Sayawasa

私、オルガ・ヘプナロヴァーのSayawasaのネタバレレビュー・内容・結末

3.4

このレビューはネタバレを含みます

激重感情とともに渋谷を後にした。
エンドロール直前、最後の最後のシーンが強烈だった。あえてあのシーンを入れることによって立ち現れてくるあらゆるもの(家族の視線、彼女の社会的存在意義、変わらない日々)の大きさに息を呑んだ。すごい。

心に刺さる言葉がたくさんあった。
それらはまったくもってポジティブなものじゃなく、あの年代の息苦しさ、彼女に対する周囲の無理解、決して得られない愛情への飢え、自身への無価値観、生きてるのか死んでるのかわからない虚無感、マイノリティーとして生きる(当時はまだ)複雑なセクシュアリティ、そういったものをすべてをないまぜにした静かな闇と絶望に起因するものだったからこそ、建前もなにもない、ある種の純粋さを孕んでいたように思う。その絞り出してきた感情の荒々しさと苦しさに頭も心も持っていかれた。

・「自殺には勇気がいる」「あんたには無理」
・私は自分が幸せか不幸せかわからない
・残る選択肢は二つ、自殺か殺人
・寛容的な社会を望む

決して許されるべき行為ではない。大量殺人に善も悪もない。ただ彼女に分岐点は本当になかったんだろうか、と思わずにはいられなかった。

解雇に際して片目に涙を流しながら雇用主に冷たい視線を投げかけるシーン。
犯行直前、ルームメイトに布団をかけてあげるシーン。
面会場で母親が口元に手を当てて涙するシーン。
ひとつひとつのシーンの行動や目線になんとも言えない気持ちになった。監督。すごい(2回目)。

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映画に影響を受けずしても、とある凶悪な出来事・凄惨な事件があるとその背景に少なからず思いを馳せるのはよくあることだと思う。そして社会が悪いのか、個人が悪いのか、という疑問にぶち当たる。前者の可能性がある限り、何か気持ち程度でもできないのかね、と自問する。

ちょうど昨日、児童養護施設で育った人と話をする機会があった。寄付を考えていたこともあってそれとなくどういう支援が好まれるのか聞いてみた。

「結局、モノやお金じゃない気がします。なんなら施設でリモートワークする、みたいなことが一番良かったりするのかも。施設の中で会う職員と先生しか、子供たちは大人を知らない。そして、知らないがゆえに将来への選択肢がないんです。だから福祉への道を志向する人も少なくない。そもそも前提として「いろんな大人の在り方がある」「生き方がある」いうことを理解してもらうきっかけを与えるのが、一番喜ばれるような気がしています」

「クリスマスとかはね、ケーキがめっちゃ届くんですよ、何個も。で、もう食べたくないって言いながらみんなで無理やり食べる。そしてお礼状を書く。はっきり言って何してんだ、って感じですよね。でも送ってくださる人は良かれと思ってやってくれてる。そこが難しい。感謝の意もこもっていないお礼状とケーキの交換。そこをなにか工夫できることはあると思うんですけどね」

自分にできること、を考えるのも、行動にするのも難しいと改めて。ニーズを掴まないと意味はないから。でも話聞けてよかったなと思った。
オルガの言葉が響いたのは、こういう現実で起こったことと考えたことに全くもって関係ないとはいえないからなんだろうなと自己納得した。