金のための結婚だったのかという問いに対してなのだ。そのとき観客は、延々続いたロングテイクの後に切り返しで妻が映るその前に、妻の目線を想像しており、このシーンには、汚泥の中に一欠片落ちているだけであったとしても、愛はある種の輝きを失い切ることはできないという趣の静かな感動がある。
 しかし、もちろんモーリーはそんなものに付き合う必要はない。愚かすぎるアーネストが注射器の中身をどこまで確信していたのかについてはファジーなまま進んできたわけだが、少なくとも、聡明な表情を取り戻した妻にとっては、アーネストの回答は十分決断に足りるものだったようだ。神の視点から死の光景を静かに見つめ続けてきた俯瞰ショットは、ラストショットにおいて、オセージの連帯と誇りをもまた見守っている。
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