人の成功をねたんだり、自分より早く出世しそうな人を蹴落としたり、なにより自分より才能がありそうな人を絶対に認めなかったり。
まあ、多かれ少なかれ人間ってそういうところあるかな、とも思うんですが、それが度を超すと、それはもうやばい人になっちゃう。
Netflixで配信されているドキュメンタリー作品。いろんなところで評判になっているので観てみました。
舞台は1992年のシンガポール、“人とは違う、なにか”を追ってさまざまなサブカル作品に触れる10代の少女サンディ。彼女が出会ったのは映画製作者を名乗るジョージという男性。彼の指導の下、映画を作り始めるサンディ。さまざまな作品から吸収した要素を自分なりに消化して、映像として表現する。一緒に映画製作を始めた二人の少女と時にはぶつかり、時には最高の充実感を味わいながら、作品作りにのめりこんでいく。
撮りあがったフィルム。まだ観ぬ映像に手ごたえを感じる少女たち。それは10代の感受性豊かな頃にしか撮れない奇跡の映像、
サントラミュージックも依頼し、音入れして編集して、作品を完成させる…。
ところが、その作品が完成することはなかった。
撮り上げたフィルムが消えたのだ。信頼していたジョージと共に。
なぜ消えたのか、どこに消えたのか、そしてそのフィルムは今どこにあるのか。
25年の歳月が過ぎ、あらためて消えたフィルムの消息を追うことになるサンディだが…。
った流れ。
終盤で明らかになる事実に呆れてしまった。
フィルムを消すまでのことなのか。そんなにそのフィルムは“凄い”ものだったのか。
“Shirkers(シャーカーズ)”と名付けられたその作品は結局現時点では完成していないけれど、このドキュメンタリーによって本来の意図とは違った形で映像の一部が公開されることとなる。
それにしても摩訶不思議な嘘のような本当の話。“Shirkers(シャーカーズ)”が本来の形で世に出ていたとしたら、映画史が変わっていただろうか? Ifのお話になるけれど、どう変わったか、興味あるなぁ。